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(続)湯西川にて 16~20

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(続)湯西川にて (17)黒潮の海



 高台から房総の沖合を眺めると、周囲の海域とは一段と異なる、
黒っぽい色をした帯状の海域を見ることが出来ます。
これが南の海から流れこんでくる、あの有名な黒潮です。
温暖な南房総の気候が生まれたのは、水温の高いこの黒潮の恩恵です。
クジラの漁港・和田町から、温泉旅館のある鴨川市までは、10キロあまり。
目指す日本旅館は、すぐ見つかりました。


 クジラ漁師の鬼瓦が手配してくれた鴨川温泉の宿「なぎさの湯・鴨川」は、
外房観光地の中心でもある鴨川市の湾曲をした海岸線の、
やや南側に位置しています。
温泉の泉質はほんのりと硫黄が香る、天然の単純硫黄冷鉱泉です。



 「波打ち際で、潮の香りと波の音ぞんぶんに堪能できる、露天風呂。
 緑豊かな庭園を眺めながら、ゆったりとくつろげる広々とした露天風呂。
 最上階からの眺望が楽しめて、雄大な黒潮が自慢の、屋上の大露天風呂。
 この3つが、貸切で予約が取れるそうです。
 あなたのお好みは、どれですか」


 「君と入れるのなら、場所など一切問わないさ。
 どこでも俺は大満足だ」

 「これこれ。
 目の色を変えて、あまり、ガツガツとなさらないでくださいね。
 はしたない。
 目の前が見渡す限りの大海原というのも、
 海なし県の住人にはたまりません。
 では、波打ち際の露天風呂などを手配いたしましょう。
 あ。その前に・・・・
 ここにはエレベーターという便利な設備がありません。
 あえてお客様に、のんびりとして頂くために、
 広々とした廊下と、日本庭園を見降ろしながらゆるやかに上る階段などが
 意図的に配置をされているそうです。
 あなたがまだ、松葉杖を用いているなどとは、
 さすがにそこまで、あの鬼瓦さんも読めていなかったようです。
 まぁ、いさぎよく諦めてくださいな・・・・それだけが不運だと思って。
 歩くも、大切なリハビリのひとつです。うっふふふ」


 じゃあ、この辺りで待っていてくださいと俊彦を、
外が良く見える窓辺の椅子へ置き去りにした清子が、フロントへと急ぎます。
ほどなくして戻ってきた清子が、立ちあがろうとする俊彦を手で制します。

 「一階のお部屋の予約と、車椅子の手配などがすでに済んでおりました。
 私たちがツチクジラのドッグを出た直後に、
 さきさんから、2度目となる電話がこちらのフロントへ入ったそうです。
 私たちの後ろ姿を見送った時に、さきさんはいくつかの不具合に
 すでに気がついて、あらためて予約を設定し直してくれたようです。
 やはり、すこぶる機転のきくお嬢さんです。
 明日の夜の親子の対決なども、今から楽しみになってまいりました。
 ・・・・うふふ。
 あら、動かないでくださいね、あなたは。
 係の方が、今こちらまで、車椅子などを運んでくれるそうです。
 もう少し、こちらでお待ちになって」

 
 「多少は不便だが、かまうもんか、俺は歩いていくぞ。
 病人じゃあるまいし、いい若いものが
 車椅子になんか頼まれたって乗るものか。
 行くぞ、おい。俺なら歩ける」


 「あらまぁ・・・・お口と、元気だけは一人前です。
 車椅子なんかに乗るよりは、清子の肩にすがるほうがよっぽど良いって、
 そう素直におっしゃてくださればいいのに。
 あい申し訳ありません。
 相方は見ての通り、頑固のみがこのように取り柄でありまして、
 このままお部屋まで、なんとか歩くと言い切りました。
 せっかく用意をしていただいた車椅子ですが、
 キャンセルということでお願いします。
 わがままばかりを申しまして、ご迷惑をおかけいたしました。
 ハイハイ、まいりましょうね。それでは、あなた。
 この先には、はるかに長い廊下なだが待っております。
 口の悪い常連さんは、この長い廊下のことを『リハビリの道』などと
 呼んでいるそうです」

 「おい。・・・・
 予約をいれたというその部屋までは、そんなに長い廊下が続くのか?」


 「こちらには、旧館と本館とは別に、
 海に面した離れの間が、最近になって作られたそうです。
 そちらへ行くためには、よく手入れをされた日本庭園を横切っていく
 長い渡り廊下を、越えていかなければなりません。
 なにしろ、広大な敷地面積を誇る庭園は、波打ち際の白い砂浜まで
 延々と続いているというお話です。
 どうします?。
 前言を撤回して、もう一度車椅子を呼び戻しましょうか?」


 「いや。・・・・やはり、それでも俺は歩く」

 「そうそう。それでこそ、泣く子も黙る上州男児です。
 そういうことならば、遠慮などをなさらないで清子の肩に
 つかまってくださいな。
 海岸にほど近く、周囲とは隔絶されたとても静かなお部屋だそうですが、
 少々、遠すぎるというか離れすぎているのが、玉に傷だそうです。
 やはり物事には、どこかに落とし穴などというものが、
 常に潜んでいるようです」

 「やっぱりなぁ・・・・人生、一筋縄ではいかないな。」