Grass Street1990 MOTHERS 1-9
ズボが言った。奴が行方不明になるのもタコ部屋でコキ使われるのも10日かかって松本から恵那まで歩くのも俺には全く構わない…こいつなら木曽福島までも持たないだろうが…
だがくやしいことに、俺もこの平田がいい。
俺は今の高校には今年転勤して来たばかりだから、3人ともどんな子なのか知らない。ただ妙なことに、川本の所属するテニス部の卒業生には、彼女の言うように幼児教育科へ行った生徒はいなかった。
……てことは、川本は一体誰に話を聞いたのだろう。
調べたところ、彼女と家が近いのは2回生の平田だけだが。
「でも、難しいな。」
ズボはコピーをじっと見た。そんなに平田が気に入ったのだろうか。友子に言いつけてやろう。
「こんなスッピンの顔見たって、化粧すれば全くわからんのやないかな。」
その通り。彼女達の高校生時代に授業を受け持っていれば化粧した顔くらい見ただろうに……実際、今の生徒の中にも俺がスッピンの顔を見たことのない奴等が5~6人はいる。卒業アルバムの写真は確かにつらい。なぜかというと学校のチェックが入ってスッピンの顔しか載らないからである。さらにこの当時の卒業アルバムの写真は白黒である。
ところで、今日は嫌な日だ。ズボと意見が合い過ぎる……このままでは夕方頃にはFKを吸うようになってしまうかも知れない。ダメだ! それだけは避けなければ!
「まあ、店に出てるよりは化粧の薄い帰りを狙うしかないなあ。」
俺は居酒屋『たぬき』を横目で見ながら言った。半年くらい前まではズボとよく行っていたのに、最近はこの店にもごぶさたである。午前1時に練習を終え、2時の閉店まで、『アンキモ』と『どぜう』、それから忘れてはならない『梅のタタキ』で2合徳利を傾け一杯やったものだ。あの頃は話があった。女性問題で。ズボに。けれど奴は今、友子に完全に敷かれてしまっており、以前はあれほどあった浮いた話が全く出てこない。情けない。女に敷かれるとは。男が敷かれていいのは嫁さんにだけだ。なぜなら嫁さんは『女』ではない。『嫁さん』だからである。
「それじゃあ、また後で。」
大工が嬉しそうに言った。大工の担当は、俺達2人より2歳若いということもあって1番遠い『琥珀』である。この決定にはズボをそこの担当にしたくなかったという気持ちが働いたことも否定できない。奴は琥珀を知っていた。行ったことがないと否定はしていたが、実は常連で、もしかして「まいどー。」とか言って店内に入り、楽しんでしまわないと誰が言えるだろう。だから大工が琥珀の担当である。わかりやすい決定だ。そしてズボが『ジーザス』で俺が『PS』である。これには特に理由はない。強いて言えば俺はジーザスなんて大げさな名前は嫌いなだけだ。
人間の謙虚さというものは、普段の行動ににじみでるものである。
ところで、大工がなぜあんなに嬉しそうに言ったかは次の台詞でわかった。
「地下道のこっちの屋台でラーメン喰いながら待ってよっと。」
しまった。その手があったか。さすがハイライトを吸う奴は抜け目がない。
足早に去っていく大工の背中を見ながら、ズボと俺は信じられないことではあるが何と同じ感情を有していた……腹が減った……
でも食欲というのは本能だから、いくらこいつが人でなしでも一応人間ではあるし、このくらいは我慢しておこう。いつもながら寛容な人間だなあ、俺は。
だから2人で、すぐ横にあるコンビニエンスストアに入った。
7
居心地が悪い。当然と言えば当然だ。夜中の繁華街の路上に突っ立ているのだから。
午前1時30分、『PS』のドアが見える路地の壁にもたれかかって、俺は自分でもわかるくらいのため息をついた。退屈しのぎはそれくらいしかない。読みかけの『失踪当時の服装は』でも持ってくれば良かった。
あれからすぐここへ来てまだ15分しか経っていないのに。待つ身はつらい。暗いし汚いしなんか臭い。さっきズボと並んで喰ったジャムパンが出てきそうだ…
…夜中のコンビニエンスストアにはどうしてロクなパンがないのだろう。
さて、目的であるPSのドアはそれほど大きいものではない。わかりやすく言うと教室のドアより少し小さいくらいだ。まっ黒なドアで周りのモールとPとSの文字がくすんだシルバー、割とまともな色使いである。それにしても静かだ。まだPSの文字に向けて薄暗くライトがついているから客はいるのだろうが、中からは何の物音も聞こえてこない。遮音処理は完璧だ…
…いいことを思い付いた。このドアを新幹線の防音壁に使ったらいい。
そんなことよりも1時半なら電話をかけにいかないと……あれ、でも電話のためにここを離れたら見張ってる意味はなくなるではないか……やはりあいつらの段取りには難があった。これからは俺が決めないとな、やっぱり。
気持ちよく決心してその場を離れようとした時、車の音がした。路地から顔を出すと、こちらへ向かってくるライトが見えた。あれは……ベンツだ!なんとしかも黒塗り!俺は反射的に路地に身を隠した。さすが4年間京都で暮らしただけのことはある(それもあの抗争の時期だった)。見事な条件反射だ。
でも京都だから身を隠しただけで済むのだ。もし大阪か三宮に、たとえ3日間でも住んでいたら50メートルは走って逃げただろう。
なんとなく直感した通り、ベンツ(黒塗り)はPSの前に停まった。片目だけ路地から出して見ていると、次の瞬間、音もなく店のドアが開いた。すごい!遮音効果が完璧でさらに音もなく動く。新幹線の防音壁よりもまだ役に立つ利用法があるかもしれない…
…高級スナックのドアだ!
……なんだ、適材適所だったのか……やっぱり、世の中は俺の考えるよりよっぽどうまくできている。
中から人が出てきたので、俺は路地を出て店に向かって歩いた。女性が3人、その内2人は若く、残りの1人はママだろうか、と並んで中年のあまり嫌味のない男が1人。それにしても静かだ。ドアが開いても、たいして何の音も聞こえない。中で何をしていたんだろう、このおっちゃんは。それより、こんなに中が静かではこのドアの遮音性能はわからなくなった。新幹線の防音壁には無理かもしれない。だいたいもし利用できるならあのJR東海が放っておくはずがない。
言っておくがこれは良い意味ではない。
……あれ……ところでこのおっちゃん……どっかで……石川屋の社長! と同時に石川女子短期大学の学長! ……間違いない! パンフレットで見た顔だ。
俺はベンツのナンバーを記憶してPSの前を通り過ぎた。
尾張小牧ナンバーというのはたとえベンツでも間抜けである。地方自治体のつまらない縄張り意識のおかげで、このように嘲笑の対象が生まれることは多い。
ところで、俺には女の子達を確認する心の余裕はなかった。というか、一目見ただけではやはり化粧が濃すぎてどんな顔なのかわからなかった。あそこまで塗りたくる必要がどこにあるのだろう。俺にもあんな化粧を好む年齢が訪れるのだろうか……意外に近いかもしれないが……
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 1-9 作家名:MINO