鳴神の娘 第三章「吉備の反乱」
言いながら、斐比伎はふと口ごもる。どうやら家に帰れるらしいのは嬉しいが……この五十猛ともう会えなくなるのは、何やら寂しい気もした。
「……ねえ、結局、何もわからないんだけど。どうして封印が解けるのが私だけだったのか。何故、守人はこの神剣を私のものだと言ったのか。……そして、五十猛。あなたが、何処の誰なのか。――教えてくれないの?」
斐比伎は、真摯な眼差しで五十猛を見つめる。五十猛は、困ったように頭を掻いた。
「――あー、それな……。うーん……。今は言いたくねえ、っていうんじゃ駄目か?」
「駄目って言いたいところだけどね……」
諦めたように呟いて、斐比伎は嘆息した。
この短期間のつきあいで、斐比伎にも分かっている。五十猛は余計なことは山ほど喋るくせに、話さないと決めたことは、絶対に言わないのだ。
結局、何も分からないまま終わるのだろう。――無駄だったとは、決して思わないが。彼といて、得るものは多かった。
「でもよ、嬢ちゃん。そうがっかりすんなって。俺とあんたは、またきっと会えるから。俺たちが、互いに神剣の主である以上、絶対。な? 約束だって」
「約束ね……」
勢い込んで言う五十猛に対し、斐比伎はあまり本気にしないで呟いた。
「ところで、ねえ、いなくなる前に、帰り道教えてよ。ここは、一体何処だったの?」
「あれ? 教えてなかったって?」
「そうよ」
「そりゃ、うっかりしてた。すまねえすまねえ。――ここは、吉備の吉井にある、石上山(いそのかみやま)さ」
「吉井の石上山!? 吉備の!? じゃ、私、ずっと吉備の中にいたわけ?」
斐比伎は愕然と叫んだ。
今までずっと、吉備から遠く離れた異郷の地にさらわれたのだとばかり思っていたのに。
まさか、よりにもよって、吉備の山の中にいたとは。吉井ならば、加夜からもそう遠くはないではないか。
「実はな、この山降りるのも、そう大変じゃないんだ。そこの小道をまっすぐ行けば、やがて麓へ出られる。今の嬢ちゃんなら、すぐに帰れるぜ。……いやあ、嬢ちゃんに逃げられないように、嘘ついてたんだが……こんなにうまくいくとは」
森の中を指し示しながら、五十猛は平然と笑った。
「あなたねえ……」
唖然とした斐比伎は五十猛を怒ろうとしたが、結局一緒になって噴き出してしまった。
まあ、結局、世間知らずだった自分が愚かだったということだ。本当に、五十猛には色々といい勉強をさせてもらった。
(なんか、もう、この人のこと憎めないなあ……)
笑いをおさめた斐比伎は、これで最後なんだと覚悟しながら、五十猛に向かって言った。
「さよなら、五十猛。……また、会えるんでしょう?」
「ああ。嬢ちゃんも、元気でな?」
斐比伎の頭をポンポンと叩くと、五十猛は身を翻し、森の奥へ消えていった。
「……さて、少彦名。私達も、加夜へ帰ろうか」
五十猛が去ってしまうのを見届けると、斐比伎はにっこり笑って少彦名に言った。
「うむ」
少彦名が答える。
二人は、麓へ向かって、もう怖くはない森の中をゆっくりと歩き始めた。
吉備、加夜の里。
王の御館の一室では、数日前から、建加夜彦と一族の主だった重臣や長老達が、談義を繰り返していた。
「……しかし、もともとは前津屋王の――下道の不手際でしょう。その責を、何故この加夜が背負わねばならぬのです」
重臣の一人、犬飼(いぬかい)が忿懣やるかたない、という表情で言った。
「前津屋王は老齢じゃ。姫たちもすでにいい年になっておるし、孫となっては男ばかり。
……あの一族には、差し出すに相応しい、めぼしい姫がおらぬ」
自らも老齢と呼べる重臣、留玉(とめたま)がぼそりぼそりと呟く。
「……確かに」
こちらはまだ若々しい重臣、楽々森(ささもり)が頷いた。
「吉備王族の姫で、年齢的にいっても、磐城の皇子にもっとも相応しい姫となると、斐比伎姫となりますが……」
言いながら楽々森は建加夜彦の方を伺った。中央に座した建加夜彦は、無言のまま憮然とした面持ちで部下達のやりとりを聞いている。
大和からの使者が斐比伎の妃入りを求めてきてから、すでに数日がたとうとしている。その間、王の御館では毎夜激しい談議が繰り広げられていた。
従うべきか、はねつけるべきか。吉備の誇りと、戦になった場合の損失。大和との関係。吉備五氏族の均衡。
あらゆる可能性についての、さまざまな意見が交わされた。皆が望んでいるのはただ一つ。吉備にとっての、最も良い解決方法だ。
異論は数あれど、結局大勢は一つの結論へと傾いていった。最も諍いが少なく、平和的な方法へ--。
「……しかし」
渋面のまま犬飼が言った。
「我らが妃入りを受け入れるとしても、肝心の斐比伎姫が行方知れずでは……」
火影に照らされた室の中に、重たい空気が満ちる。一番の問題は、それだった。
大和の宮殿内で忽然と姿を消して以来、斐比伎の行方はようとして知れない。
建加夜彦は忍族を使い、全力をあげて捜索していたが、手がかりは一向に掴めなかった。
ただでさえ不安が高まっていたところへ、今回の使者がきた。突然に矛先を向けられた加夜は落ち着きを無くし、建加夜彦は不快感と心労で苛立ちがちになっていた。
「……俺は……」
陰欝な表情で、建加夜彦は重たい口を開く。
その時、回廊の向こうから激しい足音が聞こえ、扉が突然に開かれた。
「王、大変でございますっ!」
供部が、血相を変えて飛び込んでくる。それを見て、建加夜彦は軽く眉をしかめた。
「--なんだ。今は、大事な話し合いの最中だ。報告なら、後にしろ」
「そ、それが、斐比伎姫がお戻りに……!」
「なんだと!?」
叫んで、建加夜彦は腰を上げる。室の中が、一斉にざわめいた。
「それで、斐比伎はどこに……」
「父様っ!!」
歓喜の叫び声と同時に、突然斐比伎が中へ飛び込んできた。
「ただいま、父様! 心配かけてごめんなさい」
建加夜彦の前に座り込むと、斐比伎は頬を真赤に上気させて言った。
「斐比伎、本当にお前か? よく無事で……大丈夫なのか?」
建加夜彦は驚きながら、突然戻った娘をまじまじと見つめた。
久々に父に会えた喜びで目を輝かす斐比伎は、どこにも弱った様子などなく、むしろ以前の彼女よりも逞しくなったように見える。
「ええ、大丈夫よ、父様」
斐比伎は元気に言った。
「そうか、それならいいが……。お前は一体いままで何処にいたんだ?」
「えっと、それは……話すと少し長くなるんだけど……そうだ、それより父様の方はお元気だった? 里の皆も変わりない?」
斐比伎は一瞬ためらったが、すぐに明るい顔で話題を変えた。
「--いや、俺は、大丈夫だがな……」
建加夜彦は言葉を濁す。その刹那、父の瞳に落ちた陰を、斐比伎は敏感に感じ取った。
「なに? 何かあったの?」
「うむ……」
「--姫」
父娘の会話に、突然留玉が割って入った。
「実は、今、吉備は大変な事になっております」
老いた留玉の真剣な表情に、斐比伎はただならぬ気配を感じ取った。
「どうしたの。一体何がおこったの」
「--留玉」
「いえ、王、わしに言わせてくだされ。姫、実は……」
作品名:鳴神の娘 第三章「吉備の反乱」 作家名:さくら