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鳴神の娘 第三章「吉備の反乱」

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 健康的に過ごす日々の中で、五十猛の真剣な教えぶりは、逆に斐比伎にある種の信頼感を抱かせた。これまでの生活ではまったく経験したことのない修業の日々が、単純に楽しかったということもある。剣を握るのがこんなにも楽しいのだということを、斐比伎は五十猛に会うまで知らなかった。
 剣を介して、二人の間には師弟のような関係が生まれていた。
 斐比伎は折を見ては五十猛の正体を探ろうとしたが、今の所成功していない。
 五十猛は余計なことをよく喋るわりには、自らに関する事は簡単には口を割らなかった。何度か試すうち、斐比伎には彼が相当に抜目なく、頭のいい男だということがわかった。
 武術の腕は最高だし、相当に豊富な知識も持っている。粗野な外見をしているのだが、彼の物腰には意外と品性を感じられた。
 本当に、何者だろう。親しくなるほどに、斐比伎の中でその疑問が強くなった。
 奴人ではあるまい。王族かどうかは決めかねるところだが……どこかの国の、位の高い将軍とか? 戦に破れて、逃亡中というのも考えられる。じゃあ一体、どこの人だろう。なんとなくだが、大和や東国ではないような気もするけれど……。

「--ああ。行ってきな」
 五十猛は右手を上げて、木立ちの奥に流れる小川を指さした。斐比伎が駆け出すのを見届けて、彼はその場に腰を下ろす。
「……随分と成長したではないか? あの子は」
 ぴょこぴょこと歩いて五十猛の傍らにやってきた少彦名は、彼の隣に腰を下ろした。
「ああ、この短い間でな。流石ってことか」
 言うと、五十猛は少彦名に向かって意味有り気に笑った。
「……しかし、今こうしてお主と斐比伎が協力する事になろうとはな」
 少彦名は空を見上げて言った。
 灰色がかっていた冬空も、少しずつ明るさを増していっている。季節は、ほんの僅かずつだか移ろいつつあるのだ。
「まあ、不思議な因縁だよな」
「神代から数え切れぬほどの時を経て--人の世の因果は、どうにもならぬ程に絡まってしまった」
 少彦名は物憂げに呟く。
「そうだな。殆どは、人間達が勝手にごちゃごちゃにしちまったもんだが……最初の原因の一端は、お前さんにもあるんだぜ」
「--否定はせぬ」
 少彦名は平板な声で言った。
「……だから今、あの子の傍におるのじゃ」
「随分と期待が大きいねえ。あのさあ」
 そこで言葉を切り、五十猛は自分の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
「可哀想にならねえ? 俺ぁ、どーも自分が悪いことしてるみたいで……」
「それはわしもあの子に会って考えた。……出来るなら、今のままでいさせてやりたいと」
「あの嬢ちゃんは、何にも知らねえもんなあ」
 五十猛は困惑したように呟き、苦笑した。
「--お主は『記憶』はあるのじゃろう?」
 少彦名は五十猛に聞いた。
「どっちの?」
「……どちらもじゃ」
「ああ、あるよ。『魂の記憶』も。『血の記憶』も。……消えるわけがねえ」
 五十猛は憂鬱そうに呟いた。
「だがな。『記憶』はあっても、俺は俺だ。この自我は、『五十猛』自身ってことなんだ。--だからこそ、俺はそのために古の因果を解く。それが、俺の戦う理由さ」
 五十猛は決然と言う。彼の瞳には、少しの迷いもなかった。
「……お主はいつでも前向きじゃのう。自分で選んだ道を、決して変えぬのじゃ」
 少彦名は羨むように呟いた。
「あの時も、お主は一人で最後まで抗った。他の者達がすべて退いてしまったというのに。……お主一人だけが最後まで戦ったのじゃ」
「……それ、は『俺』じゃねえけど」
「同じことじゃ。……懐かしいと言えばよいのかのう」
 少彦名は、ほう、と嘆息する。
 五十猛は、皮肉げな目で少彦名を見下ろした。
「--それなのに、お前さんは、今俺じゃなくて、あの嬢ちゃんを選ぶんだな」
「選んだのではない。……全てはさだめじゃ」
「はいはい」
 五十猛は適当に答えた。
「お主は前へ進もうとしておる。斐比伎の行く末は混沌じゃ。……しかし、『あやつ』は……あやつは、『記憶』どころではない。恐ろしいことになっておるぞ」
「ああ、わかってる。だからもう、行くさ」
 言うと、五十猛は立ち上がった。
「『行く』?」
「不安定な巫女姫だった嬢ちゃんは、自信と実力を取り戻して、本来の自分に立ち戻りつつある。--もう大丈夫だ。行ってもな」
 五十猛は目を上げて、木立の方を見やった。
 戻ってきた斐比伎が、彼らのほうへ向かって駆けてくる。
「よう、嬢ちゃん。水はたっぷり飲んだか?」
「ええ、冷たくておいしかったわよ! あなたも飲んだら?」
 斐比伎は上気した顔で答えた。
「いや、いいさ。それより、休憩が済んだのなら、行くぜ?」
「行く? 何処へ?」
 不意に言われた斐比伎は、きょとんとした表情で答えた。
「俺ぁ最初に言ったろ? 嬢ちゃんを連れてきたのは、ある社の扉を開けてもらう為だって」
「……ああ。そう言えば、そうだったわね」
 斐比伎は、思い出したように手を叩いた。
 修業に夢中になっているうちに、本来の目的をすっかり忘れてしまっていたのだ。
「もう行くの? 今から?」
「ああ、今からだ。ついてきな」
 言うなり五十猛は踵を返し、小川とは反対方向の木立に向かって歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 少彦名、おいで」
 斐比伎は少彦名を呼んで自分の肩に乗せると、五十猛を追って走った。

 五十猛は、前へ向かってずんずんと進んでいく。斐比伎はその背を追いながら、見失わないようにするので精一杯だった。
 短期間の森小屋生活で斐比伎がうろついていたのは、周辺のごく限られた範囲でしかなかった。今歩いている場所など、どこなのかまるでわからない。見知らぬ森の中は、昼なお暗く、無気味である。斐比伎は、はぐれないように必死についていっていたが、不意にふとあることが気にかかり、五十猛に声をかけた。
「……ねえ、五十猛」
「なんだよ」
 五十猛は前を向いたまま答えた。
「考えてみれば、あなた最初から少彦名と馴染んでたわよね。彼を見て驚かなかったの?」
「……」
 五十猛は暫く無言のまま歩いていたが、やがてぼそりと言った。
「あんたは、少彦名を見たとき驚いたかい?」
「始めは驚いたけど……すぐ慣れちゃったわ」
「俺も同じさ」
 五十猛は振り返り、斐比伎をからかうように笑った。
「世の中には、いろんな奴がいる。そういう嬢ちゃんだって、結構変わった生き物だろ」
「それはそうだけど……」
「言っとくが、この俺だって、わりと嬢ちゃんと似たような生き物なんだぜ」
「ええっ!?」
 斐比伎は驚愕の叫びを上げた。
「あなた、巫なの!?」
 斐比伎は、改めて五十猛をまじまじと凝視した。
 その野性味溢れる姿からは、とてもではないが、巫の威容や神秘性は感じられない。
「さあて、どうだろな……おっと、着いたぜ」
 はぐらかすように言うと、五十猛は足を止めた。
「ごまかさないでよ!」
「ごまかしてなんかないさ。本当にここなんだ。ほら、嬢ちゃん見てみな」
 五十猛は、すぐ前の鬱蒼とした木々を指さした。斐比伎は憮然とした表情で示された方に目をやる。
 木々の中には、小さく古ぼけた、汚い『祠』が鎮座していた。