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心の病に挑みます。

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雄志は自分にそう言い聞かせていた。この考え方は、精神保健福祉の授業と現場から学んでいたものだ。
雄志には、妻と家族がいる。妻と二人の子供と。家族を養い、生活をしていくには働く以外にない。家族を励みに、自分自身に鞭を打って思い切って動いていくほかないのだ。
しかし、現実の仕事はあまりにも厳しい。2008年のリーマン・ショック以来、世界は100年に一度といわれる不景気に突入した。また、日本では1998年頃よりデフレの影響があり、社会的にもどんどん苛酷な労働環境となっている。
企業はギリギリの人員で儲けを出そうとしており、社員はサービス残業だの休日出勤だの、あげくにリストラなどされる。社員も疲労感が漂い、人間関係もピリピリしたものとなりつつある。新人をじっくりと育てる余裕もなく、ハードな目標についていけず、辞めていく社員も多い。デフレの影響で物は安くでしか売れず、働く割に給料もあがらず、過酷なノルマのなかで、ついには精神疾患にかかる人も多い。
「こんな社会に誰がした!」
思わず、居酒屋で憤るサラリーマンを目にした。
「政治家が何もしないから悪いんだ。政治は何やってんだ。」
私腹を肥やすための政治活動か、地位と金と権力がそんなにほしいのか?評論家は有利になる方について、弁護活動をしている人も多い。自分の名前を売るためにせっせとものを書いているのではないか。ジャーナリストは民衆のために活動せよ!傍観者的に意見をいうのではなく、庶民の目線で発言するべきだ。
ともあれ、不況の真っ只中、雄志はJSCの池山支援員とともに、精神障害をオープンに就職活動をし、そして支援を受けてようやく就職できたのであった。そして、半年過ぎた頃、池山より
「当事者講師としてデイケアで話をしてもらえますか?」
と依頼されたのであった。
何を話せばよいのか・・話したいことはたくさんあるが、整理がつかず迷った。しかしスタッフから用意された5〜6問の質問に答えていくうちにだんだんみえてくるものがあった。講演当日が平日であるため、雄志は、職場を休まねばならなかった。池山より依頼され、快く返事をしたものの、そこに一抹の不安があった。勇気をだして、役員に相談したところ
「どんどん外に出る活動をしたらええよ。」
と後押ししてくれた。雄志は、その日を境に原稿執筆に取り組んだ。
再就職してから半年後の秋、雄志は、専門学校時代に訪れた岸ノ辺駅(仮称)へ向かう電車の車中にあった。緊張感で手に汗をかいている。外は小雨がパラパラと降っているようだ。
雄志は、書き上げた原稿にさらに何か書こうとメモ帳を取り出したもの、頭のなかがさっぱりまとまらず、結局、外の町並みをボーっとみているだけで精一杯だった。早くも移動の車中で人疲れしていたようである。
それはさておき、緊張しながら夢見診療所へと入っていった。かつて専門学校時代に見学させてもらった場所である。すでにデイケアの利用者が十数人待っていた。
“いよいよ宿命を使命に変える瞬間だ!この時に巡り合えたんだ!”雄志は緊張と興奮で固くなっていた。
JSCを統括する所長、花塚は
「みなさん、こんにちは、大和さんはこれだけの人がいる中でもうすでに緊張しているようです。もしよければ、大和さんのお話に時々ふんふんとうなずいてくださると、リラックスしていいお話ができると思います。」と場を和ませてくれた。
参加者は雄志を興味深げにみているが、花塚の話を聞いて、うなずいてくれた。雄志もかなり緊張がほぐれつつあった。
当事者講師として、花塚との質問形式で与えられた時間は40分ほど。限られた時間に伝えたいことをわかりやすくまとめるのがポイントだ。
JSC統括所長・花塚の巧みな問いかけに雄志はゆっくりと答えながら、参加者と対話するような気持ちで話していった。
雄志は参加者から質問を投げかけられたとき、整理ができず質問の趣旨を把握できないこともあった。そんなときは隣で巧みに翻訳してくださったのだ。この巧みなフォローでどれだけ助けられたことか。雄志の話しが終わり、質疑応答となった。
「仕事でミスをしたときはどう対応しますか?」
との問いかけには
「ミスしたのは誰ですか。ほかでもない自分なんです。率直に謝ることが基本です。」
と答えるのだった。
「障害をオープンにして差別されたりしないですか?」
との質問には、
「何を言われても気にしないように自分自身が強くなることです。何を言われても聞き流せるぐらいになることです」
と率直な思いを語った。
講演が終わると、幾人かの人から
「ありがとうございました」「応援しています、がんばってください」と握手を求められた。
“求めている人がいる”どんどん、語っていくべきなんだ。帰りは相変わらず雨が降っていたが、雄志の足取りは軽かった。
定期購読している雑誌「こころの元気」を読んで、雄志は次の目標を定めた。
コンボ(NPO法人 地域精神保健福祉機構)の「働く生活ストーリー」のテーマで雑誌に掲載されることを次の目標に掲げたのである。
しかし4000字という字数に少しとまどいはあったが、雄志は、以前より、執筆活動をしており、その一環として、JSC北摂を利用し、就職に至るまでを詳細に、執筆していたのだった。
池山支援員とのやりとりなどを克明に描写している箇所などを重点的に組み込んで、4000字の執筆にあたった。そして、コンボに思い切って投稿したのだった。
2009年の年末、雄志はその年の最後の出勤となる日に、職場に向かい歩いていた。
すると、携帯電話が鳴った。
「原稿をみさせていただきました。実は、来年の2月に千葉の幕張で精神障害者中央就業セミナーをやるんですが、大和さんには、講師として発表していただきたきたいと思い、お電話させてもらいました。」
雄志は驚いた。そして快諾した。後日、再びコンボの金田さんより電話があった。
「大和さん、ラジオの方にも出ていただけませんか?」
「え!?ラジオですか?それはちょっと考えさせてください。2〜3日でご返事します。」
急な展開に雄志は驚いた。
ラジオとなると、全国規模で名前が発信されてしまう。それは遠慮しようかと迷ったが、せっかくオープンにして就労しているのだから、この際、やってみようと思い切って出演を決めた。
職場のあるセンターには、障害団体事務局があり、そこに精神の関係の人もいるのだが、その人たちも雄志の体験を読みたいと言ってきてくれた。
そして、縁があり、2月の市民ボランティア講座にも講師としてもお話する機会を頂いたのであった。
大阪を出発するときがきた。2月25日は、正午の12時に千葉の幕張に集合であるため、雄志は新大阪から朝早くの新幹線に乗らねばならなかったが、もしも6時に起きられなかったら話にならないと、夜行バスに乗り込むことを決めた。
翌朝、千葉に到着すると、雄志は喫茶店にはいり、1時間ほど原稿に加筆していた。そして、幕張の会場に向かうべく歩きはじめた。会場が近づくにつれ雄志の胸の鼓動は高鳴った。
師匠に誓ったとおり、精神障害者として病気を抱えながらも社会で働くことで、障害者の希望の光となり、その道を照らす活動を開始できるからだ。
作品名:心の病に挑みます。 作家名:大和雄志