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心の病に挑みます。

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「聞くんだけど、『ないよ』と言われる。あと『機転が効かない』とか『覚えるのが遅い』っていつも言われる。
必死でメモをとるんだけど、どんどん忘れていくし・・・」
「ひょっとして、それってやっぱり病気があるからじゃない?一般の人ならできることでも病気の部分が仕事に支障があるのかもしれないよ。」
妻の嘉穂はそういうとインターネットで何か調べ始めた。
やがて妻の表情が少しだけ和らいだ。雄志は少しホッとした。
「あなたみたいに、精神障がいがある人で、継続して働いてる人がいるみたいよ。あなたも支援を受けて働いてみたらどう?」
「ほんとか?よく調べてくれてありがとう。・・・ともかく、職安にいくにしても今度は障害をオープンにしていこうと思うんだ。」
翌日、雄志はハローワーク北摂(仮称)に向かった。
コミュニケーションの難しさから転職を繰り返してしまうため、今度は障害をオープンにして仕事をみつけようとさっそく『専門援助部門』の窓口に向かった。
「障害者手帳はお持ちですか?ちょっと貸して頂きますね。」
と係りの女性がそういうと雄志の手帳をもって奥へ入っていった。
やがて雄志が呼ばれると、失業給付が約9ヶ月もついていることに気付いた。精神障害者は就職困難者扱いとなるらしい。
雄志は複雑な気持ちで受け入れざるを得なかった。ともあれ、生活は当分の間、守られる、助かった・・と雄志はホッとしたのであった。
「これでじっくりと次に向けて仕事が探せる。」と。
以前、雄志は青空クリニックの仕事で行き詰まるたびに、
「ひょっとすると、やっぱり自分もいつかは、精神障害をオープンにして働いた方がいいのかもしれない」
と考えるようになり、退職後、やむなく障害者手帳を取ったのだった。
求人を見ようとすると、専門援助部門の窓口の職員からこう言われたのであった。
「精神の方には、有料ですが、新しくできた、大阪精神障害者就労支援ネットワーク“JSC北摂(仮称)”がおすすめですよ。」
「それはどういうところですか?」
「精神障がいをもつ方をハローワークと連携しながら就職をサポートするところなんです。大和さんならこれ一つに絞って就職活動することをお勧めします。」
「へぇ!いつそれはできたんですか?」
「2008年の4月からです」
「ありがとうございます。さっそく電話してみます。」
雄志はお礼をいいハローワークをあとにした。
雄志は、今まで福祉の仕事と一般事務の仕事をしてきた。
しかし、やはり『手に職』をつけたほうが長く続けられるに違いないと、一時期、電気工事にも従事したことがあったのだ。高圧電流が流れる中、真っ暗な地下にもぐり、泥まみれになってケーブルを敷設・撤去する作業をしていた。
しかし少し間違えば感電死する危険性もあり、収入よりもその怖さが大きくなり、退職の道を選んだ。そして、次に技術を身につけたいと思い、関西ポリテクセンター(能力開発校)に通うことを何度も考えるようになる。
そのことを妻に話すと、
「一般の人ならいいかもしれないけどあなたは病気の部分があるから続かないんじゃない?」
といわれ、少し落ち込んだままJSC北摂に電話をすることを決めた。


基礎訓練と気づき

「もしもし、大和といいます。私は精神障がいがあるのですが、JSC北摂では具体的にどんなことをやってるんですか?」
女性スタッフが電話にでたようだ。
「箱折りとかギジエをつくったりしてますよ。」
「ギジエ?なんですかそれは?」
「釣りで使う餌に似せたものをつくっています。」
「わかりました。一度見学させてほしいので、都合のいい日時を教えてもらえませんか?」
「では明日の10時頃はどうですか?」
「わかりました。では明日よろしくお願いします。」
言葉は穏やかであったが、雄志は焦っていた。失業給付がでるとはいえ、家族の生活がある。
早く今の状況から抜け出さねばならないとそればかり考えていた。
翌日、阪急北摂市駅(仮称)から市役所を越え、JR北摂駅(仮称)方面に走り、高架(こうか)をくぐると牛丼屋がある。その手前に薬局が入ってる建物の二階にJSC北摂の事業所があった。
雄志はドアを開け一歩踏み出した。
「こんにちは、大和といいます。」
「大和さん、こんにちは、昨日お電話いただいた方ですね。私は宮城といいます。」
宮城という明るい感じのする女性は、
「では、部屋に入って待っていただけますか?」
と告げ、書類を取りに行った。

やがて戻ってくると、宮城は雄志に作業内容や必要書類などを説明してくれた。雄志は自分の病気についても語っていった。
学生時代に急性の精神病になったのをきっかけに、病気を抱えながらも精神保健福祉の分野での仕事を希望したこと、そして、精神の病を再発し、体調を崩し、今度は支援される側にまわることなど・・・。

そして、手に職をつけたいので“ものづくり”がしたいことなど・・・。
スタッフとしての立場がなくなったことは屈辱的なことではあったが、逆に素の自分のままで、これからは生きていこうと、自分に言い聞かせていたのであった。
JSC北摂での就労までの流れとしては、まず所内で基礎訓練を積み、数カ月の実習を2〜3回行って、ようやくトライアル雇用に入れるという。そして約3ヶ月間のトライアル雇用期間で、正社員になれるかどうかも決まる。
“なるほど、きちんとステップアップする仕組みになっているんだな”
と雄志は納得した。

何事も順番というものがある。訓練なくしていきなり正社員を目指すことはハタからみれば無謀に近い挑戦と映ってしまうのだ。
桃栗3年柿8年と言われるが、訓練という下積みの期間があってはじめて実がなるのである。
人生でもある哲学者は“若いときは求めて苦労することだ。若い時の苦労がすべて財産となる”と繰り返し言われている。雄志は宮城さんにJSC北摂の所内を見学・説明してもらい、通所することを決めた。
7月某日にJSC北摂と利用契約を結ぶと、その一週間後からの通所開始となった。訓練の開始は朝の9時00分からである。雄志はギリギリの9時00分に到着してしまった。すぐに朝礼の時間がきた。司会は利用者が順番にひとりずつ行っているようだ。
「おはようございます。それでは朝礼を始めます。」
みな立ち上がった。雄志も立ち上がった。
「今日から通所される人を紹介します、大和さんです。」
雄志はしゃべる内容をあれこれ考えていたものの、結局、
「大和です。よろしくお願いします。」
ということが精一杯だった。ここから雄志の就職に向けてのチャレンジが始まるのである。
しかし、“それ”はすぐにもやってきた。入って二日目、作業中、その場を離れたくて体がムズムズし始めた。
「誰かに話しを聞いてほしい」
と雄志は自分の話しをしっかり受け止めてくれそうなスタッフを探そうとし、その中から偶然にも池山スタッフを選んだのであった。
「こんなことをやっていてほんとうに就職できるんですか?」
「そうですね、会ってすぐですので犬井さんの就職までのイメージが描けてませんが、大和さん自身の課題を確実にクリアしていけば形になると思います。」
「そうですか、わかりました・・・。」
作品名:心の病に挑みます。 作家名:大和雄志