心の病に挑みます。
自宅に帰ってからは通院先が一番大事なポイントとなる。雄志の姉の多美子は病院に勤務しており、付き合いも幅が広かった。その中で、大阪市内に山岡診療所(仮称)という有名な病院があることがわかった。
精神科で有名な先生ということで、すごい方がいるということだけはわかった。通院へは母と共に行くことになった。
少し古いビルの2階に山岡診療所がある。年代を感じさせるビルの階段を上ると、いくつか会社が入っている。その奥に山岡診療所があった。自動ドアのボタンを押し、中へ入ると、少し疲れた表情のする人が何人かイスに座っていた。
「ここが精神科というところか・・・僕も精神科の患者さんの一人になったのか・・早く治りたい・・・健康な体に戻りたいなあ。」
と治すことに焦っている雄志がいた。治そうと焦れば焦るほど、空回りすることをこのときは知らなかった。人は誰でも病気にはなりたくないものだ。健康でありたいと皆願う。ところが、思わぬところで病気になり、邪魔をされる。
その時にこそ、どう病いを受けとめるかが大事になってくる。悲観的になり、沈んでいても前へは進めない。いかなる苦難にも立ち向かい、どのような障害があっても屈しない、受け入れる。自分に負けないことが人生に最も大事なものなのかもしれないと自分に言い聞かせた。
ともあれ、三時間は待ったと記憶する。雄志の頭の中では相変わらず忙しく回転していた。噂で聞く山岡先生(仮名)から名前を呼ばれた。
「こんにちは、どうですか?」
この、山岡先生の『どうですか?』の質問にあらゆる意味が含まれている。
深みと温かみがあり、かつ厳愛のこもった山岡先生の声に圧倒され、思わず本音がもれる。思っていることをたちまち見抜いてしまう山岡先生を前にして、雄志は頭のなかで考えてきたことをいうはずだったが、この、『どうですか?』という千金の重みある質問に瞬間、すべてを忘れてしまった。
「世界の指導者となるにはいっぱいやらないといけないことがあるんです!世界の文学も隅々まで全て暗記して、英会話もマスターして、経済も政治もなにもかも完璧に把握しないといけないんです!」
雄志はスーパーマンになろうとしていたのだろうか・・・。山岡先生は
「どれか一つだけにしよか」
とさらりと言うのであった。
「え!たったひとつですか?そ、それやったら読書かなぁ・・・」
雄志はキョトンとした表情でつぶやいた。
全部やらなきゃと思うほど何一つ身についていない。それを見抜かれた。あれもこれもと思っているだけでは前に進まない。まず目の前にある一つのことを確実に仕上げていくことだ。“一遍にすべてやりきる力”をつけることを目指すのではなく、一つ一つ整理して、着実に地に足つけてやっていくことが大事と、山岡先生に言われたのだ。雄志は、足が宙に浮いた状態になって、頭の中だけがブンブン振りまわっている思考状態だといってよい。エンジン全開でギアがニュートラルと表現されたこともある。つまり空回りなのだ。また、退院当初
「息子は家で寝てばかりなんです。」
と母は困り切って山岡先生に相談した。
「薬をみせてごらん!え!ヒルナミン100ミリ!?これだけ飲んだらぶったおれるわ!薬を半分に減らします。昼も寝ていて当然です。充分な睡眠が雄志君にいま必要なんです。お母さんご理解ください。でも大和君、意識がこちらに戻ってきてよかったね。あと一歩でどうにかなっていたよ。お母さんの祈りのおかげだよ。」
山岡先生は雄志にそう諭しつつ、ある曲を口ずさんだ。
「母よ〜あなたは〜なんと〜ふしぎな〜ゆたかな〜ちからを〜もっているのか・・」(母の詩 作詞 山本伸一)
山岡先生は雄志に向かい、言った。
「お母さんの祈りで、あなたはこの程度ですんだのです。お母さんに感謝しなさい」
母は目から大粒の涙をこぼした。診察室を出て会計を済ましたものの、薬待ちで一時間以上も待った。その間、雄志は一旦外に出て近くの店に入り、中華そばを母と食べた。
「雄志、チャーハンも食べて餃子も食べて、食べすぎじゃない。」
母は、太ることを警戒して怪訝な顔をした。
「大丈夫だよ、病院食では随分我慢してたんだ。」
雄志はおかまいなく餃子を食べていた。
「大丈夫、運動すればいいんだから」
といいながら、いつも薬の効果で家ではぐっすり寝てしまうのであった。雄志は、診療所から帰りの電車で考えていた。雄志は今年、大学を留年して五回生となっていたのだ。あと一年で卒業しないと除籍処分となってしまう。
「あと卒業まで何単位いるのかな?37単位か!これなら何とかいけそうだ。」
そう計算すると、安心しながら外の景色を眺めていた。
「内定していた会社も病気で辞退したし、進路を早急に決めないといけない。」
不安を抱えながらもその日は、自宅に帰ってからトルストイの『戦争と平和』を読んでいたが、ソファの気持ちよさに引かれてか、薬が効いたのか、ぐっすりと夜まで眠り込んでしまった。いつも、食事の時間になると起こされ、食べるとすぐにまた寝る、の繰り返しだった。いうまでもないが、怠けているのではないことを理解してほしい。薬の作用が強すぎるのだ。健常な人でも一錠飲んだだけでもフラフラになるらしい。そういう薬を何錠ものんで、ようやく脳内神経の異常な活動が、抑制されるのだ。寝たり食べたり、また寝たり。そうこうしているうちに3ヶ月が経過した。
2001年春4月、大学に帰る時期が近づいた。最後の六回生だ。家族が心配するなか、雄志は実家を離れて再び関東で一人暮らしを始めた。
「いよいよ憧れの関東中央(仮称)での生活も今年で終わりなんだな、楽しい学生生活もすべて終了するんだな」
雄志は一日一日を大切に過ごそうと決めた。この一年で関東のラーメンも最後か・・・と、晩遅くに自転車でラーメン屋に通うこともあった。サークルの運営は後輩が中心となっていた。自分の時代は終わったなと感傷にふけることもしばしばであった。懐かしさで胸がいっぱいになることもあった。就職活動もしなくてはいけないと思ったが、頭がボーッとするので履歴書に書く字がふるえてどうしてもゆがんでしまう。間違いも多いし、時間の感覚が普通の人と違って、常識からずれていくような感じがしていた。
革靴を履き間違えることや物忘れが多くなるなど、不安要素いっぱいの中で無我夢中で、突っ込んでいくような気持ちで就職面接に挑んだ。下宿している関東中央から東京に出て就職活動をしたりもした。
ある会社で面接に臨んだとき、講演会の企画を学生時代に実行したことで、採用担当者をひきつけるものがあったようだが履歴書に写真を貼り忘れていることを指摘され、「これじゃだめだよ」と烙印を押され、かなり落ち込んだりもした。あれだけ注意深く履歴書を書いたのになぜ抜けているんだろう・・・と雄志は肩を落とした。雄志は際限のない不安に吸い込まれていくような心境だった。
そんな雄志をなぐさめてくれたのは、関東の自然豊かな景色だった。しかし、今年度でもう離れなければいけない。憧れの大地で過ごせた6年間も終わりに近づいてきた。感謝の想いが込み上げてきた。