わたあめ
いつもより少し早起きして髪を結ぶ。昨夜は胸がいいほうの意味でぐっとして寝付けなかった。なのに今朝はすぐに目を覚ました。 我ながらなんて単純、でもそれが若いってもんだ。 私は若さに感謝する。自分らしくもない滑稽な自分に上手い言いわけが出来る気がするのだ。
だって私は若いもの。なんて。
ケープを軽くかけ、もう一度お花みたいなおだんごの出来をチェックした。
(よし、よい出来)
2月にも関わらず念入りに日焼け止めを塗った私は大きく息を吸い込む。 冷たい様な暖かいような空気が肺にすべりこんだ。
昨日、あいつは帰ってこなかった。いつ帰ってくるか気が気じゃなかった。帰ってきてほしくないのに、帰ってこないと不安になる。もちろん帰ってこないことに対してではない。
…でも、結局のところやつは帰ってこなかった。
そのこともあって私はより一層心が浮き立った。なんだか自分が普通の女の子のようだ。ちっぽけな世界のちっぽけな女の子のように思えるのだ。
どうせ夢なんかすぐ覚めちゃうんだろう。でも一瞬の夢なら神様も許してくれる気がする。
とんっと誰かが肩をたたいた。
「おはよ、佐菜」 優美香のメイクは今日もばちばちに決まっていた。 肌荒れしないのだろうか。
私はうんそうだね、などと頓珍漢な返事をしながらそわそわきょろきょろとしていた。
心なしか学校中が浮足だっている。女子の大半が友チョコを配り歩き、一部は本命を渡すタイミングをさしはかっているのだ。 ちなみに私は後者だ。
「あ、今日髪型かわいーじゃん!器用だねー、どうなってんのこれピン見えないし」
ぼけっとした私にお構い無しに、優美香は早速反応してくれた。 こういうときの女子の反応って異様に速い。
「企業秘密だよー」
「ふふーん。さては今日バレンタインだからでしょ?」
早速ばしっと核心をつく優美香を尊敬した。 そして同時に無性に恥ずかしくなってしまった私はつい、可愛げなく返す。優美香は柔らかく笑っているのに。
でも優美香は知っている。なんとなくだけど、わかってくれている。私がそんな物言いをしてしまう人間だって。そしていつも許してくれるのだ。そんな優美香に私はついつい甘えてしまう。
「そうだけど悪い?」
優美香はすぐにいつもどおりフフっと笑った。けれどそのあとに続けた台詞は私の想像していたものと全く違った。
優美香は少し、困った顔をした。
「悪くないけどでも…まずくない?相手、山田だよね?…いやわかってるよね…」優美香は言葉を濁らせる。
?
「よくわかんないけどちょっと山田君探してくるね!」
クラスに見当たらなくてもやもやが最高潮に達した私は立ち上がった。 髪もメイクも完璧なうちに会いたい。
「あっちょ待っ…」
優美香が後ろでなにか言おうとしていたけど、私はそのまま駆け出した。 早く渡さないと心臓がおかしくなってしまいそうだ。 そしてそのままずるずると一生チャンスを逃すだろう。
靴箱に靴はあったから学校には来ているはずだ。 山田くんの靴は外地が紺に中がクリーム色のコンバースである。 あまり見たことのない色のバージョンだったからよく覚えていた。まさか彼に限ってコンバースマニアでもあるまいが…。でも私は彼のことを何にも知らないんだもの。
そうだった。大事なことをすっかり忘れていた。
私はきゅっと立ち止まる。
私は山田君のことを何にも知らない。一体どこを探せばいいのだろう。
というか…。
どうして私は山田君を好きになったのだろう。何のきっかけも思いだせない。
昨日好きになった、と言ってもいいくらいなのだ。
不思議だ。顔だって決してイケメンというわけでもないのに。端正といえば端正だが。
気づいてしまった私の声はだんだん小さくなる。浮かれていた自分がだんだん奇妙な生き物に思えてくる。こうやって私はいつも何かの欠片を断念してきた。夢から覚める3秒前だ。でも待って。まだ、もう少し待って。
一度手に入れた楽ちんな世界を私はまだ手放したくない。大丈夫、まだまだきっと大丈夫。
「山田くーん…」
自分でも驚くほどの、投げやりで、カラッポな声が廊下に響く。
山田君は何処にもいない。最初から山田君なんてモノはいなかったのかもしれない。 なぜか涙かでてくる。
私はすぐに泣く女が心底嫌いだったはずだ。だってそんなことしていても何も変化は生じない。無駄に体力を消耗するだけだ。
なのに。こんな、こんなくだらないことで泣いている。
今までだって何度も何度も泣きそびれてきたのに。
私はこんな生き物じゃない。
なぜ?
なぜこんな好きなのだろう。気付いてまだたったの一日しかたってないのに。
もしかして気付かなかっただけで、出会った時から好きだったんだろうか?でも出会った時なんて思いだせない。多分クラスがえの時だろう。
もしかしてこの気持ちすら錯覚なのだろうか。
私は、ただ廊下につったっていた。無償に空しいのだ。 無理やり詰め込んでいた何かがぼろぼろとこぼれ落ちていく様な感覚。
だって。
ゆみかが言った。教えてくれた。
まずい。
余計な記憶がこみあげそう。
ゆっくりと
なにかが
私の脚をつかもうとしている
「倉橋さん」
飄々とした声が廊下に響いた。しゅるしゅるとなにかが私の脚から離れていく。どこにでもいそうで、それでいてどこにもいそうにない独特な空気。私は阿呆みたいにぽかんと口を開けた。
「山田くん…山田くんだ…山田くんだ…」
すごいタイミングだ。
救世主だ。
白い一本の光。
山田君は照れた様に微笑む。「はい、山田です。…すみません、早く来すぎたんで屋上で寝てました。」
(…え?)
なぜ私が彼を探していたことを知っているのだ。
私の怪訝な顔に気付いた彼はちょっと笑いながら「倉橋さんが僕を呼びながら半泣きになって走ってたってさっきから廊下で言われ続けてたんですよ。」と言った。
はっ 恥…。
恥と喜びで顔がほてる。 山田くんは不思議そうな顔をしていた。
「なにか、あったんですか?」
「へっ?」
「…いえ、こんなに表情がくるくる変わってる倉橋さん初めてみたので…」
「…。」
私はハッとして口をつぐんだ。
私はそんな人間じゃない。普段の私にはぺったりと顔が張り付いている。 無表情、もしくはうすっぺらな嘘臭い笑顔を張り付けてるだけだ。
そんな他人無関心自己中人間が半泣きで走り回ってたらそりゃ目立つだろう。
私は今の自分のあまりの無防備さに笑った。能面ではなく、笑った。自分があまりに滑稽で。
そんな私に、山田くんは心配そうな顔をしていた。 自分でも自分が心配だった。能面のはずし方を知らない私は上手いもどし方も知らなかったのだ。だから多分、少しパニックになっていた。
「倉橋さん…?」
山田君は困った顔になる。
違うって。君のせいだって。
私はだんだん自分に呆れてきて溜め息をつく。
そう、いつも通り冷静に。
大丈夫だ。なんとか取り戻せた。
「…これあげるよ」