架空植物園
白龍の松
長く続いた日照りのせいで村中の田んぼは全滅だった。畑はじゃが芋や豆類の収穫が終わっていて、食べるものが全く無いということは無い。皮肉なことに稲が全滅したあとは例年通りの天候が続いている。もう少したてばサツマ芋も収穫できるだろう。しかし米無し冬を越すのは難しい。
山を越した所にある隣村は、豊富な湧水を抱えており、雨の降らないこの夏にも稲は順調に育っているという話が伝わって来ている。他の村でも稲がダメになった所もあり、先を越される恐れもあるので、村長である吉右衛門は収穫前にもかかわらず、その米を少し分けて貰う交渉に出かけるところであった。もちろん買うわけではなく、借りるのである。以後何年かに分けて米を返してゆくことになる。借りた分だけでは済まされず、五割増しの請求もあり得ることだった。
その気の重さが足の重さにまでなっているようで、普段なら沼はもとより、山を越えるのに休むことも無いのに、疲れを感じて沼の前で立ち止まった。沼は無残にひび割れた底を見せていた真夏よりはよくなっていた。沼の周りには生命力の強い植物が枯れずに残っている。この沼を起点とする小川を用水にした稲作作りだったが、吉右衛門が知っている限りこんな年はかつて無かった。
(ああ、稲もこれくらいの生命力があればなあ)
嘆いてみてもしょうがないことは分かっている。
「龍神様にも捧げるものが無い」
吉右衛門は、沼のそばにある小さな小屋に向かって呟く。もう何十年経つだろうか。開墾まぎわのこの村の田畑が小動物に荒らされることが続いた。村人も苦心して見回りなどをしていたのだが、大きな蛇の目撃情報が増えるにしたがって、被害は少なくなっていった。村人が誰言うともなく龍のような鱗をもつ大蛇を龍として扱い、ネズミやモグラなど、時に鶏などを供える祠付きの小屋を作った。事実それらの供物はいつの間にか無くなっており、大蛇が食べている「ことは確かだった。
吉右衛門は気を取り直し、小屋の脇から隣村に抜ける山道を登りだした。やがて香ばしい匂いがしてきた。焼きだんごのような気もするし、煎餅のような気もする。
(はて、この山の中でなぜこのような匂いがしているのだろう)という疑問が浮かんだが、この夏以来の粗食のせいで、幻聴ならぬ幻臭かもしれぬと苦笑した。だが、前に進むたびにその匂いが強くなってきた。
(はて、こんな所に松の木は無かった筈だが?)
太い倒木が道を塞いでいた。臭いのもとはこの木のようだった。吉右衛門は近寄って鱗状の樹皮を掴みとった。食欲をそそる臭いにつられ、それを囓ってみる。サクッとした歯ごたえが気持ち良かった。全く樹皮の感じは無く、柔らかめの煎餅のようだった。
(おいしい!)
一枚を食べ終えて、なぜこのようなものが現れたか理由はわからないが、これはほぼ食料になると感じている。吉右衛門は傍らに座り込み体に変化が無いかを探りながら、これからの予定を考えていた。
かなりの量がある筈だが、村人が一斉にここにやってきて、これを奪い合いするのは困る。やはり村人を集めて収穫するのがいいだろう。それを倉に入れて保存をする。疑惑を封じるために鍵の上に封印するのもいいだろう。定期的にそれを各戸主全員の目の前で家族数に応じて配分する……そこまで考えて時間が経っても吉右衛門の体に悪い変化は無かった。それどころか一気に山を越えられる元気が湧いて来たようにも思えた。