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鳴神の娘 第一章「雷(いかづち)の娘」

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 口調はじじむさくて横柄なのに、声音はどうも、幼い少年のようなのである。
(子供? 子供なんてどこに……)
 斐比伎は困り果てる。ついに、声が焦れたように叫んだ。
「ここじゃっ。お前の足下じゃ!」
「えっ!?」
 斐比伎は驚愕し、己の足下を見下ろした。 剥き出しの素足の浸る、小川。その、水の中に--。
「…………『蛾』?」
 水面を凝視したまま、斐比伎は頓狂な声をあげた。
 水の中に、ほのかに光る、掌くらいの大きさの蛾が浸かっていた。ばたばたともがきな
がら、溺れかけている。
「が、が、がが、蛾がしゃべった!!」
 異様な光景に呆然としていた斐比伎は、我に返って大声を出した。
「な、何なの、蛾のくせに! 大きい。光ってる。しゃべってる!」
「その位のことで驚くな! お前のほうが、よっぽど変わった生き物じゃ、『雷の娘』」
「えっ」
 斐比伎の顔が強ばった。何故、突然現れたこの奇妙な『蛾』が--いきなり斐比伎の本質を言い当てるのだ?
「だいだい、わしは蛾ではない。--いや、そんなことよりも、早う助けんか! お前が考えなしに雷撃など落とすから、わしの船がひっくり返って溺れそうではないか!」
 蛾は必死にもがきながら、怒りの声を上げていた。              
 よく見ると、蛾のそばに、ガガイモ(羅摩とも呼ばれる薬草の一種)の割った実がひっくり返って浮いている。それは確かに小船の形に似ており、この大きさの蛾の「船」としてはちょうどよい代物であったが……。
「判ったわよ。今助けるから、ちょっとじっとしてて」
 斐比伎はとりあえず、身を屈めて、水の中から蛾と--ついでにガガイモの実も拾い上げた。疑問は数々あったが、このまま放っておけば、本人の言葉通り蛾が溺れ死んでしまいそうだったのである。
 斐比伎は岸に上がると、蛾と小船を土の上に置いた。そのまま彼女もしゃがみこみ、蛾の様子を凝視する。
 よく見てみると、それは確かに『蛾』ではなかった。中指くらいの大きさの『小人』が、蛾の皮を被っているのである。
「まったく、なんということをするんじゃ。おかげでひどい目にあったわい。わしは、お前と違って水の属ではないんじゃぞ!」
「……じゃあ、何よ」
 斐比伎はぼそりと呟いた。それは、とても素朴な疑問だった。
「神族じゃ」
「神族ぅ!?」
 斐比伎は疑わしげに聞き返した。
 濡れそぼった蛾の皮を被って、ぶるぶると震えるその姿は、非常に哀れなものであった。
とてもではないが、神族の威厳などは感じられない。
「……まあ、ようするに……小人なんでしょ。初めて見たけど」
 斐比伎は自分なりに納得して呟いた。初めこそ驚いてしまったが、そういえば、いつか古老の昔語りで、古の時代にはこういう生き物がいたと聞いたことがある。
 大体、自分だってどちらかと言えば人外に近い存在だ。他にも異端の存在があったとしてもおかしくはないだろう。
「ただの小人ではない。『小人神』じゃ!」
「やっぱり小人じゃない」
「だから、神の一員なのじゃっ」
 小人は、顔を赤らめてそう主張する。むきになっている彼の姿は、落ち着いて眺めてみると結構おもしろかった。
「……神っていうよりも、濡れネズミみたいよ。あ、『濡れ蛾』、か」
「誰のせいじゃと思っとる! ……ううう、しかし寒くてたまらん。溺れ死にの次は、凍え死にしそうじゃ」
 小人は、本当に寒そうに身体を震わせた。
 『雷の娘』である斐比伎は、水に浸ろうが電流を感じようが、何ら苦痛には思わない。いや、むしろ心地よいくらいだ。
 しかし、『神族』を主張しながらも、「水の属」ではないという小人にとっては、この状態は結構危険なものなのかも知れなかった。
「とりあえず、その濡れた蛾の皮を脱いじゃえば?」
 言うが早いか、斐比伎は小人を捕まえて、その身に纏った蛾の皮を引き剥がした。
「うわあ、きったない……」
 斐比伎は、顔をしかめながら蛾の皮を放り捨てた。
「なにをするんじゃ! やめんかっ」
 小人は必死に抵抗した。乱暴に扱われることを嫌がっているというよりも、皮を剥ぎとられ、裸になってしまったことが恥ずかしくてたまらないようだった。
「あなたのためにやってるんでしょ。ばたばたしないで!」     
 斐比伎は肩に掛けていた領布をはずし、それで小人の身体を拭いた。
「大体、何恥ずかしがってるのよ。あなた小人っていっても、まだ子供じゃない」
 斐比伎はお姉さんぶって言った。小人の外見は、人間でいえば十歳位の幼い少年のものだったのだ。
「ばかものっ。わしは、生まれてからゆうに数百年は経っておる」
「ああ、そうねーー、『神様』だものねー」
 あまり本気で相手にはせず、斐比伎は領布で、泥に塗れていた小人の顔を拭いた。
「あ、可愛いじゃない、あなた」
 斐比伎は明るい声を出す。現れた少年の顔は、かたち整い、非常に愛らしかった。
「当たり前じゃ。それより、わしの皮を返せ」
「あんな汚いの、もう捨てちゃいなさいよ。大体、神様だっていう人が、何であんなみすぼらしいもの着てたわけ?」
 乱暴に全身を拭かれ、ぼさぼさになった小人の頭を、斐比伎は指先で軽く整えた。
 長い黒髪は、小さいながらも結構質がいい。後できちんと角髪を結ったら、なかなかりりしい少年になるだろう。
「ばかものっ。天の羅摩船に乗り、蛾の皮を着て、波頭を伝わり、光り輝きながらやってくる。これが神代からの、わしの正しい現れかたじゃ」
「じゃ、どうしてもまた蛾の皮が着たいの?」
「うむ。そうでなければならぬ」
「でも、どうするの? さっきのは、もう使い物にならないし。この季節じゃあ、蛾なんて飛んでないわよ? 大体、あんな大きな蛾、どこで捕まえてくるのよ」
「……」
 斐比伎に指摘されて、小人は口ごもった。
 どうやら、蛾の皮を着れないということは、彼にとって相当の衝撃だったらしい。
「まあ、元気だしなさいよ。とりあえず、今はこのまま領布にくるまってればいいじゃない。御館に戻ったら、昔使ってた人形の衣を探してあげるから。それ着たほうが、きっと似合うわよ」
「……うむ。まあ、ではそれでも良かろう。案内せい」
「はいはい、神様」
 あくまでも高飛車な態度の小人を連れて、斐比伎は里へ向かって歩き出した。


(……なんか、妙なことになっちゃったなあ)
 長い領布に埋もれた小人を肩に乗せたまま、斐比伎は考えた。   
 このまま、この小人を御館に連れていって、どうすればいいのだろう。
 とりあえず、休ませてあげた後は……。
(前に拾った兎みたいに、私が飼い主になって面倒を見ることになるのかなあ……)
 でも、それもいい、兎よりは余程面白そうだ、と斐比伎は思った。
(父様も、きっと反対しないわ)
 斐比伎は漠然と期待した。厳しい王として知られる建加夜彦だが、その内面には以外と寛容な部分もある。何しろ、この自分を拾って育てたくらいだ。この小人のことも、多分許してくれるだろう。
(父様さえ味方にすれば、御館の者達なんて、どうにでもなるしね)
「……そうだ、神様」
 考えをめぐらしていた斐比伎は、不意に思い出したように言った。
「なんじゃ、雷の娘」