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心の病に挑みます。

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「どこかいいとこないかな。」
そんなとき、「ありますよ」とか「いや、あなたには無理ですよ」
などと言えるだろうか?
「そうですね、プログラムの中で一緒に考えていきましょうか?」
スタッフは利用者の話しを受け止め傾聴していくのだ。
見た目ですぐに判断を下してはいけない。
スタッフの「こう支援したい」という一方的な想いを伝えるだけでは適切な支援ではない。情報を示し、判断するのはあくまで本人なのである。その自発を促すことにポイントがある。男性は「そやな」とゆっくりと手を灰皿にもっていき、とんとんとたばこの灰を落とした。雄志は隣にいて利用者への接し方をスタッフから学んでいった。
さて、山岡診療所の診察の日がきた。山岡先生の診察には、予約待ちで、待ち人が多い。そんな中、隣にいる婦人より声をかけられた。
「今日7月3日は山岡診察所の開院記念日なんです。蘭の花があるでしょ、山岡先生の師匠・山本先生からプレゼントされたものなんですよ。」
「あ、そうでしたか!」
声をかけられ雄志は驚いた。患者さんのなかには
「病気になってからようやく人の痛みに気づけるようになれたんです」
と感謝している方もいる。しかし、多くの患者さんは、いつも何か不満を抱えている。先生方はその不満を聞き、適切なアドバイスをしようとしているのだ。ただ、見聞きする医院の中には、患者の訴えを聞き流したり、「働くのはまだ早い」と患者自身が就労に挑戦をすることを回避したりして、“固定客”のように、囲い込みしながら診察をしている医師もいると聞く。
「薬が多くても量を減らしてくれない。」
“医師と薬屋は仲良くつるんでいるのだ”と主張する人もいた。
ともあれ、雄志は、「日中眠けがひどい」ことや「手が震える」ことなどを訴えた。誰かが僕のことを想って泣いていると心で感じた(妄想着想)ときもあり、突然、散髪屋で泣きだすこともあった。自分が“世界を救おうとして”頑張ってることを“陰”ではちゃんと知ってくれている人もいる、と感動しながら妄想することもあった。自意識過剰と言われたり、気にしすぎと言われることもあるが、病気と関係しているのであろう。ただ、自分が何かを“感じる”ように、周りは感じていないのが実際であった。
山岡先生の診察を終えると、近くの中華料理屋でご飯を食べたり、新しいラーメン屋を探しに出かけるのがいつもの雄志の姿であった。病院の診察が終わると、就職のことを考え、近くにある福祉人材センターに行き、求人動向を調べていたりしていた。精神の分野での求人は少なく、看護師や介護福祉士の求人が圧倒的に多いのが現実だ。精神保健福祉士を求めている施設は少なかった上、あってもすぐに募集が締め切られることがほとんどであった。また給料が非常に安く、とても生活していけるだけの金額ではなかった。
「いい所に勤めるにはやっぱり福運が大事だな」
と雄志は心を磨き、自身の可能性を伸ばす活動に励まざるを得なかった。
 福運、それはいわば心の貯金である。自分を向上に導いてくれる本当に『いい人』に巡り逢えるかどうか、いい勤め先へ就職できるかどうか、どんな苦境でも生活が守られるかどうかは、この『福運』にかかっているらしい。友人の剛が教えてくれた言葉だった。
「人のために灯をともせば自分の前が明るくなるやろ。そういう心で人と接するんや。」
剛は確信をもって雄志に語ってくれたのだ。世界の平和のため、地域で地道に貢献する人や友人を“軽く”みたり、軽蔑したり、足を引っ張ったりしてしまえば当然、その因果は自分に巡ってくる。
 野球でも一流のコーチに習った選手と、そうでない人に習った選手は“上達の度合い”が違う。いい先輩に出会う、そしていい先輩の話を教わる。全てではないが、これは大事なことだ。何も難しい話しではない。王監督やイチロー選手から教わり一生懸命、素振りなどを練習・打法を研究すれば上達する。
また、福祉の資格を取るためには福祉学を学ばねばならない。その誰かの『教え』を受けて勉強し資格を取れるように、人生にもさまざまな生き方がある。同じ『生』を受けたならば、幸せにならねば損である。
誰を“師”として誰の“教え”を受け、訓練されたか、またその人がどういう決意で行動したのかで人生の結果もさまざま違ってくる。世界一流の社長の話、だと誰でも成功法則を聞きたいと思うように、世界一流の人生を歩む人の話を聞いてみたい、そう思うのが普通ではないだろうか。
 どの分野にでも師匠となる人はいるが、本当に幸せな人生とは心に『師匠』を持てるかどうかである。心に師匠のいない人はさまよえる放浪の人生を歩んでしまうのだ。
 誰でも『頑張る』のであるが、何を目標として、どのように頑張るのか、今日の現状を見て明日の充実のためにどうすればよいか、比較しながらよりよい生き方の向上のために智恵を湧かせていきたい。自分を痛めつけていい結果はでない。気持ちを高ぶらせられないと満足できないような生き方、それは着実で賢明な生き方とは呼べない。
 ともあれ、心の病を持つ人は『弱者』の枠なのかもしれないが、『心』はごまかせない。いかなる人であれ。人生に確たる規範を持てば例え遠回りしているようでも不幸ではないしまた、はたから大変と思えても「私は必ず乗り越えていくのだ」との強い心で生きていきたい。
 心の問題であるが、無心論者であれ、信仰者であれ、避けては通れないし、心を病む人の中に多かれ少なかれ宗教を信ずる人も多く、PSWとして仕事をするにはこれらの哲学的思考は大事な問題であるので一言述べさせて頂いた。少し話が本題からそれました。
2002年、8月、精神保健福祉士の実習の時がきた。夏の暑い日であった。駅を降りると、雄志は炎天下の中、実習先である 『精神障がい者地域生活支援センター ピアニッシモ』(仮称)へと向かって歩いた。本格的なPSWの実習を受けられると張り切っていた。実習先は、誰かが見つけてくれるのを待つのではなく、自ら見学して希望したものがそのまま反映された。それでは、雄志の実習の様子をその時の実習日誌より振り返って文を進めたい。
このピアニッシモには、『生活訓練施設(援護寮)』と『地域生活支援センター』が併設されている。それがワンフロアでディスカッションされているため雄志は、今日の会議が、その二つの施設のどちらの役割を果たしているのかもわからず、同一視し混乱した。雄志はその場に参加し、議論を聞くだけで精一杯であり、話しが全くつながらず、さっぱりわからなかったのであった。
そして、『言葉づかい』を指摘された。利用者が自分と比べて歳が同じ、もしくは下であるからといって馴れ馴れしい言葉や態度では絶対にいけない。
 雄志なりに気さくしようと思ったが、プロは利用者の言葉づかいや要望などを具体的に質問し、まとめていきながらもあくまで本人に発言してもらう姿勢が大事である。雄志は、この一つのことからも、脱帽する思いであった。素人と雲泥の違いである。
作品名:心の病に挑みます。 作家名:大和雄志