(続)湯西川にて 11~15
(続)湯西川にて (12)クジラの刺身
「クジラは、その種類によっても味が違います」
蝶結びの帯ですっかりご機嫌のやよいが、最初の一品を運んできました。
「イワシクジラやミンククジラは比較的クセがありませんので、
初めての人も食べやすいんです。
他の地域で捕れた鯨も出回っていますが、
こちらではツチクジラが人気です。
ちなみに、クジラには鉄分がとても豊富に含まれています。
女性には、うれしい栄養補給の食品といえます。
特に、いつも激務をこなしている清子さんは、たくさん食べてくださいね。
最初の一品は大将渾身の、イワシクジラの握りです」
血がしたたるような赤々とした身は一瞬、マグロやカツオの
ようにも見えます。
海にいるとはいえ、ほ乳類とあり、一般的な魚の刺身よりは
牛肉などに近い、独特の食感があります。
「美味しい~」
口に入れた瞬間、清子が目を細め小さな歓声を上げています。
すかさずやよいが、合いの手を入れます。
「くじらはビタミンAがとても豊富です。
高タンパクで低カロリーのため、女性には優しい
ヘルシーなお肉のひとつです。
コラーゲンも含まれていますので、女性にはもってこいの食材です。
たくさん食べてください。どんどん運んできますから!」
蝶々の帯を背中で踊らせながら、嬉しそうなやよいが
厨房へ飛んで帰ります。
(やっぱり若い子は、いつも元気があった方が可愛いわねぇ。
ねぇ、あなた・・・・)
その後ろ姿を見送っている清子の瞳にも、笑いが溢れています。
「君はいったい、どんな魔法を使ったの?
あのジャジャ馬をてなずけるとは、おそれいった手腕だね
あんなにも上機嫌のやよいちゃんを見るのは、
実に久し振りだ」
「女同士で、密約を交わしました。
あなたこそ、どんな手口で、あの子を誘惑したの?
冗談かと思っていたけど、けっこう本気で好きになっているみたいだわ
あなたのこと・・・・」
「18歳だぜ、あの子はまだ・・・・」
「18歳なら、もう十分に”女”です。
第一、6歳しか離れていません。あなたとは。
あと30~40年も経てば、そのくらいの歳の差なんか、
あっさりとチャラになってしまいます。
あり得ない男女の歳の差では、決してありません」
ねぇぇ、ふう~んと鼻を鳴らしながら、
清子が流し目で俊彦を睨んでいます。
「まいったねぇ・・・・」と、俊彦はひたすら、苦笑をするばかりです
「お待たせ!」と、次にやよいによって運ばれていた料理は、
見事に切り分けられ、大皿に飾り付けられたクジラ肉の刺身です。
「クジラは約300年前の江戸時代から、
このあたりでは食用とされてきました。
部位により、それぞれに特有の名前がついています。
一番おいしい、尾の付け根あたりの肉のことは、尾の身」。
鯨の皮を皮下脂肪ごと切り分けて、それを乾燥させたものが「コロ」。
舌の部分は、ちょっとお洒落に、「さえずり」です。
尾っぽの部分は"尾羽毛"と書いて、「オバケ」と呼んでいます。
お腹の部分は、筋が畑の畝に似ているところから
「うね」と呼ばれています」
「あら、やよいちゃんは料理の説明にかけても、実に雄弁です。
あとは、腕の良い板前さんさえ見つかれば、
こちらのお店の後継者になれますね。
器量も愛想もすこぶる良いし、勉強家だもの、非の打ちようがありません。
きっと房総を代表する、可愛い女将さんになれると思います。
ねぇぇ・・・・あら。あなたは聞いていないの、わたしの話を。
いやねぇ、何をよそ見をしているの。、あなたったら」
尾の身は、尾肉ともいい、
背びれから尾の付け根までの背側にある脂がのった
霜降り状の肉で、鯨では最高級部位にあたります。
口に含むとその脂身は、牛肉のものより遙かに低温で溶けるために、
牛肉以上にまろやかな味がします。
「いつもは出していないメニューです」と、やよいが次に運んできたのは、
ミンククジラを使った、竜田揚げと唐揚げです。
これは子供も気に入る味つけで、大人にはビールと一緒が
オススメになります。
(運転中なのがとっても残念です・・・・。呑みたいわねぇ、おビ~ルが!)
清子はしきりと「残念」を連発しています。
色はレバーなどに近く赤い色をしていますが、新鮮ゆえに、
生臭みなどは、まったくありません。
「締めは、やっぱりこれに限ると思います」
そう言いながら、最後にやよいが運んできたのは
ツチクジラを使用したしぐれ煮と、アツアツの湯気が上がる
炊きたてのご飯です。
生姜の薄切りにも、クジラの旨味がしっかりと沁みています。
醤油だけでなく、赤ワインを少しだけ隠し味として使っているのが
味の決め手と秘訣になっています。
「子供の頃から、このあたりでのお祭りに、
しぐれ煮は欠かせない料理です。
亡くなったお母さんも、これをよく作ってくれました。
私も、これがお気に入りで、大好きなんです」
やよいが、満面の笑みを見せています。
房総の浜辺で暮らす人々の食生活とクジラは、どうやら大昔から、
切っても切り離せない間柄であることを、つくづくと
実感をしている様子の清子です。
作品名:(続)湯西川にて 11~15 作家名:落合順平