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Grass Street1990 MOTHERS 1-9

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 俺は日本人が働き過ぎなのは学校の下駄箱のせいだと思っているくらいだ。あんな所を毎朝通る苦痛に比べたら、少々の残業なんて屁でもない……ということは過労死を防ぐためには下駄箱をなくして校内を土足にしたらいい。そうすれば世の中で一番嫌なものは残業になる……
 だいたい、今時下駄なんか履いてる奴はどこにもいないのに未だにこの名称は何だ。学校は(もしかすると岐阜県だけかもしれないが)社会で最も遅れている。せめて『靴箱』という名にすれば……いや、それは甘い。『臭い靴箱』とすべきだ。前に『とんでもなく』という副詞を付けるともっといい。

 「とんでもなく臭い靴箱。」
 口に出して言ってみた。いいなあ、うん。こうすれば下駄箱のすぐ横に昼食用のお茶を置くなどという猟奇殺人にも匹敵する犯罪はなくなるはずだ。学校のお茶があんなにまずいのは靴の臭いのせいに違いない。あそこから遠く離せば玉露のような香り高いお茶なのかも。

 「まいった。」
 ズボはそれだけ言ってまたFKをふかした。そして押し黙った。
 俺は死者に鞭を打てない。本題に入ろう。
 「川本は、臭い靴箱の脇にある傘立てに座って俺を待っていた。」
 俺は奴のためを思い、わざわざ『とんでもなく』という副詞を抜いて話を進める気配りを披露したのだが、奴は断じて気付いていない、という目をした。この10年を見直すのは、やっぱり俺の方かもしれない。
 しかし川本には鼻というものがあるのだろうか。どうしてあの傘立てで待っていられるのだ。女子高校生って呼吸しないのだろうか……やや表現は古いがいわゆるニュータイプというやつだろうか。
 「俺は、息を止めたまま川本の前を手招きして通り過ぎ、外へ連れ出して安全なところで深呼吸をしたんや。」
 俺は残念ながら旧タイプの人類だ。
 ところで、このズボという奴は何でいつまでも恐い顔をして俺を見るのだろう。
修業の足りん奴だ。

 そこで突然、引き戸の開く音がして、ウチのバンドの『リーダー』でギターとリードヴォーカル担当の曽我が現われた。
 俺はこの人当たりの良い顔を見る度に決まって憂鬱な気持ちになる。今日のような練習日では尚更だ。なぜかというとこの男、メンバーの中でただ1人の一般企業サラリーマンで30も半ばにさしかかり、内臓もそれほど丈夫ではないせに、とんでもない練習好きなのである。おかげで世間一般では俺がかなりの練習嫌いのように思われているがいい迷惑だ。俺は夜零時過ぎには楽器を弾きたくないという人間として当然の要求を実行しているだけだ。
 リーダーのような男のせいで日本のプロ野球はいつまで経っても大リーグに勝てないのである。

 「おう、早いね」
 やや高めの声で、こぼれるような微笑みをばらまきながらリーダーは黒いマーチンのギターケースを置いた。どうして金にもならんのにあれだけの笑顔を振り撒けるのか俺には理解できない。
 「こんばんは、曽我さん。」
 ズボはほっとしたような、嬉しそうな声で挨拶した。

 どうもこの2人は怪しい。そういえばズボの彼女である友子がこの2人の仲を半ば本気で疑っていると聞いたことがある。共にタバコはFK……疑われても仕方ない。
バカな奴等だ。ロングピースを吸えばこんな疑いはかけられずに済むことがわからないらしい……

 「こいつがね、仕事を持ってきたらしいんですけどね、」
 ズボが言った。ここまで聞いて仕事だということがわからないとは……いつもながら愚かな……
 「何?」
 「まだ前置きしか聞いてない。」
 「センセ、いつ来たの?」
 「8時15分。」
 俺は間髪入れずに答えた。2人は瞬時に顔を見合わせた。やっぱり怪しい。
 「……それなら、な、」
 リーダーは俺から目をそらして口ごもった。心にやましいことがあるのかもしれない。
 「もうすぐおっしょはんも大工も来るから、それからみんなで聞こう、いいやろ。」

 ……九時ちょうどに、おっしょはんと大工が入ってきた。

 『おっしょはん』というのはウチのバンジョー弾き兼柳ヶ瀬の徹明町通沿いに店を構える酒屋のオヤジである。名前は水口という。最年長であり、物品に対する講釈に天才的な才覚を見せる。酒屋のことを酒販店と呼ぶくらいだ。彼が酒を売るときには客がどんなに断っても必ず5分以上の説明を共に付ける。また、他人が他所で買った品物についてはどんなものでもけなすことを忘れない。何か新しいものを買ったらおっしょはんに見せるといい。10分後には9割の人が彼に殴りかかっているはずである。けれどもおっしょはんは喧嘩が異様に強い。その結果殴り掛かったあなたは反対に殴り倒されるのである。
 彼は、もうすっかり秋なのに相変わらず色が黒い。本人は、一年中スポーツをやっているからだと主張するが、誰も信じてはいない。

 『大工』は、最近スケアクロウに加入した、私の2つ年下の若者で、名前は春日井。俺はこいつには好感持っている。なぜならこいつは大工で、ハイライトを吸う。大工とハイライト、これほど美しい取り合わせが世の中にあるだろうか。これに太刀打ちできるのは植木屋と缶ピースの取り合わせしかない。大工にはハイライト、植木屋には缶ピース、そしてろくでなしにはプロムナード…
…うっ、また嫌なタバコを思いだしてしまった。世の中にはあってはならないタバコが多過ぎる。

 「それじゃあ、話を聞こうか。」
 リーダーはタバコをくわえた。FKだ。うっ……




 「……つまり、まとめるとやな、」

 リーダーのいつものまとめが始まった。常々、俺の完璧なまでの見事な説明にいちいちまとめはいらんと思うのだが、心配症の男だ。仕方ない、やらせてみよう。
 「川本という3年生の女の子が推薦入学を希望している、一宮の石川女子短期大学というところによからぬ噂があるので調べてほしい、ということやな。」
 俺はうなずいた。まあまあのまとめだ。リーダーの性格ではしかたないが妙に修飾語句が多いことと、俺が最も力を入れたはずの臭い靴箱についてまとめに入っていないのに多少不満は残るが。
 「……ところで、ミノ、いつ来たって言ったっけ。」
 「8時15分。」
 俺は再び間髪入れずに答えた。時間に厳しくしているのは実に気分がいい。
 「……ふ-ん。」
 リーダーは思わせぶりに腕時計を見た。俺も、会社の掛け時計を見た。9時35分。見ると、リーダーの前にある灰皿はFKの吸い殻であふれそうだった。ズボと二人分である。
 怪しい。
  「そのよからぬ噂ってのが、」
 おっしょはんが言った。おっしょはんはタバコを吸わない。だからかどうかしらないが前にはヨーグリーナの空き瓶が2つあった。
 「西柳ヶ瀬あたりのスナックに、大学がこの女の子たちを斡旋している、ということやね。」
俺はすぐにうなずきながら、やはり不満だった。この人間ができたおっしょはんですら一番大切な臭い靴箱について言及しない。忘れてしまったのだろうか?……もっと丁寧に説明したら良かった。
 「報酬は?」
 ズボが尋ねた。
 「来春卒業する女の子を30人、4月から最低3年。」
作品名:Grass Street1990 MOTHERS 1-9 作家名:MINO