Grass Street'90 MOTHERS 10-18
車は門の中に入り、俺達はお互いに目を合わすこともなく車を降りた。
13
アイボリーカラーの本革ソファーに、ズボと俺は並んで座っていた。
目の前に、石川孝義氏が座っていた。からし色を基調に、いろんな色が織り込んである厚手のポロと、それから座っているソファーに似たアイボリーカラーのスラックス、といういでたち。
『いでたち』という言葉はこういう時のためにあるに違いない。さすが繊維関係。
感心することはまだある。石川氏は何と俺達に向かってにこやかに笑っているのだ……あの礼儀正しい役者が上のおっちゃんのように。ボスが笑って暮らしていると下の者も笑えるようになるのだろう。明日早速ウチの校長に教えてあげよう……ムダかもしれんが。
「まあ、とりあえずコーヒーでも。遠慮なく、どうぞ、どうぞ。」
彼は、ついさっき例のおっちゃんが置いていったコ-ヒ-を勧めた。
「車でみえたようだから、お酒という訳にはいきませんが。」
「……はあ……」
俺より先に、左にいたズボがこう言って黒いコーヒーカップを手に取った。俺は、何というかあのおっちゃんの煎れたコーヒーだと思うと恐れ多くてそれまで手を出せずにいたのだが、ズボが手を出すのなら話は別だ。おっちゃんも、コ-ヒ-が別に好きというわけでもなく、何よりもコーヒーと並んで代表的な嗜好品であるタバコにまるで節操のないあいつに先に飲まれるのを好まないはずだ。
俺はズボがいつものようにゆっくりとカップを口に持っていく間にすばやく自分のカップを手にし、一口飲んでテーブルに置いた。
よかった。間にあった。
「ところで、」
石川氏はさっきよりも嬉しそうな顔で俺を見た。
「貴美……渡辺君を呼ぼうか。」
俺はすぐには返答が出来なかった。
……というのも、その時ちょうど他の事を考えていたのである。このコーヒー、確かにUCCのモカだと思うのだが、それを口に出すべきかどうか……うーん、例えば口に出したとする。『これは、UCCのモカですね。』すると社長が『ええっ! なんて凄い人だっ! 平田は帰します。ごめんなさい。』と言うだろうか。
……いや、ダメだ。だいたい、『UCCですね。』というのはどう考えても褒め言葉にはならん。つまり、この部屋の趣味の良さとあっちのメンバーの質の高さに比べてコーヒーがUCCではあまりにも質が落ちる。だからかえって『この秘密に気付くとは、こいつらを放っておくわけにはいかん。』なんてことになり、俺達は明け方には名古屋港の遊覧船『金鯱』の隣に浮いていることになるかも……えー、それだけは嫌だ。あろう事かあの日本の恥とも言える物体の横に死んでるなんて。やっぱ、言うのはやめとこう。
……そして次は、え-っと、渡辺のことか。
「……いやあの……」
俺が話し始めた時には、既に石川氏は聞いた後のように笑顔を作っていた。どんな答えでも笑うように計画していたのだろう。
「……まあ、あれは、あの場を逃れるために、ええ……」
「谷岡が感心してましたよ。うまい逃げかただってね。」
「……はあ、どうも。」
そうか、あのおっちゃんは谷岡というのか。
「それで、」
石川氏は笑顔を見せたまま、けれど俺達が本題に入ったとしっかり気付けるくらいに力を入れて声を出した。
「どういうつもりでここまで後をつけてきたんです。」
俺はズボと顔を見合わせた。
そういや、こいつと車で打ち合わせでもしておけばよかった。そんなムードやなかったしなあ。俺がここで全部きれいな嘘を作って話せば矛盾はつかれずに済むかもしれないが、それでうまくいったためしがない。俺はやはりきっちりした人間なのだ。台本を作って話す時にこそ本領を発揮する。『アドリブの権化』であり、ライブの時でも俺が作った台本通りに話したことがないおっしょはんの真似は出来ない。
俺は困った。けれど困っても誰が助けてくれる訳でもない。俺は『ぼのぼの』ではないし、ズボは絶対に『スナドリネコさん』ではありえないのだ。こいつはまあ、よくて『コヒグマくん』くらいだ。それが証拠に、その時ズボは無責任にも俺に向かってうなずいたのである。生意気にも俺を促しているらしい。石川氏の方を見ると、彼も俺に向かってうなずいた。この男も『シャチさん』に思えてきた。『イシカワさんのすねの傷は十七個なんだよ』『知ってるよ。でもそれを言ったのは君が初めてだ。どうぞお帰り下さい』てなことには、決してならんだろうなあ。
「人捜しですよ。」
俺はきっぱりと言い、ズボはびっくりして俺を見た。何とかごまかすと思ったのだろうか。甘い。俺は正直者なのだ。図々しくうなずいて俺にしゃべらせたお前が悪い。
「誰を、ですか。」
「平田芳美。」
今度は石川氏がびっくりした顔になり。さらに驚きを表現したズボと同じくらい目を見開いた。さっきのうなずきといい、こいつらはデキてるんじゃないだろうか。
「……そう……平田……ね……」
石川氏はテ-ブルの上のシガレットケースからタバコを取り出した。ダヴィドフだ! うーん、素晴らしい! やはりこの人には嘘をつかないで良かった。
「なぜです?」
「頼まれたんです。」
ズボが横で頭を抱えた。
「誰に。」
「それは、信用問題ですから……知ってますよね、平田は。」
「ええ……」
そう言って石川氏はダヴィドフに火をつけ、一口吸ってから顔を上げた。その瞬間の目を見て俺はゾッとした。どのくらいゾッとしたかというと、瞬きする度に瞼の裏に『金鯱』が浮かぶくらいである。
「知ってますよ。」
その時には石川氏は凶暴な目ではなくなっていたのだが、恐怖に駆られた俺は、この時今日初めていらんことを言った。
「二人のチンピラが俺達を追っ掛けるくらいのレベルでですか?」
石川氏は最初、何のことかわからないようだった。それから突然、何も言わずにテーブル上のインターフォンを押した。声を出さずに数えていると、きっちり8秒でノックの音がして、俺の将来の友人、谷岡のおっちゃんが登場した。
「谷岡、こちらの方が今から言う2人のチンピラの名前が知りたいんだがね。」
「わかりました。」
谷岡のおっちゃんはそう石川氏に答え、俺には目で話すように促した。どう考えても逆らえない目だし、それに、何のことか俺も知りたい。
「そんな、特徴のある人等やなかったですよ……両方共、背は170くらい。30才くらい……一人はもう少し若かったかな、それと、いかにもって服で……」
「どこで追いかけられたんです?」
石川氏が言った。
「『琥珀』の前からです。」
その瞬間、谷岡のおっちゃんは石川氏に向かってうなずいた。石川氏もそれにうなずき返して、おっちゃんはまた黙って、姿勢の良い歩き方で部屋を出て行ってしまった。
この人と友人になるのは無理かもしれない。俺は友人には会話を求める。
「……一体……」
「もう遅いから、お帰りいただきましょうか。」
俺達の返事を聞く前に石川氏は立ち上がった。
「あなた方が嘘をつかれなかったですから、私も一つだけお教えしましょう……私達も、平田を捜しているのです。」
「なぜ?」
作品名:Grass Street'90 MOTHERS 10-18 作家名:MINO