心の病に挑みます。
そう思うと雄志は目からうろこが落ちた。感動した。読者の方のなかには、こう思う方もいるだろう。病気の人ばかり見て、何のためになるのか、自分自身の病気がそれで治るのか、と。雄志は別の見方をしていた。心の病を持つ人がどうすれば救われたと感じる状態になるのか。地域で普通に暮らせる環境をつくるには、どういうアプローチが必要なのか。もちろんこの時、雄志は病気を抱えていたので、同じ病気を抱える人と話すのが実は何より楽しみであった。この病気を抱える先輩方が、いきいきと働いている、なんと心強い先輩がたくさんいるのか!雄志には心躍るものがあったのだ。同じ光景でも、見る人によって見え方は全く違ってくる。そう仏典にもある。
雄志は求めていたものがここにあったと確信し、心が充分に満たされた。こういう世界を現出できる紺野先生はほんとにすごい方だ。と改めて実感した。大学で難しいことを学ぶだけでは味わえない世界を体験させてもらった。
“なるほど、精神保健福祉士とは、このように、利用者が活き活きと働く環境をつくっていく、そういうアプローチが求められるのだな。資格を取るだけなら誰でもできるかもしれないが、紺野先生のような働きが求められるとしたら、なかなかそう簡単にはできないだろう”と雄志は思った。
心の病を癒すためには、この資格を勉強するのはいいかもしれない。しかし、実習や地域でどの先生と出会えるかで決定的にその後の成長が違ってくるだろう。同じ資格といってもその実力の差は年数とともに歴然としてくるだろう。この資格は人生経験も相当大事になってくるのではないか。
本当は、職務経験を数十年積んで、ソーシャルワーカーとしての技術と心を確かに持った人への記別として資格を授与するのが、自然ではないのか、そう思ったりもした。
翌週、雄志は、JR岸ノ辺駅(仮称)を降り、踏み切りの音を後ろに聞きながら別の講師の先生と同期の仲間と少しさびれた商店街を歩き始めた。商店街のずっと向こうには蓮華畑が、辺り一面に広がっている。風を受けて花は少し揺らいでいる。蓮華畑が心地よく充足感でいっぱいとなっていくようだった。商店街の近くに夢見診療所があるという。学校が職場見学にと企画してくれたものだった。
医療機関か・・・こんな所で働けたらいいなと思いながら、中に入っていくと、診療所ケースワーカーの岸本先生が煙草を吸いながら笑顔で迎えてくれた。
部屋にはぎっしりと専門書が並んでいる。さすがはプロの先生だな・・雄志はそう思った。
「障害年金を受けたいと相談されたらあなたならどうしますか?」
と岸本先生(仮名)は一人の学生に問いかけた。
学生が答えにつまると、
「全部一人でやろうとするとしんどくなるんです。私ならまず知り合いの社会保険労務士さんに相談します。」
「薬のことは医者に聞けばいいし、役所や制度などは知り合いの市役所の方に聞くと早いよ。仲良くなっておいて下さいね。」
“そんなことでいいのか?”
と瞬間、疑問に思ったが、実はこれは大切なポイントである。上手に人に頼るコツを教えてくれたのだ。
全部自分ひとりでやらないといけないと気合を入れすぎていた雄志は少し楽な気持ちになったが、自分に足りない新たな力が必要なことを納得した。それは、さまざま専門職の『人脈』である。
雄志の苦手とすることだった。もともと机に座ってコツコツ勉強することが多く、静かで人間関係が不得手である雄志が、紺野先生や岸本先生のようなPSWを目指すというのも大変難しい目標であった。
自分が病気を治すためだけに学ぶ目的であれば充分だったかもしれないが、この先生のように人脈を活用して四方八方活躍していく姿には仰天するばかりだった。
「こういう仕事が果たして本当に私にできるのだろうか・・・」
ハードルが高いだけに悩む所だが、一度、腹をくくって飛び込んだ世界である。卒業し、国家資格を取り、就職するという目標は断じて達成しようというのがこの時の雄志の決意であった。PSWの先生方は人間としての器も魅力もあり、話を聞くにつれ、雄志はいよいよPSWの仕事に魅かれていった。
岸本先生の話しでは、学生時代にいろいろな関係機関を見学していくこと、そして『名刺』を渡していく大切さを知ることなどを教えてくれた。それは、先生方が、誰かいい人いないかな・・と思ったときに、名刺があればお誘いの電話ができるというのだ。
「そういうことがあるんだ・・・」
と同級生と雄志たちは、帰宅後、名刺作りに励むことになる。
「俺、病気があって薬を飲んでいるんだ。」
ある日、雄志は、地域の親友である剛(つよし・仮名)に悩みを相談していた。
「病気はだれでも一つや二つぐらいあるで。要はそれで自分が負けるのか勝つのかが問題や。よく言うやろ、『他人と自分を比較して生きるより、昨日の自分と今日の自分を比較すること』やって」
雄志は、発病してからというもの、常に“健常者”と“自分”を意識し、比較して生きてきた。
つまり、一般の“健常者”と比べて病気になっていることで、どれだけ違って見えてしまうのか、ということばかり気になっていたのである。まともであろうとし続けてはみた。病気を隠そうと、そのことばかりを考えてきた。しかし、それでよくなる気配はみえなかった。
自分の失敗をさらけだすのがどれほど勇気のいることか。
『馬鹿になれ、とことん馬鹿になれ、恥をかけ、とことん恥をかけ』とはアントニオ猪木の言葉である。
この言葉を堺の親友、剛のアパートで見た雄志は全身に衝撃が走った!
「なぜそんなことができるのか!」
恥ずかしがらずに勇気をだして自分自身の思いをさらけだす、それは大変恥ずかしいことのようだが、そうすることで、精神的に楽になり、解決へとむかう近道であることに気づいた。
“馬鹿になれ、恥をかけ”とは、雄志にとっては秘密をオープンにせざるを得ない、激しい言葉のシャワーとなるのだった。
「雄志は関東の大学にいたせいかもしれんが、自分をよくみせようとしてる。見栄や気取りは捨てなあかん!」
と親友である剛は教えてくれた。いとも簡単に雄志は心の中を見抜かれ、軽いショック状態に陥った。
言葉荒く欠点を指摘されるのは辛かったが、温まるものがあり、剛のいうことを聞いていこうと思えるのであった。
「まあ、病気も一つぐらいあった方が、身体との付き合い方もわかるし健康でおれるで。」
剛は雄志の肩をポンと叩きながらそう言った。
それから雄志は、学校でも恥じることなく自らが薬を飲んでいることを話していくようになった。入院を体験し、薬を飲んでいる・・・それは実は強みであるとも思えてきた。しかし、専門学校の友人たちは、病気である事実よりも、恋愛話しやほんとに就職できるのかということに最大の関心があった。自分が思うほど、周りの友人は雄志の病気のことは気にしていないようだった。
「重くとらえ考え込むより前を向いていこうや」と、そんな声が聞こえるようだ。