偽物
侍はうなずくと門下生達と一緒に道場の中に入っていく。
「一体どうなっちまうんだ。」権兵衛がひとり言をつぶやき辺りを見渡すとどこから湧いたか野次馬の群れが道場の前に集まってきている。
「あのお侍さん新陰流に道場破りたあ無謀だぜ。」
「若くて腕っ節に自信があろうとよ。」町の衆が好き好きな憶測でものを言う。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」老爺が目を瞑り手を合わせて念仏を唱える。
権兵衛は庭にそろそろ入ると、稽古場を探し向かう。稽古場の扉の隙間から声が漏れ聞こえる。ごくりと息を飲んで中をそろりと覗き込む。
「兄先生、ここは拙者が相手をさせてください」
七人のうち一番若い門下生が筆頭に願い入れる。
「よかろう。」筆頭はうなづき、
「獲物を渡してやれ。」
「はっ。」
若い門下生は棚に置いてある木剣を一本取り侍に手渡す。
「後悔するぞ」
侍は意に介せず手渡せれた木剣を二度三度と素振りし、感触を確かめる。
「言い忘れていたが、この道場では真剣は禁止だが防具の類はつけん。いかな木剣といえど当たり所によっては絶命するやもしれぬが自分の命は自分で守ることだ。」
「委細承知。」
二人の間がじりじりと近づく。
新陰一刀流頭首、三代目柳生 兵衛は当世名うての剣豪として世に広くその名を知られている。色々な大名からも剣術指南役としての指名も多く、その方碌が新陰一刀流の道場を支え、このご時世に何人もの門下生を抱えることができていたのだ。三代目として兵衛は柳生の家および道場を守ることのみ己の人生を捧げてきた。そのことに自負を持ち存在価値と考えている。
庭の獅子落としが心地よいリズムで音を鳴らす。
その音に耳を傾けながら五輪の書を読み解くのが兵衛の日課であった。この時間は道場の稽古にも出ず、来客も断りただひたすらに書物と自分に向い合う時間と門下生達にも言い聞かせており、門下生達もそれを忠実に守っていた。刻一刻ほど書を読んだところで、首を回し、ふーっと大きく息をつく。外に目をやると庭の向こうに見える空が暗いのに気づく。遠くでかすかに雷の音らしきものが聞こえる。
(一雨くるか。)
ふと、廊下に人の足音がするのが聞こえる。兵衛が音の方へ首を傾けると、門下生筆頭が走ってくるのが見える。
「大先生!!。大先生!!」
筆頭が大声を上げ部屋に飛び込んでくる。
「何事だ!!騒々しい!!」
兵衛は筆頭を一喝する。息を切らしながら筆頭は言葉を続ける。
「申し訳ありません、大先生。道場破りです。」
「そんな者、主らで相手をするがよい。逐次報告に来なくてもよいわ。」
「それが恐ろしく腕の立つ奴で、お恥ずかしながら拙者以下門下生七名が全員やられました。」
「何?」
兵衛は改めて筆頭の顔を見ると目に立派な青痰が出来ている。
「相手は何人だ?」
「そ、それが、、一人です」
「一人だと。たった一人に新陰一刀流門下七名がやられたというのか?」
「も、も、申し訳ありません。」
筆頭は両手を廊下につけ深々と頭を下げた。
「うぬー、、。」
兵衛は声にならない唸り声を上げ立ち上がった。
「うぐぐ、、。」
稽古場の床に門下生達が寝転がっている。 兵衛が筆頭に続き、稽古場に入りその光景を見思わず目を見開く。
「こ、これは。」
兵衛はつぶやく。過去、確かに他流仕合と称した道場破りが来たことがあった。しかしその都度一蹴してきた。そのことが新陰一刀流の名を上げ名門の地位を揺らぎなきものとしてきたのであった。
「ようやく、真打の登場か。」
稽古場の奥の床の間に一人の侍風の男があぐらをかいて腰かけているのが見える。大人になりきっていないような声の若者である。
「もう少し来るのが遅かったらこの看板を頂いて帰るところだったぞ。」
男は持っている木剣で床の間の上の看板を指す。
その看板は兵衛が人生を賭して守ってきているものだ。兵衛はわなわなと全身が震えてくるのが分かった。こんな感情の高ぶりを感じるのはごく久しいことであった。
「真っ赤になっちまって、おのれは蛸か。くくく。」
侍は兵衛を見ていやな笑みをたたえる。
権兵衛は扉の隙間から覗き込んでいる。
(あの旦那、とうとう柳生兵衛まで引っ張りだしちまった。でもここまでか。)
権兵衛のような者でも兵衛の強さは聞き及んでいた。道場破りに来たものの頭を木剣で叩き割ったことや、御前試合で十人抜きをやってのけたことなど噂に尾ひれがついているが門下生等とは桁違いの強さということだった。
兵衛は務めて冷静さを保とうと目を閉じ、五輪の書の一節を唱える。動悸が落ち着くのを感じると侍に話しかける。
「貴公、ここがどこか分かってるようだな。」
「分かっているから来ている。」
「ならば、拙者が誰かも分かっているのだな。」
「天下にその名を覚えし、柳生 兵衛だな。聞いてるよりでかいなあんた。」
兵衛は六尺(180cm)ほどあり、この時代では大男の部類に入る。馬力があり、あらゆる技を力でねじ伏せる剛剣の使い手であった。
「どうせここで落とす命。聞く必要は無いが貴公名前は?」
「稲穂、、 いや、名無しの権兵衛だ。」
権兵衛は目を見開く。
「なめた口を。拙者に木剣を渡せ。」
「はっ。」
筆頭は壁にかかっている木剣の中でとりわけ尺の長く太い兵衛専用の木剣を手に取り兵衛に手渡す。兵衛は鼻から息を吸い込み大声を出す。
「いつまで寝ておるか!!。」
その声で門下生達の体が動き始める。兵衛の姿を見ると門下生達は無理やり体を動かし始める。
「大先生。」
「も、申し訳ございません。」
皆口々に謝罪の言葉を述べ壁に一列に正座をして座る。
「みな結構元気だな。もっとやっておくべきだったか。」
侍が皮肉な目を門下生達にやる。口惜しさと恥ずかしさで門下生達は言葉が出ない。
「主らへの罰は後だ。貴公との決着が先だ。」
「そうだな。さっさと片付けてこの看板頂いていくとするか。」
首をこきこきと鳴らし、侍が立ち上がる。兵衛は蹲踞の姿勢をとる。
「構えろ。」
侍はぺっと唾を両手に吐いてごしごしとこすり、兵衛と距離をとり蹲踞の姿勢を取る。
「死ぬぞ。」
兵衛は低く呟く。
「誰がだ?」
侍は軽く答える。二人は同時に立ちあがり、睨みあう。
(始まっちまったよ。)
権兵衛は二人をじっと見つめる。六尺の兵衛に対して侍は頭一つは小さい。剣の仕合の大半は間合いで決まる。間合いの取りあいが剣の仕合と言ってもよい。当然大きい方が有利なのである。二人は摺り足で一歩近づいては一歩離れると云った風に間合いを測る。
(この男、己の距離が分かっている。出来る。)
兵衛は心内に唱え、一瞬でも油断してはならぬと改めて肝に銘じた。間合いの測りあいが続く。先に動くのか先に動いた方が後の先を取られる可能性もある。動くのか、待つのか、剣の腕が立つ者同士の闘いの緊張感が稽古場を包み込む。ごろごろと雷が唸った瞬間、大きな雷鳴が轟く。
がっしゃーん!!。
その音を契機に侍は歩を進め、一気に踏み込む。
「きぇー!!。」
兵衛の懐に踏み込み頭から木剣を打ちおろす。
(速い!!。)