小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

心の病に挑みます。

INDEX|5ページ/30ページ|

次のページ前のページ
 

しかし、東京での就職を望んだが就職氷河期も重なって受けた会社は面接で全滅、朝起きられず公務員試験を逃す。など、失敗を繰り返し落ち込む日々が続いた。出口の見えない、将来の見えない真っ暗な状態がしばらく続いた。大学を卒業しても何の保証もなく、このまま職歴なしの空白期間ができてしまうのか・・・。
将来に不安をかかえながらも発病から1年が経過、ある日、雄志は大学の書店で本を読んでいた。
「履歴書に空白期間は作りたくない、恥ずかしい、できるならもう一度勉強してその間に病気を治したい。」
そう思った。ボーっとした表情のまま、雄志の頭だけは再びぐるぐる回転し始めた。地方公務員を目指して再び勉強をするとして、急性の精神病となってしまった。そしてまた、精神医学に興味を持ち始めた。何か結びつく資格はないのだろうか?雄志は書店で調べるうち、今までの心の体験を通じて、何か資格が取れないかと考え始めたのである。調べていくうちに、臨床心理士や福祉の分野で精神保健福祉士(PSW)という資格に偶然たどりついた。臨床心理士は大学卒業後、さらに大学院に2年通学しないといけないが、精神保健福祉士だと大学卒業後、専門学校で1年勉強し、決められた時間、実習をすれば受験資格が得られるらしい。
「これしかない!」
と雄志は意識がもうろうとしていたが、心を定めた。
「卒業してから専門学校に行かせてほしい」
と雄志は両親にお願いした。幸い両親は雄志の気持ちを受け入れてくれた。
それから、雄志は受験のため大阪に戻り、PSW養成で有名な関西北保健福祉専門学校(仮称)の試験を受けた。“ソーシャルインクルージョンについて説明せよ”と試験問題には書かれていたが、何がなんだかさっぱりわからず、筆が進まないまま落ちてしまった。ショックだった。大学入試まではトップクラスの成績だったのに、社会で全然通用しないことに呆然としてしまったのだ。
次に関西南保健福祉専門学校(仮称)の試験を受けた。面接では志望理由を聞かれた。自分の病気を隠そうと、苦しい言い訳をしたがすぐに面接官である先生に見抜かれた。
「その状況で入院しないわけにはいかない。学校に入るのはいいとして、学校に通って逆に体調を崩さないかが心配だよ」
「大丈夫です!」
雄志は強きで言い切った。その後、学校の理事長に挨拶に部屋を訪問させてもらった。
すると、雄志を快く迎えてくれ、その上、自叙伝を揮毫して渡してくださった。
「ああ、ありがたい、私を待ってくださる人もいたのだ・・・」
2002年2月、専門学校の合格通知が届いた。
前回、試験に落ちてから、必死で勉強した甲斐があった。合格通知を見て雄志は、
「ああ、次の進路が定まった」
と心から安心することができたのである。
雄志は再び関東中央大学に戻り卒業論文作成に取り掛かった。テーマは平成の市町村合併とした。財源の問題が大きいが、手法として行政主導なのか、住民自治が先なのかという原点に帰る問いかけでしめた。今から思えばもっと広い視点でかけたと痛感してならない。あの時は精一杯調べて頑張ったからそれでいいじゃないかと両親から慰められた。卒論の提出期限まであと残り2日のところを暴風雨の中を突っ切って提出しにいったことを昨日のように思い出すのであった。
そして、いよいよ卒業式を迎えるのみとなった。桜が見事に咲き薫る3月24日、両親が政治学部H棟に来てくれた。
式が終わり、外に出ると、ゼミの後輩からささやかな花束を受け取り両親と共に記念の写真に納まった。雄志は自身を成長させてくれた関東の大地に深く感謝した。学問を、そして心を磨かせてもらった。
ありがとう、関東!僕を育ててくれた第2の故郷よ!またラーメンを食べに帰ってくるよ!・・・。
荷物をまとめ、胸一杯に思い出を詰め込み、雄志は第二の故郷を後にした。


専門学校

雄志は病気と留年のハンデを克服しようと懸命に挑戦していった。2002年4月、桜色に映える環境のなか、専門学校生活が始まった。精神保健福祉士の卵である学生が関西各地から集まってきていた。
新しい気持ちで新しい挑戦を、新たな出会いを求めて!新しい扉は自ら開けるのだ!頑張れ新入生!と自身に言い聞かせながら、新たな友人となる学生と仲良くなろうと思った。この時、雄志はすでに26歳となっていた。この専門学校の男子の平均年齢は26歳、女子は23歳であった。
社会人には3年程遅れての出発だが、うまくいけばまだ世間の流れに乗っていけるに違いない。まだ間に合う、これから頑張ればいくらでも挽回できる。そう思った。皆、生き生きとした目をしていたがしかし、実は皆、就職を心配していた。精神保健福祉の分野はこれからの資格だと言われたものの、就職先の確保は共通の悩みであった。ある人は作業所のボランティアから始めて職員となった人もいたし、またある人は実習先で認められてそのまま就職した人もいた。
精神保健福祉士とは、精神障がい者を対象に社会参加を支援していく国家資格である。精神病院にはいまだ30万人を超える患者が入院しており、なかには30年近く入院している人もいる。身元引受人もおらず、やむなく入院生活を続けざるを得ないケースも多い。入院が長期化すると、“自立した生活”をする力を奪ってしまいかねない。
そんななか、病院の生活から地域で生活できるよう、また“働きたい”との思いを応援できるよう支援していく精神保健福祉士が誕生したのだ。
社会福祉学を学問の基盤におき、「生活者の視点」をもって、対象者の、これまで歩んできた歴史、社会的背景に目を向ける。ニーズを“個別”にとらえ、支援を始める。そして、当事者と社会との間にあるストレス等の関係性にも目を向け、社会資源を活用しながら支援を展開する。仮にその地域に利用できる社会資源(例えば居場所や働く場所)が乏しければ、自ら社会資源を立ち上げることも視野に入れ展開いくところにPSWの大きな特長をみることができるのだ。また当事者が自立した生活を送れるよう、障害年金や障害者手帳、ホームヘルパー等の制度を活用し、経済・生活を側面から支えていく。
精神保健福祉士はこのように、当事者を取り巻く環境にも働きかけるソーシャルワーカーであって、部屋でカウンセリングをする臨床心理士とは違う。専門学校では、精神保健福祉士はカウンセラーではないと言われた。その違いを入学後に知った人は、卒業後に改めて心理の道に進む人もいた。精神保健福祉士法は1997年12月に可決成立して1999年に第1回試験が始まった。雄志が専門学校に入ったときは、まだ国家試験が始まって3回しか行っておらず、つまり過去問も3年分しかなかった。(2002年当時時)
講師も学生も、また学校全体としてもこの新しい資格には手探りであり、なんとしても資格を取得し働こうと同級生たちは“就職口”をみつけるため、人脈づくりに励みつつ、勉強していった。講師の先生のなかには、過去問からやる方がいいと話があり、夢中で繰り返し問題を解き、先生に解説してもらう日々が続いた。
ある日、専門学校の紺野先生(仮名)は「この精神の病気になる人は、みな、ほんとに一生懸命で真面目に頑張ってきた人たちなんです。」
作品名:心の病に挑みます。 作家名:大和雄志