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鳴神の娘 第一章「雷(いかづち)の娘」

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 けれどそれは、斐比伎にとってむしろ誇れることだった。容赦の無い現実を生き抜くためには、激しさは一番必要な武器であったから。
 苛烈な魂は、誇らしいものだ。--父はそう言ってくれた。斐比伎も、そう信じていた。
(でもそれがせめて、幼い頃望んだように、焔の激しさだったなら……)
 簪を拾って、斐比伎は立ち上がった。疾走した上に暴れたので、長い黒髪は目茶苦茶に乱れている。
「これじゃあまるで、狂い女か罪人だね」
 斐比伎は笑って呟いた。こんな姿の斐比伎を見ては、加夜族の姫だと思う者もいまい。
 真冬の川の中に立っていたため、斐比伎の素肌はすでに紫色に変色していた。浅黄色の裳裾も川につかり、水は膝の辺りまで上がってきている。
 当然、冷たさは感じている。だが……。
「真冬の川でこんなことして、あんまり苦痛を感じないどころか、かえって気持ち良いくらいだなんて。やっぱり、私は……」
 その続きは、口にはしなかった。
 斐比伎は確かに幼くてわがままではあったが、決して愚かではなかった。いや、むしろ、人よりも洞察力に優れていると言っていい。あの巫女達が、言葉の裏で何を思っていたのか--彼女には、ちゃんと判っていた。
 「拾い子」であることを誰よりも自覚していたからこそ、逆に吉備を激しいほど愛し、加夜の姫として誇り高く--時には横柄とまで言われるほどに振舞った。
 『鳴釜の神事』に参加できる事は、吉備の王族達にとって、成人と--一人前と認められた証である。斐比伎は自分もそれが叶えば、本当に吉備族の一人として認められるような気がしていた。だから、大人になる日を指折り数えて待っていたのに……。
 所詮は、無意味な夢だった。
 血の問題だけではない。二重の意味で、斐比伎という存在は吉備にとって異端者だったのだ。
「……大吉備津彦命は、やっぱり私を許してくれないのかな……」
 斐比伎は呟いた。
 「吉備津彦」は、はるかな昔に実在し、吉備を護るために大和の侵略軍と戦った伝説の英雄である。彼はその死後年月の経過に従って、それまでの守護神・火之迦具土神と同一視されるようになった。今日においては、二柱共に同格神として「吉備津の社」に祀られている。
 元々は、別の神であったはずなのだが……。
「--でも、たとえ大吉備津彦命が許してくれても、火之迦具土神は、絶対に私のことを認めないよね」
 斐比伎は自虐的に笑った。頭を振り、前方を見据える。
 表面上押さえた怒りは、身の内に溜められて、荒ぶりながら出口を探していた。
「……っ」
 斐比伎は右手に鋭い痛みを感じた。見下ろすと、白い肌のまわりで青白い火花が舞っている。
 衣を纏う彼女の身体のいたるところで、青白い火花が弾けていた。乾燥した真冬の空気に反応し、バチバチッと鋭い音をたてる。
「だめだな、これは……」
 呟いた投げやりな言葉とは裏腹に、斐比伎の眼は輝き始めていた。
「出してしまわない、とっ……!」
 斐比伎の幼い顔に、挑戦的な笑みが浮かぶ。高ぶる心のまま、両手を頭上に高く掲げた。
「誰もいないよねっ!」
 確かめるように叫んだ。荒涼たる真冬の川辺には、ただ寒風が吹きすさぶのみ。答えるものは何もない。
「よーしっ。行っけ--っっ!!」
 叫びながら、勢いよく両手を振り下ろした。
 同時に、力の奔流を彼方の川面に向かって叩き付ける。
 すさぶる力は、導かれるまま斐比伎の身体から躍り出た。空を焦がし、そして--。
 ピシィィッッ!!
 光柱が、川面に突き刺さった。
 斐比伎の放った雷撃は、激しく大気を焼いて落ち、勢いのまま水中を走った。
 高圧の電流が満ちる水の中で、斐比伎は楽しそうに笑う。
「気持ち良い……!」
 無邪気にはしゃぐ彼女は、心から楽しそうだった。
 この、解放感。
 この瞬間に勝る爽快など、どこを探してもありはしない。
 斐比伎は風になびく髪をかき上げ、楽しそうにばしゃばしゃと水を蹴った。
「これが私の力よっ。誰よりも、誰よりも強いんだから! 巫女のばばあが束になったって、足下にも及ぶもんかっ」
 嬉しそうに、斐比伎は叫ぶ。
 因習に縛られた婆どもが、その権威を背に何を言おうと。
 もしも自分が、本当にその気になれば。
 微弱な力しか持たぬ火の巫女達など、指一本でねじ伏せることが出来る。
 それほど強力な雷撃を、自分は意のままに操ることが出来るのだ。

『……成程な。ではお前は【雷の娘】か』
 斐比伎が初めてこの能力を顕現した七歳の時、側にいた父・建加夜彦は感嘆したように言った。
『【いかづちのむすめ】ってなんですの、父様?』
『雷は、水津波(みづは)に属する力だ。水の巫の中に、ごく稀にこうした能力を持つ者が現れると聞く。闇於加美神(くらおかみのかみ)の巫女姫の系譜にもあったらしいが……。しかし、周りに誰もいないのは幸いだった。斐比伎、これからはけして人前でこの力を見せてはいけないよ』
『どうして?』
『……危ないからだよ』

 --その時の斐比伎はまだ幼かったので、父の言葉を額面通りに受け取った。しかし成長した今では、斐比伎にも、父が何故自分の力を戒めたのかがよく判る。
 強すぎる力は、他の人々の心に恐怖を呼び覚ます。それは、やがて「禍」となるものだ。
 神代から離れたこの人の世にあって、これ程の力は良くない「おそれ」となるだろう。
 だから、斐比伎の本当の力を知っているのは、建加夜彦だけだった。火の巫女達も、斐比伎の水の属性を感じ取り、本能的に反発を感じてはいても、彼女がこれ程の脅威であるとは想像していまい。
(……ああ、でも、だからあの婆さま達は、私を『鳴釜の神事』に呼びたくないの知れな
いなあ……)
 あの神事は、火の神の祀りだ。その最も神聖な場に、「敵」ともいえる水の巫女を招き入れる馬鹿がいるだろうか?
「どうせ、たたりが起こるとでも思って怯えてるんだろうな」
 だったらいっそ、乗り込んでいってどんな災厄があるのか試してやりたい気もするが。
 しかしそんなことをすれば、吉備が--何より父である建加夜彦が、困ったことになるかも知れない……。
(どうしたものかしらね)
 溜まった怒りを放出して、幾分すっきりした斐比伎は、川から上がろうと、両手で裳裾をたくしあげた。岸へ向かって歩き出そうとする。
 --その時。
「待たんか、そこの娘!」
 突如、甲高い叫び声が響き渡った。
「えっ!?」
 仰天して斐比伎は振り返る。
「誰!? 誰かいるのっ?」
 慌てて斐比伎は周囲を見回した。
(見られた!? そんな……)
 雷撃を落とす前、ちゃんと周囲に人影がないことは確認したはずだったのに。見落としていたのだろうか--。
「ここじゃ! ここにおる! はよう、見つけんかっ」 
 声は更に斐比伎を急かす。斐比伎は焦りながら声の主を探すが--。
 彼女の眼前にあるのは、ただ流れる川とそれを取り巻く荒れ野のみ。遠くに、立ち枯れた木々が立っている。更に遠くには、かすむ山々が見えるが。
 人の気配など、どこにもありはしない。
「ねえ、どこにいるのよ!」
 困惑して、斐比伎は叫び帰す。
「ここじゃ!」
「ここってどこよっ」
 不毛な問答が続く。それにしても、奇妙な声だった。