小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

鳴神の娘 第一章「雷(いかづち)の娘」

INDEX|7ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

 だが、それ以外に何があるだろう。何の利用価値もない捨子を、王が周囲の反対を押し切ってまで「姫」として据えるだろうか?
 --答えは「否」だ。
(でも、別にそれでもいい。戦うためだけに育てられた娘だったとしても。吉備のために戦えるなら……)
 斐比伎は立ち上がり、室の隅にあった長持の蓋を開けた。ごそごそと底を探し、一個の人形(ひとがた)を取り出す。
「ほらこれ。あなたの衣に、丁度いいでしょ」
 斐比伎は、少彦名の前に人形を突きつけた。神と人形は、丁度同じ位の大きさだった。
「……うむ」
 少彦名は頷く。斐比伎は人形から上衣と袴をはぎとり、少彦名に着せてやった。
「男物でよかったね」
「そうじゃな」
 手足を動かしながら、少彦名は答えた。どうやら着心地は悪くなさそうだった。
 白い麻布で作られた簡素な上下は、まるで神事で着る浄めの衣のようだ。それを纏った少彦名は妙に厳かで、確かにこの世の者ならぬ--神族の一員であるかのように見えた。
「髪、結ってあげるね」
 人間用の櫛と糸を使いながら、斐比伎はなんとか少彦名の髪を結おうとした。誇り高き神族であるという以上、やはりきちんと角髪を結っていなくてはならない。
「……のう、斐比伎」
 髪を斐比伎に任せたまま、少彦名は呟いた。
「なに?」
「己の親を知りたいか?」
「……さあ。どうだろう」
 斐比伎は曖昧にごまかした。
「どうだろう、とはなんじゃ。そのような境遇であったら、誰しも生みの親を知りたいと
思うものではないのか?」
「別に、そうとばかりは限らないわよ」
「……? 何故じゃ?」
「ああ、だって、それは」
 角髪を結んだ糸を切り、斐比伎は言った。
「私、父様のことが大好きだもの」
 あたりまえのように斐比伎は呟いた。
「……ほお」
 髪と衣を整え、なかなかにりりしい少年神の姿になった少彦名が、感心したように言う。
「そうなの。だからよ」
 斐比伎はにっこりと笑った。
 探そうと思えば、手がかりはいくつかあった。自分は「雷の娘」であり、「水の属」である。闇於加美神の祝の血筋を探っていけば、やがて己の出自を知る者に辿り着けるかも知れない、だが……。
 それを求めるのは、吉備国から--いや、父・建加夜彦から自ら離れる道を選ぶことになる。
 顔も知らぬ両親と、十六年間自分を守ってくれた父。どちらが大切かなど、考えてみるまでもない。
 そう、一番恐いのは、建加夜彦の側にいられなくなることだ。本当の正体なんて、関係ない。自分はただ、「吉備の姫」でいたいのだ。その為に、己の「力」が存在理由になるのなら、大いに吉備のために役立てよう。
 自分が何者かなんて、考えなくていいから……。
 
--その時、扉の向こうから足音が響いてきた。
 幾人かの男達が、回廊を渡り、こちらに近づいてくる気配がする。
(この気配は……)
 斐比伎の瞳に、喜びの色が浮かんだ。
「少彦名、早く隠れて!」
「な、なんじゃ!?」
 慌てる少彦名を掴み、斐比伎は素早く己の襟首に放りこんだ。
「父様がいらしたのよ!」
 軽く居住まいを整え、扉の方を向いてきちんと座る。手を膝に乗せ、顔を上げた時、扉の向こうから声がかかった。
「斐比伎? 俺だが、よいかな」
「はい、お父様」
 斐比伎はお行儀よく返事する。それを受けて、眼前の扉がするりと開けられた。
 数人の供部を従えて、加夜族の首長・建加夜彦王が現れる。
「……そなたらは下がれ」
 供部に命ずると、建加夜彦は室の中へ入り、斐比伎の前に座った。供部達は扉を閉め、命じられたままに室から離れる。
 父と娘は、座したまま対峙した。
 建加夜彦が何か言うまで、斐比伎は黙って父の顔を見つめる。
 ここ数日、建加夜彦は用事があって加夜の里を離れていた。こうしてゆっくり対面するのも、ほぼ三日ぶりと言うことになる。
(……こうして改めてみると、やっぱり父様は素敵だわ)
 ほんの数日離れていただけなのに、斐比伎には随分久しぶりに逢ったように感じられた。
 少し前に里に戻ったらしい建加夜彦は、既に襲(おすい)を脱いで楽な衣に着替え、堅苦しい角髪もとき下ろし、長い黒髪を緩く一つに束ねていた。
 建加夜彦は窮屈な格好が苦手らしく、里内にいる時は大抵そのような姿をしている。だが、そんな気楽な格好をしていてさえ、彼の物腰には、常に泰然とした威厳があった。
 吉備加夜族を背負う、建加夜彦王。彼はいつも冷静で、思慮深く、落ち着いた様子で物事をとりおこなう男であったが、同時にかなりの切れ者であり、その鋭い眼差しの奥には、底知れぬ何かが感じられた。
 一族の者は、王に全幅の信頼を置いている。無論、斐比伎にしてもそうだ。頼もしい王であり、包容力深い父。しかも……。
(しかも、父様は、吉備で一番美しい方だわ)
 斐比伎は、惚れ惚れと父の姿を眺めた。
 建加夜彦は、実際には既に三十路を越えているのだが、こうして見ると、とてもそうは思えない。若々しいその姿は、二十歳を過ぎたくらいの若者のように感じられる。
 目鼻立ちの整った美しい面。その中でも、切れ長の鋭い黒瞳はとりわけ魅力的だった。
 明るい陽の下で見ても輝いている人だが、こうして火影に照らされた姿は、また一段と趣がある。大人の男独特の、憂愁の美だ。
「--社の婆どもと、もめたそうだな」
 不意に、建加夜彦が言った。
「えっ……」
 斐比伎は驚いて絶句する。そんな娘の様子を面白がるように、建加夜彦は更に言った。
「それでどうなった。やり込めてやったのだろうな。お前のことだから」
 言葉に批難の響きはない。建加夜彦は、楽しそうに娘の返答を待った。
「……驚いた」
 斐比伎は目を丸くし、胸を押さえて呟く。
「父様って、本当になんでもご存じなのね」
 火の巫女達は、建加夜彦が里を留守にした隙をついて、斐比伎だけを社へ呼び出したのである。しかもその伝達には、巫女直属の下僕を使ってきたのだ。
 斐比伎が父に言いつけぬ限り、この件が彼の耳に入るはずはなかった。
「俺に知らぬことはないよ。お前のことも。この吉備のことも。全て」
「……ええ。そうね、そうね父様」
 知られていたということで、逆に斐比伎は安心した。堰を切ったように、父に向けて不満の塊をぶつける。
「そうなの! あの婆達ときたら、私に神事に参加するなっていうのよっ。私が、父様の本当の娘じゃないから。連なれば、大吉備津彦のお怒りをかうって言うのよ。こんな理不尽なことってある!?」
「……それで、婆どもと喧嘩して、社を飛び出した挙げ句、川で暴れていたというわけか」
「やだ、そこまでご存じなの?」
 斐比伎はややきまり悪そうに言った。建加夜彦は膝を崩し、軽快な笑みを浮かべる。
「さっき、小弓が血相変えて告げにきた。わが娘殿の、濡れ鼠姿が拝めるものかと早々にやってきたが--残念だな、一歩遅かったようだ」
「やだもう、父様ってば、お人が悪いわ!」
 笑う建加夜彦の前で、斐比伎は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「……まあ、いい。あの婆どもにも、たまにはいい薬になったろう。なにしろ、火の巫女様に堂々と意見できる者など、この俺のほかには、お前くらいのものだ」