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情欲の檻~私の中の赤い花~

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 しかし、ふと思った。自分はこの男に三年という月日、身体を捧げた。いや、捧げたという言い方はフェアではない。自分は確かにこんな男に抱かれて、切ない喘ぎ声を上げて幾度もの絶頂を味わったのだ。祥吾ほどではないかもしれないが、美華子もまたこの身体だけの関係を愉しんでいた部分もあるかもしれない。
 とはいえ、これまでの自分はその身体だけの関係があたかも気持ちの通い合ったものだと愚かにも幻想を抱いていた。ならば、せめて最後くらいは男との情事を単なるセックスとして愉しんでも良いのではないか。
 半ば自棄のように考えてしまったのは、我ながら頭がどうかしていたとしか思えなかった。気持ちや信頼、未来といったものを考えなければ、確かにこの男とのセックスは悪いものではなかった。たくさんの女と付き合ってきただけに、女の身体を熟知し、美華子の身体は祥吾によって花開かされたと言っても良い。
 性の快楽、セックスの果てにある悦楽というものを祥吾を通じて初めて知り得た。自分の身体を女として目覚めさせたのが祥吾だというのなら、最後の悦楽もまた、この男によってもたらされても良い。
 投げやりな気持ちで部屋に入った美華子だったが、何を思ったか、祥吾はいきなりベッドに大の字に仰向けになった。
「いつも俺がお前を気持ちよくさせてやるばかりじゃ、つまらない。今日はお前が奉仕しろ」
 奉仕。その聞き慣れない言葉に、美華子は戸惑った。
「どういう意味?」
 と、祥吾が鼻を鳴らした。そのいかにも人を見下したような笑い方にはムッとする。男は美華子の心中など頓着しないように事もなげに続けた。
「お前、その歳で俺の言葉の意味も判らないのか? 女子高生や若い子なら、それも可愛くて良いけど、お前のようなアラサー女が判らないなんて、興ざめっていうか面白くないだけだよな」
 祥吾はまたも鼻を鳴らし、嘲笑を滲ませた声で言った。
「奉仕っていうのは、口でするんだよ」
「口でするって、どういう意味なの?」
 祥吾の言葉は謎が多すぎる。
「だから、お前の口で俺のを舐めたり、色々なことをして俺を気持ちよくさせるんだよ」
 焦れたように叫ぶ男を美華子は冷め切った瞳で見つめた。そういえば、男性向けのアダルトビデオなどでは、そういうのが主流だと聞いたことはある。
 彼女はベッドに引っ繰り返った男のベルトを緩めた。ズボンのファスナーを下げ、ゆっくりと降ろしてゆく。
 祥吾の趣味は身体にぴったりフィットするビキニブリーフだ。この三年間、それ以外の下着を身につけているのを見たことがない。
 股間を嫌が上にも強調するデザインは悪趣味としか言いようがない。しかし、こんな男を一途に恋い慕っていた時期も確かにあったのだ。
 今日も黒のビキニブリーフを身につけている。美華子はそれをゆっくりと引き下ろした。これまで試みたことのない趣向で興奮しているのか、祥吾自身は既に完全にいきり立っていた。赤黒くグロテスクに鈍い光を放つそれを、美華子は無表情に見下ろした。
 こんな薄汚いものが今まで、自分の中に入っていた。そして、こんなもので刺し貫かれ、自分は悦がり声を上げていたのかと思ったたけで、反吐が出そうだ。
 これを舐めろというのか? こんな汚い排泄器官を彼が達するまで私の口で舐め、扱けと?
 馬鹿らしい。冗談もたいがいにして欲しい。燃えるような屈辱が彼女を苛んだ。
 むろん、美華子もこういった行為―フェラチオを頭から否定するつもりはない。当事者同士が愛し合っていて、愛情と労りをもって行うのであれば、それもまた一種の愛情表現といえるだろうとは思う。それで互いが気持ちよくなってエクスタシーを感じることもありだろう。
 だが、自分と祥吾のように何の感情もなく、ただ身体だけで繋がっている関係ならば、こんなものは単なる辱めでしかない。
「もう、止めましょう」
 放り投げるように言った時、祥吾は何を言われたのか判らない様子だった。まるで抜き打ち試験をされた受験生のような間の抜けた表情はこんなときでなければ、笑ってやりたいほど見物だった。
「美華子、お前、何言って―」
 股間をいまだ丸出しにしたまま、自分を見上げている男が滑稽でもあり、腹立たしくもあった。
「とんだ茶番だわ」
 惚(ほう)けたように自分を見つめている男を残し、美華子が踵を返したそのときだった。背後から、祥吾に手を掴まれた。
「待てよ。いきなり何を言い出すかと思ったら。一体、何が気に入らなかったんだ?」
 おもねるような機嫌を取るような声音は初めて聞くものだった。
 取るに足らない女でも、いざとなると手放すのが惜しくなった? それとも、女から棄てられるのはプライドが許さない?
 美華子は思いきり声を上げて笑い飛ばしたい気分だった。馬鹿馬鹿しい。まったくもって馬鹿げている。私は一体、こんな男のどこを見て愛しているだなんて、錯覚していたのか。
「フェラチオが気に入らなかった?」
 背を向けたままの美華子を宥めるように、祥吾が後ろから抱きすくめる。
「悪かった。お前がそういうのを嫌いだって知らなかったからさ。機嫌を直せよ」
 生暖かい息が首筋に吹きかけられる。背中までの長い髪が祥吾の手によってかき上げられ、うなじが露出した。熱い唇が押し当てられた刹那、美華子は尖った声を出した。
「止めて、そんな気分じゃないと言ったでしょう」
 あまりの剣幕に、祥吾が一瞬、怯む。いつも従順だった美華子が見せた初めての反撃に狼狽えているのだ。
「押し倒して抱けば、何でもごまかせると思ったら、大間違いよ」
「別に俺はそんなつもりじゃ」
 祥吾は言いかけて、いきなり声のトーンを高くした。
「今夜はもうセックスはナシだな。上のラウンジでとことん飲み明かそうぜ」
 結局、美華子は祥吾に引っ張られる形で最上階のバーに行く羽目になった。
 今夜の祥吾はいつになくよく喋った。いつもなら、ロックのウイスキーを一杯時間をかけてゆっくり呑むのに、今夜はナッツとチーズの盛り合わせや、スモークサーモン、スティックサラダなど数種類のつまみまで頼み、ウイスキーを何杯もおかわりした。
 一体、何を考えているのだろう。祥吾の思惑はまるで読めない。それは何かの宣告を突きつけられるのをひたすら先延ばしにするようでもあり。
「あの、メール」
 メールのひとことに、祥吾が弾かれたように顔を上げた。
「メールの話は止そう。折角二人で呑んでるのに、興ざめだ」
 美華子は淡々と言った。彼女の前には、ウーロン茶があるだけ、しかも一口も飲んでいない。既に別れると決めた男と酒を酌み交わすつもりはさらさらない。
「あなたは良くても、私には良くないのよ」
 彼女は一語一語、区切るように言った。
「何が言いたいんだ?」
 ふて腐れたような物言いは、やはり祥吾らしい。
「実は四日前だけじゃないの。今朝も来たのよ」
 そのひと言に、彼の整った顔が蒼白になった。間違いない。彼は何かを隠している。もっとも、この三年間、彼は隠し事だらけだった。美華子は彼の誕生日も血液型も知らないし、趣味が何であるかさえ教えて貰ったことはない。