放課後シリーズ
「欲?」
「おまえに勝ちたいって言う欲」
森野は首を傾げる。試合と言うものがある競技において、勝ち負けを意識するのはあたりまえじゃないかと。
「どう言う意味だよ?」
「まんまの意味」
「頭悪いから、わかんねぇ」
上芝は小さく息を吐く。それから視線を日誌に落としたかと思うと、決心したかのように上げて森野をまっすぐに見た。
「森野の射は的に向かって行く。おまえは気ぃ付いてへんかも知れんけど、引いてる時のおまえは恐いくらいに集中してて、気迫が全身から出てる。俺はそれに伝染するんや。うつされて、冷静でいれんくなる。自分の弓を忘れて、おまえに勝ちたくなる」
「いいじゃん、それ、あたりまえだろ? 俺はいつだって、勝ちたいと思ってるぞ。上芝にも倉橋にも、他の誰にでも」
「弓は無欲。見据えるのは的。雑念を払って、一点を見つめる。すべての射は一射絶命の精神で引く――俺はそう教えられた。勝負は自分自身とするもんやて。そうすれば、必ず結果がついてくる。せやけど、森野の弓を見てまうと、どうしても勝ちたくなるんや。一射、一射、おまえが的中させる度、俺はどんどん勝ちたくなる。その気持ちが先走り過ぎて射に集中出来へん。俺は絶対、おまえには勝てん」
「上芝」
「おまえが誉めてくれたあの一射は、今の俺では引けん。あれはおまえの弓を知る前やったから。俺はおまえに勝ちたい。そのためには森野の気迫に負けんように精神的に強うならんと。そやから俺は、自分の弓を取り戻しに行くんや」
そこまで一気に話きると、上芝はイスに背をもたせた。見たこともないくらい真剣だった彼の表情は消え、代わりに苦笑が浮かんでいる。自嘲気味とでも言うのか、そんな笑みだ。
「そんなこと、今まで言わなかったじゃん」
「『うん、今、初めて言った』」
森野の言葉を引用した時、上芝の目はいつもの飄々としたものに戻っていた。それから日誌の続きを始める。
しばらくの沈黙。
森野はペンの動きを追った。きっちりとした丁寧な字が綴られて行く。意外と神経質な字を書くんだな…と森野は思った。もしかしたら、自分は彼の表面的なところしか、見ていないのかも知れない。
「へへへ」
と森野は笑った。
「俺の弓、認めてくれてたってことだよな?」