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鳴神の娘 最終章「絆を絶つ者」

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「さて、そういうことなら、もうここにも用はねえな。さっさと退却して、国にでも帰るとするか。随分長い間勝手に留守にしてたし」
「……国? そうだ、昔の話はたくさん聞いたけど、結局今のあなたが何者なのか知らないままよ。--あなたは、一体どこの国の誰だったの?」
 斐比伎は思い出したように尋ねた。
「俺は出雲王さ。昔も今もな。……嬢ちゃん、あんたはいい女王になりそうだ。敵に回したら、結構恐ろしいかもな。……まあ、そうならないことを願ってるよ。少なくとも、俺たちが互いに王である間はな……」
 笑いながら言うと、五十猛は塀に飛び上った。
「……ああ、そうだ。最後にこれだけは言っとかねーと。最初にあんたを攫った時、宮殿で殴ったりして、悪かったな。俺はずっと嬢ちゃんに接触したくて機会を伺ってたんだけどよ。あんたの『父様』が、周りをぎっちり固めてて、吉備ではどうもうまくいかなかったんだ。あんたが大和に旅に出て、宮殿の中を一人でうろついてくれてた時が、絶好の機会だったんで、つい焦っちまった。--許してくれよな、じゃ!」
 快活に手を振ると、五十猛は初めて斐比伎の前に現れた時と同じように、唐突に去っていってしまった。
「--あーあ。行っちゃった……」
 五十猛の消えた後を見ながら、斐比伎は名残り惜しむように呟いた。
『我々も早く転移したほうがいい。ここは、もうすぐ崩れ落ちる』
 若日子建が言った。
 斐比伎は周囲を見回す。
 自分たちは緊迫したやりとりに夢中になっていたのだが、気付かぬうちに斐比伎の落とした雷撃による焔は宮内の建物を呑み尽くし、周辺は荒れ狂う炎の渦と化していた。
 宮殿内にいた多くの人々は火に襲われ、僅かに生き残った者達は既にあらかた逃げ出している。
 大和が燃えていた。
 覇王達が何代にも渡って、同族や他族の血を流し続けて築き上げた夢の都は、ほんの数刻の焔の蹂躙によって、跡形もなく消え去ろうとしていた。
(燃えてしまえ)
 覇王の系譜も、最後に生まれた美しい皇子も、哀しい記憶も、醜い想いも、ここにあったものは、全て。
(……新しい物は、私たちが創っていけるから--)
 燃える宮殿を瞳に映しながら、斐比伎は言った。
「--行こう。かえろう。吉備へ!」


 皐月半ば。
 吉備の山々では、新緑が明るい日を浴びて美しく輝いていた。
 大王軍に蹂躙された里も、順調に復興が続いている。やむことのない工事の音を聞きながら、斐比伎は、少彦名を肩に乗せて歩いていた。
 林を抜けて、はじめて少彦名を拾った小川に出る。水面の煌めきに眼を細め、斐比伎は足を止めた。
 その傍らに、若日子建が音もなく現れる。
「……あなたも、もう行っちゃうの?」
 川面を眺めながら、斐比伎は尋ねた。
『……我は戦で死した後、吉備津彦の遺した布都御魂剣を護る守人となった。そして時を経て、兄の最期と同じ声に呼ばれて出雲振根と出会い、十拳剣を預かった。振根は最期に誓った。吉備津彦が蘇る時、自らも蘇り、共に戦う。故に、それまで神剣を共に封印しておいてほしい……と』
「そっか……」
『我は長き間、あなたの代わりに吉備を守護してきたのだ。……もう休ませてほしい』
「そうだね……ありがとう、若日子建」
 斐比伎は、若日子建に向かって笑った。
 彼女を見返す神霊の顔に、安らぎに似た表情が浮かぶ――そして、そのまま、若日子建は消えた。
「……」
 若日子建を見送った斐比伎は、ほう、と息をつき、その場にしゃがみこんだ。
 少彦名を肩から下ろすと、持っていた袋を開ける。
 中から取り出したのは、実を半分に割ったガガイモの小舟だった。
「……どうしても、行くの?」
「わしは常世の住人じゃ。ひとつの世には、とどまれぬ」
「別に、常世になんて、かえらなくてもいいじゃない」
 拗ねたように、斐比伎は言った。
「ずっと、そばにいてほしいのに」
「その言葉は、違う男に言うがよい」
「生意気ねっ」
 斐比伎は、人差し指で少彦名の頭をつついた。
 こんな他愛ないやりとりも、これで最後となるのだろう。
「……」
 斐比伎は川に小舟を浮かべると、そうっとその中に少彦名を入れてやった。
「……そういえば、少彦名。あなたはどうして、神代の途中で常世の国になんか行っちゃったの?」
「うむ。わしは、あるとき粟島に行ってな。一本の粟茎によじ登ったところ、そのまま弾き飛ばされてしまったのじゃ」
「え、それって、すっごい間抜け!」
「うるさいわい! 生意気を言うと、言祝(ことほぎ)をやらぬぞ!」
「はいはい、ごめんなさい、神様」
 笑いながら謝り、斐比伎は小人神の前で、わざとらしく畏まった。
「では、改めて……。――吉備の行く末を担う者よ。これより先は、『大吉備津姫』と名乗るがよい」
「……承りました、少彦名の御神」
 神妙な面持ちで、斐比伎も答える。
 しばらく見つめあった後、二人は同時にふき出した。
「……お前の担うものはの、もしかしたら、吉備一国ではすまぬかも知れぬぞ。――それでも、背負えるか?」
「背負ってみせるわ」
 即答した斐比伎を見上げて、少彦名は微笑んだ。
「それでよい……元気でな。お前に会えて、楽しかった」
「私も楽しかったわ。――さよなら、少彦名!」
 斐比伎は、小舟を押し出してやった。
 細い小川を、小さな舟と小人が流れていく。
 この川はやがて海へとつながり、舟はその彼方にある常世の国へと流れていくのだろう。
 もう二度とは会うことのない小さな神を、斐比伎は川辺に立ち尽くし、いつまでもいつまでも見送った。


 少彦名を見送った斐比伎は、里へ戻り、そのまま王の御館の建加夜彦の部屋へと向かった。
「……父様、ご気分はいかが?」
 部屋の中へ入り、父の傍らに座る。
 順調に回復を進める建加夜彦は、まだ床につくことを義務づけられてはいたが、既に半身を起こせるほどにはなっていた。
「ああ、大分いい。……里の様子はどうだ?」
「みんな元気よ。工事の音で、里中うるさいわ」
「政のほうはどうだ?」
「まだ慣れないわ。……でも、みんながよく助けてくれるから」
「そうか」
 建加夜彦は娘を見ながら、嬉しそうに笑った。
「……ねえ、父様。もうすぐまた、父様が私を拾った日が来るわよ」
「ああ、そうか。……もう、そんなになるか」
 建加夜彦は、感慨深そうに頷いた。
「もう、十七か……そういえば、少し大人びたな。今年は、何を祝いに贈ろうか」
「……お祝いを頂く代わりに、お願いがあるの」
「なんだ?」
 自分を見つめる建加夜彦の瞳を、斐比伎はじっと見返した。
「お元気になったら、斐比伎を妻問いしてくださいね」
「……」
 建加夜彦は、面食らったように目を瞠った。やがて、きまり悪そうに瞳を逸らし、己の解けた髪を掻き揚げる。
「そういうことは、あまり女のほうからは言わぬものだが……」
「そうですね。でも、私ははじめから異端の娘ですから」
 恥じる様子もなく、明るい声で斐比伎は言う。
「……ね、建加夜彦? お願い、きいてくれますか」
「……」
 建加夜彦は、しばらく照れたように右手で口元を押さえていたが……やがて斐比伎の方を向き直り、微笑んで言った。
「……お前が願うならば、どんなことでも」