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鳴神の娘 第三章「吉備の反乱」

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「なによこれ。社じゃなくて、祠じゃない」
 斐比伎は呆れたように言った。
「まあ、大きさ的にはそうだな」
 五十猛は平然と答える。
「ねえ、それで、ここで何すればいいのよ」
「まあ、ちょっと待ってな」
 言い置くと、五十猛は祠の真正面に立ち、声を張り上げた。
「連れてきたぜ。出てこいよ、若日子建命(わかひこたけのみこと)っ」
 静寂の森に、五十猛の声がこだまする。その連呼が消えたとき---祠の前に、一人の青年が現れた。
「ひっ……」
 驚いた斐比伎は、恐怖に声を詰まらせる。
 顔をひきつらせる彼女に、少彦名がそっと囁いた。
「恐れることはない。神霊じゃ」
「神霊……?」
 斐比伎は恐々と青年の姿を眺めた。彼は髪を角髪に結い、白い浄めの衣を纏っていたが……その姿は、半透明に透き通っていた。
「……我は守人。若日子建なり」
 青白い表情のない顔で、神霊は淡々と告げた。
「よお、久しぶりだな。『俺』がわかるか?」
 眼前の神霊を恐れることなく、五十猛はいつもの調子で話しかけた。
「……わかる」
 若日子建は五十猛を凝視し、抑揚のない声で言った。
「だったら、話ははえーや。……約束通り、こいつを連れてきたぜ」
 言うと、五十猛は斐比伎の手をつかんで自分の前に押し出した。
「ちょ、ちょっと……」
 抗おうとした斐比伎は、眼前の若日子建が自分を見つめているのに気付き、吸い寄せられるように顔を向けた。
 対峙したまま、斐比伎と若日子建は無言で見つめあう。
 若日子建の黒瞳は奥深く、そこには何の意思も読み取れない。沈黙は神聖だが重々しく、硬直した斐比伎は息苦しさを感じた。
「……確かに、これは、我の待ち続けたもの」
 若日子建は厳かに告げた。
「娘よ。では、そなたに『資格』があるかどうか試そう」
「資格……?」
 問い返す斐比伎の前で瞳を伏せ、若日子建は感情のない声で言った。
「この祠のどこかに、『扉』を開く『鍵』がある。……それを探せ」
「鍵ですって……?」
 困惑したように呟きながら、斐比伎は祠の周囲を見回した。
 祠には、手前に一つだけ扉がある。しかし、そこには鍵などついてはいなかった。
「なによ、鍵なんて、どこにもないじゃない……」
 苛々しながら、斐比伎は呟く。
「落ち着くのじゃ、斐比伎」
 少彦名は、そんな彼女を諭すように言った。
「慌てずに、よく視(み)よ。……安心せい。成長したお前には、扉を開く資格が必ずある。落ち着いて、しっかりと視るのじゃ」
「視る……?」
 少彦名に励まされ、斐比伎は祠を凝視した。
 立ち尽くしたまま感覚を研ぎ澄まし、身体の裡を空っぽにする。
 指先まで、髪の先までを鋭敏にする。全てを受諾するために。真実を、見抜くために――。
「……あ」
 不意に、斐比伎は瞳を見開いた。
 一つの思念が、確信をもって彼女の中に浮かび上がる。
「嘘だわ。鍵なんてない。扉なんて、ない。……この祠は、まやかしよ!」
 斐比伎は確固たる口調で言った。
 恐れることなく、守人の若日子建を見据える。
「……その通り」
 若日子建が呟くと同時に、祠の幻影が消えた。
 斐比伎達の眼前に、巨大な苔むした岩が現れる。
「――磐座(いわくら)……?」
「そうじゃ」
 斐比伎の肩の上で、少彦名が頷く。
 磐座は、社が建てられるようになるずっと以前の時代に人々が神を祀っていた、神聖なる祭祀場である。
 彼らの眼前にあると見えた祠はめくらましに過ぎず、真に存在していたのは、この磐座なのであった。
 苔むした磐座には太い注連縄がかけられ、その上には二本の神剣が据えられている。
「……あれが、ご神体なの?」
「そうさ」
 そう言うと、五十猛は大股で進み出て、磐座の奥の方に置かれてあった長い神剣を手に取った。
「……これが、十拳剣(とつかのつるぎ)。――俺の剣さ」
 五十猛は十拳剣を掲げ、惚れ惚れと見入った。
 鞘におさまった銀色の十拳剣は片腕よりも長く、柄の部分に黒葛(つづら)を多巻きしている。
「今一つは、娘、そなたのものである。手にとってみよ」
 若日子建が厳かに命じた。
「私……?」
「斐比伎、大丈夫じゃ」
 ためらう斐比伎を少彦名が励ます。
 斐比伎はゆっくりと歩み出て、磐座の上に置かれた神剣に目を落とした。
 柄の部分は美しい翡翠色で、細かな紋様の細工が施されている。こちらの神剣に鞘はなく、透明な刀身がきらめいていた。
「綺麗……」
 呟きながら、斐比伎は神剣を手に取る。
 その瞬間、斐比伎の頭の中に、鮮明な映像が浮かび上がった。

『……すばらしいな、これは』
 幻影の中で、斐比伎と同じ神剣を手に取った青年が呟く。
『これが、かの神剣か。……神が、伊波礼彦命に天より下されたという』
 青年は、恍惚となりながら神剣に見入っていた。
『はい。その後、その神剣は新羅へと渡り、新羅の王子がやってきた際に、再び豊葦原へもたらされたと言われています』
 青年の傍らに立ったいま一人の男は、熱心に弁を振るった。
『……しかし、神府(みくら)に納められていたはずの神剣が、なぜこのようなところに?』
『伝承では、神剣が神府を嫌がって飛び出し、ひとりでにここまでやってきたと……』
『そうか、おもしろい』
 青年は、快活に笑った。
『よいものを得た。わざわざ淡路島まで足を運んだかいがあったぞ。……伊佐芹彦は、あやしげな神剣の威容をもって各地の平定を成功させていると聞くが……もはや、彼らの思い通りにはさせぬ。我が領は、俺が護る。この……』

「ふつ……みたま、の……つるぎ……で……」
 何かに導かれるように、斐比伎は青年の言葉を受け継いだ。
 その途端、神剣の刀身が激しい光を放つ。
「……っ」
 斐比伎は思わず眼を背けた。
 光が止んで再び目を開けた時、斐比伎の持つ神剣からは、透明で美しかった刀身が消失していた。
「あれ? これは……?」
「――危ぶむことはない。刃は、必要なときに現れる。その布都御魂権(ふつみたまのつるぎ)はそなたのものだ。いつも身につけておくがいい」
 若日子建は、落ち着いた声音で斐比伎に告げた。
「……はい」
 若日子建を暫し見つめ、斐比伎は素直に頷く。その姿は、神託を受ける巫女のようだった。
 斐比伎が翡翠色の柄を胸元に納めるのを見届けると、若日子建は無言のまま、溶けるようにその場から消え去った。
 後には、人間二人と小人神だけが残される。
「……さてと。そんじゃ、俺も帰るかな?」
 十拳剣を右肩に担ぎ上げ、五十猛はぼそっと言った。
「――え、帰る? 五十猛、帰っちゃうの? 何処へ?」
 突然の発言に驚いた斐比伎は、この磐座へ来たときと同じような問いを口にした。
「ああ。俺の目的はな、嬢ちゃんにここの封印を解いてもらって、俺の剣を取り戻すことだったんだ。――この、十拳剣を」
 言うと、彼は力を込めて剣の柄を握り直した。
「封印を解くためには、嬢ちゃんに守人に認められるだけの力をつけてもらわなきゃならなかったんだ。……勝手に振り回して、悪かったな」
 五十猛は殊勝に詫びた。彼のそんな姿を見たのは初めてだったので、斐比伎は慌てながら答えた。
「あ、いや、それは……楽しかったから。もういいんだけど……」