心の病に挑みます。
と実感を込めて講義をしてくださった。
「僕をわかってくれる人がいる!」
雄志は、心の重荷が軽くなったような気がした。そして、ふと苦い過去を思い出していた。
雄志の学生時代はサークル活動で満たされたものもあったが、多くは孤独地獄であった。孤独から抜け出すために、懸命に頑張り、もがいてもがいて、悩んで悩み抜いた。でもいつもゴールにたどりつかない心の渇きを感じていた。
しかし、砂漠のような荒れ果てた心に水が染み渡ってゆくように、講師の紺野先生の対人援助技術の講義は雄志の心に染み込んでいった。
“これだ!これだ!私の探していたものはこれなんだ!見つけた!やっとたどりついた!”
雄志は専門学校で精神科ソーシャルワーカー講師であり、西雲作業所の所長・紺野先生の講義を聞いて、この人についていけば大丈夫だ、安心だ、と心が満たされた。
学生時代から、『人のために尽くしたい』と、心の旅を続けて、たどりついた結論がそこにはあった。ただ、雄志は自分の思いを伝えることだけに力を入れすぎて、後輩の気持ちをとらえることができなかったのだろう。
焦りともどかしさ、力のなさに落ち込み続け、やがて自信をなくし、部屋にこもることが多くなっていったあの時を思い出していた。
“やっぱり僕は相当心を病んでいたみたいだ。しかし、この精神の対人援助の実践を積み重ねて行けば、僕の心の傷も必ず癒えていくに違いない”
一筋の光明がパッと照らし出されてくるかのようであった。
「この精神の病気になる人は、みな、ほんとに一生懸命で真面目に頑張ってきた人たちなんです。」
雄志は講義を聞きながら涙の出る思いがした。周りと比べて自分に能力がないことへの劣等感や焦り、サークル運営で真剣に悩み沈み、もがいた積み重ねがもたらした病気でもあった。
雄志は、人に尽くしたいとの気持ちが強かった。しかし、それをどんな技術で、どのようにして蓄積し、実践していくのか、ということを全く知らなかったのだ。
紺野先生は講義で語った。
「みなさんは、(精神障がいのある)メンバーさんがどう思い、どう感じているのか、なぜそう行動するのか”を考え接してください。メンバーさんは、なかなか言葉に出して自分の気持ちを表現することがうまくできないんです。また、なぜそう思ったのか、わからないときは本人さんに聞いてみてください。その言葉の背景を大事にするんです。」
雄志はこれを聞いてハッとした。これは精神疾患を有する人に対してだけではなく、子供からお年寄りまで、すべての人と接するときに必要な技法ではないかと。
「先生、実は僕も薬を飲んでいるんです・・・。」
雄志は、講義が終わると、興奮さめやらぬまま引き込まれるように、相談していった。
“紺野先生の作業所ってどんな所なんだろう”と雄志は興味を持った。学校からの帰りに寄らせてもらおうと、深山駅(仮称)まで向かった。駅から歩いて数分の距離だった。高架をくぐって歩いていたが看板が掲げてあるわけでもなく、始めは探すのに戸惑ったが、やがてわかった。
年季を感じる古い一軒の店らしきものがそこにはあった。雄志はドアを開き、中へ入っていった。
「こんにちは、お邪魔します」
目の前のガラスケースに昆布が商品として置かれていた。
“作業所でなぜ昆布を売っているんだろう?”
雄志がその理由を知るまでには数年を要することとなる。中へ入ると、犬が出迎えてくれた。誰もいないのかな・・少し不安になりながらも
「こんにちは」
と誰にいうとなく呼びかけてみた。入口付近にはだれもいないようだ。反応がないので少し奥へ入りながらもう一度挨拶した。年配の老婦人が破れたソファーに横になったままほとんど動かない姿をみた。少しPSWの勉強した雄志は理解し、自分に言い聞かせた。
「そのままを受け入れるんだ」
と言い聞かせ、再び
「こんにちは」
と挨拶した。別の部屋を覗くと、ジャラジャラと麻雀の音が聞こえてくる。手馴れた様子で、パイを打つ音がせわしなく聞こえてくる。しかも手の動きがかなり速い。
「兄ちゃんやるか」
そのうちの一人の男性が声をかけてくれた。雄志にとっては学んだことを初めて生かす“対人援助”の場である。男性が声をかけてくれたので入りやすかった。しかし、あっけなく雄志は負けてしまった。そう甘くなかった。
「兄ちゃん、もっと勉強してきぃや」
そう言われ、少し落ち込んだまま隣の部屋へと入った。
「兄ちゃんご飯食べていくか」
五十代ぐらいのおっちゃんから声をかけられた。
「あ、はい・・・」
温かな声をかけてくれたことが嬉しかった。
「300円やで」
あまりの安さに嬉しく思ったが、しかし残りは千円しかない。コーヒーと晩御飯でなくなるな。帰りの電車賃は700円か・・・。そんなことを考えながらご飯をよそおった。自分でできることは自分でやる。それが作業所の方針でもあった。麻雀組を除いて仲の良い人同士2、3人で食べている人もいるが、他は別々で食べているようだ。メンバーさんたちは自然体で思い思いのまま椅子に座っていた。雄志は何かしゃべらないといけない、と思い、
「隣に座っていいですか?」
と隣にいる60代の男性に声をかけた。
「あぁ、どうぞ」
人のよさそうな男性は快く返事をしてくれた。
「兄ちゃんどっからきたんや?学生か?」
「はい、市内のほうから来ました。専門学校に通っています。僕も病気で薬を飲んでいるんです。」
「そうは見えへんけどなぁ、でもわしらは薬だらけやで」
食事をたべると男性は包化された薬を飲み始めた。
「どれが何に効いてるのかさっぱりわからへんけどな、はは」
と笑うと10錠程の薬と水をグイっと一気にのんだ。
「わし今週、兄貴の葬式に行かなあかんねん、お金ないし、着ていく服ないし親戚に会わなならんし困ってるねん。」
と困った顔をして席を立った。
「そうなんですか、辛いですね・・・。」
雄志は、辛さを共感したいと懸命に頭を働かせていた。そしてコップの水を飲み立ち上がった。
「兄ちゃん自分で洗いや」
食器を台所に持っていくと、食事をつくってくれた男性からそういわれ、洗剤をつけながらいつもより丁寧に洗った。
紺野先生は病院でケースワーカーとして入職、病院内にデイケアを作り、利用者が働く環境をも整える実績をつくられ、退職後、作業所を立ち上げられたのであった。しばらく見学させてもらった後、夜もふけていたので、雄志はお礼をいい、作業所をあとにした。数日後、雄志はその紺野先生の創られた病院デイケアに見学に行かせてもらうことになる。
新緑の5月、授業が午前中で終わると、雄志は、専門学校の最寄駅である泉中駅(仮称)から電車で深山駅まで行き、富士山病院(仮称)デイケアへとむかった。ここはどうやら食堂になっているようだ。ラーメンやカレー、うどんが格安で売られている。しかも具だくさんでおいしい!気持ちがいっぱい込められてているのが伝わってくる。どういう人が働いているのだろう。厨房の人、食券を扱う人、レジの人、コロッケだけを売りさばく人・・・。
その人その人の役割がちゃんとある。そのなかで、利用者が活き活きと働いている。看護師はじめ病院の職員はこの食堂で、昼ごはんを食べていたりした。