心の病に挑みます。
試験が終われば就職活動が待っていた。2002年4月には精神障害者地域生活支援センターが各地ででき、そこには精神保健福祉士の配置が義務づけられた関係で、求人が出ていた。
ある市の支援センターにいくつか面接を受けに行ったが、どれも厳しい結果になった。あきらめそうになったが、それでもあきらめずもう一つ某市の支援センターへ雄志は向かった。男性の職員がほしかったということで、雄志は支援センターへ無事に就職することができたのである。そして三月下旬、雄志は試験の受験番号をホームページで見つけたのであった。合格を勝ち取った!そして晴れて社会人となれたのである。
雄志は、試験からの帰り際、ドキドキしながら嘉穂にメールを打っていた。
「どうだった?僕はなんとか合格できました!」
メールを打ち終わると、一息して缶コーヒーを飲みながら、携帯電話を見ていた。数分後、嘉穂からメールが届いた。
「雄志君、本当におめでとう!私も合格できましたよ!」
雄志と嘉穂はお互いの合格をたたえあった。
「雄志君もこれで安心して働けるね」
「うん、また会えるかな・・」
「喜んで!」
二人は、翌日、梅田にある居酒屋で祝福しあったのであった。嘉穂も就職先を見つけ、正看護師として某病院で勤務を開始するのである。雄志は晴れて精神保健福祉士として働き始めることになる。
給料は安いかもしれないが、やり甲斐と喜びはたとえようもないものだった。自分自身が病気を抱えながらも社会的に弱い人のサポート役として仕事ができるのだ。統合失調症になりながらもこのように働けたのは、学校の先生・先輩の姿を目標に、人間として成長させてもらえたからに違いない。また、友人である剛の飾らない励ましの言葉に気づくことも多かった。
そして、勇気を出して、人の輪の中へ飛び込み、対話していくという実践の姿をそのまま実行する積み重ねのなかでつながることに気づいたのである。積極的に人の中へ入り、会話をし、コミュニケーションをとっていくことがいかに大切か。
当事者にとって退院後は地域生活と生活の質の向上が焦点となる。雄志は幸い専門学校へいけ、その分野の師匠に出会い資格をとって就職を目指すという目標があったからよい。しかし多くの当事者は入院しているときよりも、退院後、地域で生活するのに不便がいろいろとでてくるのだ。
服薬がきちんとできるのか、幻聴がでたときどこに相談するのか、就職・復職はできるのかなど課題はたくさんある。
そういった問題を地域で総合的に見る施設が地域生活支援センターなのだ。関係者は地域生活支援センターに希望を見出だしていた。
雄志は実習では病院がバックにある支援センターであったが、就職したのは家族会が苦労の末立ち上げたセンターであった。社会人経験のない雄志はそこでは大変にお世話になった。仕事をしながら、自身の病気のリハビリともなったからである。メンバーが訴えてきたことに対し、どう言葉を返していけばよいのかを先輩に教えてもらいながら一つずつ仕事を覚えていった。
なんでも一人でやらないといけないと気負うものの、フォローされることが多かった。
「さようなら・・・。」
ある日突然、嘉穂からメールが流れてきた。
理由もわからず動揺した雄志は、
「なんで?僕が何か悪いことしたんかな?教えて!」
と全身に汗をかきながら返事をした。
「いつも私の気持ちをわかってくれないよね?」
「ちゃんと嘉穂に意見を聞いてるやんか。」
「もういいよ。」
嘉穂からのメールをみると雄志は、涙を流して覚悟を決めた。もう無理だ。別れようと。そして雄志は、
「いままでありがとう。さようなら」
とメールを返した。すると、嘉穂から
「そうじゃないのよ。いつも雄志君、私の気持ちを考えてくれないよね。自分の気持ちだけ一方的に伝えてくるよね・・。」
「あ、そういうことだったのか・・。ごめんね・・・。わかった。これから気をつけるよ。」
「また、仲良くしてくれますか?」
意外なメールだったので雄志の心に太陽が昇った。
「もちろんです!またゆっくり話聞かせてね。」
雄志の涙は流れたままだったが、心に空きかけた穴が、再びふさがってくるようななんともいえない喜びに満たされてくるのだった。
「嘉穂、結婚しよう」
と、雄志は先走りそうになる想いを必死でこらえつつ、何度も携帯電話をみつめていた。いざ女性を目の前にすると、「結婚しよう」の言葉がなかなかでてくることはなかった。どうしても面と向かって告白する勇気がもてず、メールでの告白を決意した。
「結婚しよう!」
とメール送信後、いてもたってもいられなくなった雄志は、携帯電話を閉じると胸の高鳴りを抑えながら散歩に出掛けた。
春の陽光が雄志を温かく包んでいた。ふと空をみつめると雲は穏やかに流れていた。鳥のさえずりを聞きながらベンチでまどろみ始めた頃、着信音が鳴った。
“嘉穂からだ”
ゆっくりと目を開けて、メールを読んだ。
「私を幸せにしてくれますか?」
雄志は、
「もちろんです!」
と返事を打った。そして結婚式へ向けて準備をすすめた。
2004年9月19日、新大阪のホテルで、雄志は袴姿となり、嘉穂はドレスに身をつつんでいた。2人にとって記念すべき披露宴が始まった。荘厳なホテルの披露宴会場に、雄志と嘉穂は、あたり
を見渡しながらゆっくりと入場していった。
“やっとここまで歩んでくることができた!”
雄志には感慨深いものがあった。それは病気を抱えながらも、資格をとり、仕事をし、さらに結婚までできるとは、夢にも思わなかったからだ。雄志は、緊張でガチガチになりながらも顔は誇らしげに輝いていた。雄志の結婚を祝福してくれたのは、大学サークルの懐かしい先輩や同期生であった。
「本日は、大変お忙しいなか、私たちの結婚式にきてくださり、心より御礼申し上げます!」
雄志の勢いのある声がマイクを通して会場に響いた。
「大和君おめでとう!俺もほんまに嬉しいよ。」
「雄志が結婚できるとは・・・頑張ったな〜、でもあまり無理するなよ。先は長いぞ!」
ある先輩はビールをつぎながらそう雄志に語った。
「遠いところ、ありがとうございます!先輩のおかげです。」
興奮している雄志は、コップを手にとると、ぐいと一気に飲み干した。雄志は顔を赤らめながらも、和やかに披露宴を迎えることができたのであった。そして、新しい生活が始まった・・・。
女性と初めて一緒に生活する。女性の気持ちをいつも嘉穂から学びながら雄志は生活と仕事に励んでいった。
使命の舞台
結婚を機に近くにあるA市の青空診療所(仮称)の精神科デイケアに勤めることになったのである。
さて、舞台はA市に移った。青空診療所でPSWとして勤務することになったのだ。まずは主となるデイケア業務はどのようなことをしているのか。