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(続)湯西川にて 11~15

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(続)湯西川にて (13)命短し恋せよ乙女

 「ご馳走さま」

 すっかり房総のクジラの料理に満足をした清子が、
鼻歌まじりで運転席に座り込みます。

 1時間半ほどかけて、ゆったりとランチを堪能した清子は、帰りがけに
「ちょっと」と言って、またやよいを呼びつけました。
怪訝な顔で近寄ってきたやよいに、『あなたは何月生まれなの』と尋ねます。
「過ぎてしまいましたが、3月です」と、やよいが答えています。

 「そうなの。それであなたの名前が、やよいなのね。
 弥生は、陰暦で3月。
 弥(いや)には、「いよいよ」とか、
 「ますます」などの意味が含まれていて
 生(おい)には、「生い茂る」などと使われているように、
 草木などが、春に芽吹く様子を意味しています。
 草木がだんだんと芽吹く月という意味から、3月が弥生になったの。
 そう、じゃ・・・・ちょっと私について来て」

 
 不思議そうな顔をしたやよいですが、もはや清子の言うがままになり、
素直に後を着いたまま、駐車中のクラウンまで歩いていきます。
トランクを開けた清子が大きなバックの中から、黄色にほんおりと
ピンクが混じった菜の花の、花かんざしを取り出しました。


 「髪に指す花かんざしです。、これは季節を彩ったもののひとつです。
 ちょっと華やか過ぎて私が飾るのには、もうすこしばかり、
 気恥ずかしいものが有ります。
 京都では、舞妓さん達が季節ごとに選び、好んで挿すかんざしです。
 もうひとつの水仙は、2月から3月にかけてよく挿されます。
 どちらも、貴方にあげますので、よかったら使ってくださいな。
 お若い方のほうが、良く似合うと思います」


 「かんざしも、時期や季節によって使い分けるのですか」


 「花柳界でのしきたりでは、そのようになっています。
 芸妓さんの装いには、豊かな四季の変化が常に映し出されます。
 もっともわかりやすいのが、季節の植物などをモチーフにしたこの
 「花かんざし」です。
 芸妓さんの黒髪を彩る美しいかんざしは、月ごとに変わり、
 微妙な季節の移ろいなどを、ほのかに感じさせてくれる演出となるのです。
 でもね、はじめてかんざしを挿すときには、ちょっとした秘訣が有るのよ。
 耳を貸して頂戴」

 女が二人、ぴったりと寄り添い合いながら、なにやら、ひそひそこそこそと
長い時間をかけて、親密な打ち合わせなど交わしています。
やがて大将との歓談を終えた俊彦が、松葉杖を不器用に操りながら、
二人に向かって、やっとの思いで歩み寄ってきました。
嬉しそうな顔をして、やよいが元気よく振り返ります。
後ろ手に何かを隠しながら、俊彦が近づいてくるのを、ニコニコと
ひたすらに笑顔のままに待ちかまえています。


 「嬉しそうだね、やよいちゃん。
 また何か、良い事があったみたいだ。
 そんな気がしてならないほどの、満面の笑顔ぶりだ」

 「いいえ。本当に嬉しくなるのは、実はこれからです。
 はじめてとなる季節の花かんざしを、これから髪に挿したいと思います。
 初めての花かんざしを心から慕っているお方や、
 愛しいお方に髪に挿していただけると、
 長年の夢や願いなどが叶う事も有るそうです。
 たった今、清子おねえさんから、その秘密なども
 伝授をしていただきました。
 お願いしても、ええどすかぁ・・・・トシさんに」


 「おっ・・・・まるで京都で舞妓さんに、
 せがまれているような雰囲気だ。
 そういう話ならば、男として、俺も後に引くわけにはいかないな」


 松葉杖を文字通り、支えとして自分の脇へ引き寄せた俊彦が
やよいから、菜の花の花かんざしを受け取ります。
不具合すぎる体勢を察知した清子が、背後へ回り込み、
そっと俊彦を支えます。
いつも長く伸ばされていたやよいの髪が、いつの間にか手早く束ねられいて
可愛い両耳の上に、ふっくらとしたまとまりを見せています。


 「蝶結びの帯といい、季節の花かんざしといい、
 どちらもすこぶる、やよいちゃんには、驚くほどに良く似合うねぇ。
 驚いたなぁ。子供だとばかり思っていた君が、今日は
 まるで初々しい乙女のようにも見える。
 やっぱり、お母さんに似て君も、房総の浜辺を代表する美人の一人だね」


 念願が叶い俊彦から花かんざしを、急ごしらえの髪に挿してもらった
やよいが、透き通るような笑顔と声で笑っています。


 「恋をすると、乙女はいっぺんに綺麗になるというけれど、
 それは、本当の話のようです。
 まぶしいほど、今のやよいちゃんは、すこぶるつきで綺麗だわ。
 じゃあね。もう行くけれど、後の事はお願いね。
 もうひとつの水仙も、かならず、好きな人に挿してもらうのよ。
 もう一人だけ心当たりがいるでしょう、あなたには。
 あっちの厨房のほうに・・・・
 ここだけのお話、大将も、たぶん、あなたの恋人の一人です。
 年頃の娘さんを持った父親の本音というものは、
 たぶんそんなあたりにあるでしょう。
 また、お会いができるといいですね。
 この旅でお会いした、房総で一番の乙女さん」


 クラウンが、軽快にタイヤを鳴らして駐車場を発進します。
笑顔のままに手を振っているやよいの姿が、車窓からあっというまに
遠ざかってしまいます。


 「命短し、恋せよ乙女か・・・・
 なるほどねぇ、昔の人は、実にうまいことをいうもんだ」


 「ふふん、だ。
 髪をかき上げたばかりのやよいちゃんの、
 真っ白いうなじを見た瞬間に、あなたったら実は心底、
 ドキッとしていたくせに。
 あなたもまったく、隅に置けません。
 でもねぇ、絶対に負けたりはしませんよ。あんな駆けだしの小娘に。
 (絶対に俊彦を、とられてたまるもんですか、あんな小娘に・・・・)
 ねぇ・・・・うっふっふ」


 スピードを上げたクラウンが、午後の房総の浜街道を
すこぶる快適に、勢いよく颯爽と走り始めます。