偽物
当世では想像がつかないかもしれないがこの国にはかつて剣が言論より強かった頃があった。誰かれも剣を振り回し、強きものが正しいという世界である。しかし、世の中は趨勢をして行く儚きもの。秩序という名の支配が確立されていくにつれ、握りしめていた剣を置く者が多く出てきた。それでも剣のみしか生きていく術を知らない侍達は道にさまよい、食いぶちに困ることもあった。侍達は彼らなりに世間の隙間をかいくぐり何とか、何とかかんとか生きのびていた。これはそんな時代のお話である。
峠の茶屋に一人の侍がやってくる。穴だらけの傘とつぎはぎで其処此処と直してある着物。草鞋は泥に塗れ、膝まで真っ黒になっている。年の頃はそれほどいっているものではなさそうだ。顔立ちは整っているものの垢にまみれ、その顔を蔽い隠していた。垢の中に両の眼があり油断なきよう辺りに注意を配っているのが分かる。
侍はふーっとため息をつき店先に置いてある崩れそうな長椅子に腰をかけ、腰のものを脇に置いた。
「白湯を一杯。」侍は店の番をしている置物のように動かない白髪の老婆に声をかける。
「はい、はい」中に何やら細かい不純物が浮いている液体を縁のかけた茶碗に注ぎ、震える手で侍の傍らに置く。侍は中を見ずぐびぐびと飲み干す。
「先の町に新陰一刀流の道場があると聞いたのだが場所を教えて欲しい。」
「もお、一杯ですか?」老婆は歯の抜けた顔でにかっと笑い聞き返す。
「白湯はもおいい。新陰流の道場の場所だ。」侍はさっきより大きな声で老婆に話しかける。老婆はにこにこしながら白湯の準備に奥へ向かう。
「
旦那、そのお婆は駄目ですよ。」店の奥から声が聞こえる。侍は反射的に脇に置いた刀を取る。
「おっとと、あたしゃそんな身分の者じゃありやせんぜ。」男はきししと卑屈な低く笑い声を上げ、両手を万歳の格好をとる。
「もお一杯白湯ですじゃ。」老婆がさきほどより濁った液体を侍の脇に置く。
「あのお婆耳つんぼなんでね。」
「お代をば」老婆は震える手を侍の前に差し出す。侍はにが虫をつぶしたような顔になり、着物の裾を探る。男は締まりの悪い顔を崩さない。侍は五文銭を二枚床に投げる。老婆はちゃりんという音には反応し床にうろうろと床を這いまわり始める。
侍は男をじっと見つめる。年のころは三十くらいだろうか。年齢の割に頭が禿げあがってきている。髪は結えるでもなくだらしなく伸びている。一週間は髭をあてていない。着物をわざとか胸を見せて緩く着こなしている風が気にいっているようだ。
「その者名は何という?」
「あっしは名無しの権兵衛てえんです。ここいらじゃちょっと名の知れた男ですぜ。」
「商売は?」
「へへへ。それは聞きっこ無しですぜ。旦那、新陰流へ入門ですか?」
「そんなところだ。」
「さすが。あたしゃ、人を見る目があるねえ。」
「場所を教えて欲しい。」
「ここのお代さえ払っていただけりゃね。」
「よかろう。お婆、勘定だ。」拾った五文銭に息を吹きかけ磨いてる老婆。
「おっとと、その前にもお一本つけてくれ。熱いやつだぞ。あたしゃ熱い燗が好きでねえ」
侍は着物の奥を探り、小銭を握りしめると椅子の上じゃらりと置いた。老婆はその音にに再び反応し床を這いつくばり始める。
二人で茶屋を出る。外で黒い雲が出てきている。
「一雨きそうですな。」
侍は答えずに歩く。
「旦那、ここで会ったが何かの縁、名くらい教えてくださいよ。」
田んぼが脇に広がっている。侍は青々とした田を見つめながら
「稲穂、、稲穂 十七郎。いやもうすぐ十八郎か」
「またまたー。人の悪い旦那だ。ま、よござんしょ。稲穂殿。」
しばらく歩いていると町が見えてきた。
「旦那、もうすぐですぜ、新陰流の道場は。でも何で新陰流に入門するんですか?新陰流は知っての通り、このご時世お上が認めた少ない流派ですからね。やっぱ新陰流の免状でももらってどこかの御大名に召し上げてもらおうって魂胆で、、」
侍がじろりと権兵衛を睨む。
「おっとと、そんな怖い顔よしてくださいな。あたしゃ純粋に好奇心で知りたいばっかりですんで。きしし」歯糞だらけの黄色い歯を見せて笑う。
「ここからは町に入りやすが気を付けてくださいよ。かっぱらいややくざ者がうろうろしてるんでね。ま、あっしについてきてくれりゃ大丈夫ですがね。」
町に入ると、虫にたかる蟻のようにに物乞いが群れをなしてよってくる。
「お恵みをー、、」「お侍殿、ご慈悲をー」
侍は振り払い歩いていく。
「こら!!。まとわりつくな!!あっち行け」権兵衛は物乞いを足蹴にする。一人素足で女の子がぽつんと外れから様子をみている。両手でぼろぼろの毬を抱えている。
侍は懐から五文銭を取り出すと少女に投げる。少女は拾おうとするがすぐさま他の物乞いが五文銭をかっぱらって逃げて行ってしまう。
侍は泣きだす少女を遠目に見つめ、権兵衛に促し歩を進める。
「この先のあの大きい御屋敷が新陰一刀流の道場でさ。」権兵衛は指を指す。その先に大きな塀で囲まれ他のあばら家とは趣が異なる白い屋敷があった。塀からちらりと見える松はきれいに剪定されており、隙の無さがうかがえる。
「ここまでで大丈夫だ。世話になった。」
「いえいえ、こっちこそ馳走になったんで。じゃあ旦那御達者で。」
「お主こそな」
権兵衛は踵を返すと両手を着物へ入れてぶらぶらを歩き始める。ふああとあくびをして今日一日どう過ごそうか思案を巡らせていた。
とその時、道場から大きな物音が聞こえてくる。権兵衛が振り返ると侍が道場の扉を蹴破ったところであった。権兵衛を大きく目を見開き走って道場に向かう。
「何奴!!」
道場の奥から七人の門下生が出てくる。頭はきちんと結えられ、鉢巻きで着物は縛ってある。手には木刀を携えている。
侍は息を吸い込むと腰の刀を取り出しじろりと周りを囲む門下生たちの顔を一瞥すると
「新陰一刀流の看板を頂戴に来た。」
息を切らせて権兵衛は道場の前に来るとそろっと中をのぞいてみた。
一瞬の静けさの後、門下生達の笑い声がこだまする。
「ははは!!道場破りとな。滑稽、滑稽」
「ここを何の道場か知らんと見える。」
「小童、冗談は顔だけにするんだな。」
「寝言は寝てから言うもんだ。」
口々に罵詈雑言が浴びせられる。
「あわわ。」権兵衛は手を口に当ててる。
「新陰流に喧嘩売っちゃったよ。」
再び、侍は門下生達をじろりと見つめると
「弱い犬ほど群れで吠えるとはさては本当のことと見える。」
門下生達の顔色がさっと変わる。
「小僧、ただでは済まんぞ。」
門下生の筆頭格らしき男が凄む。
「いい加減その口を閉じたらどうだ。それともなんだ。新陰一刀流は喋りの道場か!!。」
侍は一喝し、刀を振り下ろし、松の枝をすぱっと切って見せる。松の枝がはらりと落ちる。
「面白い。どうやら伊達や酔狂では無いようだな」筆頭格の男は木剣を振り下ろし侍が切ったのより太い枝を叩き折る。
「今にすぐにでも貴様を叩き切ってくれたいが真剣勝負はお上から禁ぜられている。中に入れ。」
峠の茶屋に一人の侍がやってくる。穴だらけの傘とつぎはぎで其処此処と直してある着物。草鞋は泥に塗れ、膝まで真っ黒になっている。年の頃はそれほどいっているものではなさそうだ。顔立ちは整っているものの垢にまみれ、その顔を蔽い隠していた。垢の中に両の眼があり油断なきよう辺りに注意を配っているのが分かる。
侍はふーっとため息をつき店先に置いてある崩れそうな長椅子に腰をかけ、腰のものを脇に置いた。
「白湯を一杯。」侍は店の番をしている置物のように動かない白髪の老婆に声をかける。
「はい、はい」中に何やら細かい不純物が浮いている液体を縁のかけた茶碗に注ぎ、震える手で侍の傍らに置く。侍は中を見ずぐびぐびと飲み干す。
「先の町に新陰一刀流の道場があると聞いたのだが場所を教えて欲しい。」
「もお、一杯ですか?」老婆は歯の抜けた顔でにかっと笑い聞き返す。
「白湯はもおいい。新陰流の道場の場所だ。」侍はさっきより大きな声で老婆に話しかける。老婆はにこにこしながら白湯の準備に奥へ向かう。
「
旦那、そのお婆は駄目ですよ。」店の奥から声が聞こえる。侍は反射的に脇に置いた刀を取る。
「おっとと、あたしゃそんな身分の者じゃありやせんぜ。」男はきししと卑屈な低く笑い声を上げ、両手を万歳の格好をとる。
「もお一杯白湯ですじゃ。」老婆がさきほどより濁った液体を侍の脇に置く。
「あのお婆耳つんぼなんでね。」
「お代をば」老婆は震える手を侍の前に差し出す。侍はにが虫をつぶしたような顔になり、着物の裾を探る。男は締まりの悪い顔を崩さない。侍は五文銭を二枚床に投げる。老婆はちゃりんという音には反応し床にうろうろと床を這いまわり始める。
侍は男をじっと見つめる。年のころは三十くらいだろうか。年齢の割に頭が禿げあがってきている。髪は結えるでもなくだらしなく伸びている。一週間は髭をあてていない。着物をわざとか胸を見せて緩く着こなしている風が気にいっているようだ。
「その者名は何という?」
「あっしは名無しの権兵衛てえんです。ここいらじゃちょっと名の知れた男ですぜ。」
「商売は?」
「へへへ。それは聞きっこ無しですぜ。旦那、新陰流へ入門ですか?」
「そんなところだ。」
「さすが。あたしゃ、人を見る目があるねえ。」
「場所を教えて欲しい。」
「ここのお代さえ払っていただけりゃね。」
「よかろう。お婆、勘定だ。」拾った五文銭に息を吹きかけ磨いてる老婆。
「おっとと、その前にもお一本つけてくれ。熱いやつだぞ。あたしゃ熱い燗が好きでねえ」
侍は着物の奥を探り、小銭を握りしめると椅子の上じゃらりと置いた。老婆はその音にに再び反応し床を這いつくばり始める。
二人で茶屋を出る。外で黒い雲が出てきている。
「一雨きそうですな。」
侍は答えずに歩く。
「旦那、ここで会ったが何かの縁、名くらい教えてくださいよ。」
田んぼが脇に広がっている。侍は青々とした田を見つめながら
「稲穂、、稲穂 十七郎。いやもうすぐ十八郎か」
「またまたー。人の悪い旦那だ。ま、よござんしょ。稲穂殿。」
しばらく歩いていると町が見えてきた。
「旦那、もうすぐですぜ、新陰流の道場は。でも何で新陰流に入門するんですか?新陰流は知っての通り、このご時世お上が認めた少ない流派ですからね。やっぱ新陰流の免状でももらってどこかの御大名に召し上げてもらおうって魂胆で、、」
侍がじろりと権兵衛を睨む。
「おっとと、そんな怖い顔よしてくださいな。あたしゃ純粋に好奇心で知りたいばっかりですんで。きしし」歯糞だらけの黄色い歯を見せて笑う。
「ここからは町に入りやすが気を付けてくださいよ。かっぱらいややくざ者がうろうろしてるんでね。ま、あっしについてきてくれりゃ大丈夫ですがね。」
町に入ると、虫にたかる蟻のようにに物乞いが群れをなしてよってくる。
「お恵みをー、、」「お侍殿、ご慈悲をー」
侍は振り払い歩いていく。
「こら!!。まとわりつくな!!あっち行け」権兵衛は物乞いを足蹴にする。一人素足で女の子がぽつんと外れから様子をみている。両手でぼろぼろの毬を抱えている。
侍は懐から五文銭を取り出すと少女に投げる。少女は拾おうとするがすぐさま他の物乞いが五文銭をかっぱらって逃げて行ってしまう。
侍は泣きだす少女を遠目に見つめ、権兵衛に促し歩を進める。
「この先のあの大きい御屋敷が新陰一刀流の道場でさ。」権兵衛は指を指す。その先に大きな塀で囲まれ他のあばら家とは趣が異なる白い屋敷があった。塀からちらりと見える松はきれいに剪定されており、隙の無さがうかがえる。
「ここまでで大丈夫だ。世話になった。」
「いえいえ、こっちこそ馳走になったんで。じゃあ旦那御達者で。」
「お主こそな」
権兵衛は踵を返すと両手を着物へ入れてぶらぶらを歩き始める。ふああとあくびをして今日一日どう過ごそうか思案を巡らせていた。
とその時、道場から大きな物音が聞こえてくる。権兵衛が振り返ると侍が道場の扉を蹴破ったところであった。権兵衛を大きく目を見開き走って道場に向かう。
「何奴!!」
道場の奥から七人の門下生が出てくる。頭はきちんと結えられ、鉢巻きで着物は縛ってある。手には木刀を携えている。
侍は息を吸い込むと腰の刀を取り出しじろりと周りを囲む門下生たちの顔を一瞥すると
「新陰一刀流の看板を頂戴に来た。」
息を切らせて権兵衛は道場の前に来るとそろっと中をのぞいてみた。
一瞬の静けさの後、門下生達の笑い声がこだまする。
「ははは!!道場破りとな。滑稽、滑稽」
「ここを何の道場か知らんと見える。」
「小童、冗談は顔だけにするんだな。」
「寝言は寝てから言うもんだ。」
口々に罵詈雑言が浴びせられる。
「あわわ。」権兵衛は手を口に当ててる。
「新陰流に喧嘩売っちゃったよ。」
再び、侍は門下生達をじろりと見つめると
「弱い犬ほど群れで吠えるとはさては本当のことと見える。」
門下生達の顔色がさっと変わる。
「小僧、ただでは済まんぞ。」
門下生の筆頭格らしき男が凄む。
「いい加減その口を閉じたらどうだ。それともなんだ。新陰一刀流は喋りの道場か!!。」
侍は一喝し、刀を振り下ろし、松の枝をすぱっと切って見せる。松の枝がはらりと落ちる。
「面白い。どうやら伊達や酔狂では無いようだな」筆頭格の男は木剣を振り下ろし侍が切ったのより太い枝を叩き折る。
「今にすぐにでも貴様を叩き切ってくれたいが真剣勝負はお上から禁ぜられている。中に入れ。」