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鳴神の娘 最終章「絆を絶つ者」

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「神代に国津神と天津神が争ったからって……その裔である、私とあなたが現世でまた戦わなければならないの? どうして!」
「--それは、お前が『絆を絶つ者』だからじゃ、斐比伎」
 斐比伎の必死の問いかけに答えたのは、五十猛ではなく、彼女の肩に乗った少彦名だった。
「……少彦名?」
 斐比伎は驚いて、肩の上の小人を見る。
「……わしらはのう、斐比伎」
 大きくため息をつき、少彦名は語り出した。
「わしと大国主と国津の仲間達は、神代の時代に共に国造りを行なった。わしらは大地に稲種を根付かせ、人や家畜のために治療法を定め、地下から玉水を引いたりもした。人の世の道理を広め、災害を逃れる法を教えてまわったりしたものじゃ。……そうやって、わしらはゆっくりとこの大地を育て上げてゆくつもりじゃった」
 一度言葉を切って息を吸い、少彦名は更に話を続けた。
「しかし、わしらの計画は途中で頓挫した。未完成の地上を、天の奴らに渡さねばならなくなってしまったのじゃ。国津神が始めたものを、天津神が完成させようとする--そうすると、どんな結果になるかわかるかの?」
「……どうなるの?」
 斐比伎はそっと訊いた。少彦名の語る神代の話はあまりにも壮大で、うまく想像することはできなかった。
「そもそも、大地に派生した自然を司る国津神と、宇宙の摂理を司る天津神とは、始めから相容れぬ存在じゃ。この地上は、大地から生まれた国津の神が育てていくのが、一番見合っておったのじゃ。しかし、まだ不完全な内に、まったく異質の天の力を注ぎこまれ、これまでとは違う統治の体制へ転化されてしまった……」
 少彦名は悔しそうに角髪を掻き回した。
「よいか、これはの……『最悪』なのじゃ。まだ、原初から天津に支配されていたほうがましじゃった。異質の統治が対立したため、地上には多くの混沌が残り、国津の計画とも天津の計画とも違う、歪んだ未来が導かれることになってしまったのじゃ……」
 少彦名は、遠くを見つめていった。
「この混沌は、地上に血や魂の混乱を引き起こす。この先大地には、歪んだ縁や淀んだ念が溢れ、やがて『邪(あ)しき絆』を背負った者が生まれてくるじゃろう--」
「……俺達みたいに、かい?」
 五十猛が何故か楽しそうに言った。
「そう。おぬしや、磐城のような者が、じゃ。大王家を見い。天津自身の末裔でありながら、他のどこよりも同族殺しを繰り返す、呪われた一族となってしまっておるじゃろうが」
 少彦名は呟いた。
「わしは、ここをそんな国にしたくはなかった。しかし、わしらは敗れた側じゃ。去らねばならぬ。……悔しかったがの。どうにもならぬことよ--しかし、その時じゃ。大国主が、ひとつの事を予見した」
 少彦名は、斐比伎の肩の上で立ち上がった。
「これから導かれる未来は、誰の手にも止められぬものとなるだろう。地上には、陰を背負った『邪しき絆』を持つ者が多く生まれいずる。しかし、やがて、神と人との狭間に立ち、血と魂、全ての絡んだ縁の……『邪しき絆を絶つ者』が現れる。その者が、いつかこの陰の終焉を導くだろう、と……」
 少彦名は、小さな手で斐比伎の頬をなでた。
「お前はのう、斐比伎。希有なる存在じゃ。……わしはお前に会える日を、ずうっと待っておった……」
「少彦名……」
 斐比伎は呟く。
 少彦名は答えず、ただ目を閉じた。
「--わかったかい、嬢ちゃん」
 構えた剣の切っ先を浮かしながら、五十猛は言った。
「俺たちは、戦わなきゃいけないのさ」
「--どうしても? 私たちが、代わりに神代の決着を担わなくてはならないの?」
「ああそうだ。それが、背負った血の運命だ。--さあ、嬢ちゃん、剣を構えな。あんたが真の『絆を絶つ者』ならば」
 斐比伎は、立ち尽くしたまま逡巡した。
 あまりにも、多くのことを聞かされて。大き過ぎるものを、担わされて。
 どうすれば--何をすればいいのか。古からの結論を託されてしまったからといって……この自分に何ができるのか。
 心が決まらぬまま、斐比伎はただ布都御魂剣を握り締めた。
「……斐比伎。お前は、あらゆる絆を背負い、なおその絆を断ち切る者じゃ。……それが、お前に与えられた運命。……じゃがのう」
 動揺する斐比伎に対して、肩の上にいる少彦名が優しく語りかけた。
「わしはお前に会って思ったのじゃ。定めとか、担う物とかよりも……わしは、お前という娘に『強く』なってほしかった。絆を絶つのは、人にとって最も辛いことじゃ。じゃが、それを振り切ってなお、生きていけるだけの強さを……前に進むことのできる強さを、わしはお前の中に感じたのじゃぞ」
「少彦名……」
 斐比伎は己の肩に乗った小人神を見やる。
 彼女を励ますように、少彦名は笑った。
「そうだよね……」
 斐比伎は呟いた。
 強くなる、ということ。
 皆、それを斐比伎に望んだ。大切な父も、いつも助けてくれたこの小さな友達も。
 ……どんなに苦しいことや、耐えられないことに出会っても、それでも毅然と自分の足で立っていられる人間になりたい。
 穢れたものを見せつけられても、それでも尚、浄らかに鮮やかに笑って見せるために。
 --そんな自分になるために、選ぶべき道は……自分の答えは、何だ!?
「……五十猛。『絆』の終焉が、私に任されているというのなら」
 顔を上げて、斐比伎は言った。
「--私、あなたとは戦わないわ」
「……なんだって?」
 緊迫していた五十猛は、面食らったように言った。
「あなたさっき言ったじゃない。大事なのは、自分が誰でいたいかだって。--私は斐比伎で、建加夜彦の娘。私は『斐比伎』のままでいたいから、そのために、天津神としての戦いを放棄するわ」
 そう言うと、斐比伎は解放されたように晴れやかに笑った。
「……おいおい……そんなのありかよ……」
 呟きながら構えを解いた五十猛は、困惑して頭をかく。
「……それにね。神代、武御雷神と建御名方神が争い、その結果、現世にまでその負の絆が続いてしまったんでしょ。だったらもう、同じことなんて繰り返さないほうがいいわ。違う道の結果を選んで、そこから始まる『新しい絆』をつくる。--これが、私の出した答えよ」
「よいぞ、斐比伎! それでこそ、わしの見込んだ娘じゃ!」
 傍らで、少彦名が嬉しそうに手を打つ。
 五十猛は、しばらく呆気にとられたように斐比伎を見つめていた。
 しかし、やがて苦笑しながら神剣を鞘に納めると、斐比伎に言った。
「すると嬢ちゃんは、俺のやってきたことを全部無駄にしちまう気か?」
「無駄になんてならないわ。全ては、ここへ辿りつくために必要なことだったと思うもの。……ねえ、それに。私、今、あなたの顔見てて確信出来るんだけど。あなたも、これでよかったって、思えてるはずよ」
 斐比伎は自信を持って断言する。
「……ああ、もう。適わねえなあ、嬢ちゃんには……」
 五十猛は観念したように呟いた。
「……いいさ。『絆を絶つ者』がそう言うんなら、ここで終わりにしよう。これでさっぱり、全部おしまいだ。な?」
 言うと、五十猛は清々しく笑って見せた。