(続)湯西川にて 6~10
(続)湯西川にて (9)クジラはマグロよりも高級品?
「かつては、学校給食でもクジラの肉が使われていたほど、
日本は、世界でも有数な捕鯨大国のひとつだった。
しかし1960年代から、全世界的に反捕鯨の機運が高まってきた。
色々と議論があったが、結局、1982年のモラトリアムによって、
1986年からは、大型の鯨を対象とする商業捕鯨は全面禁止という
措置になった。
モラトリアムとは、一時停止(期間)や、一時の延期などのことを
意味している」
「そのために、今は南氷洋でもわずかな量の、
調査捕鯨に限られているわけね。
でも、それなのになぜ房総半島には、今でも
捕鯨のための拠点が残っているの?」
清子が、珍しく俊彦の話に興味を示してきました。
至近距離に迫ってきたクジラのモニュメントは、ほぼ実物大の
大きさで作られています。
(うわ~大きい。見上げると、まるで飛行船のような大きさだ・・・・
すごいなやっぱり、クジラって)
清子が目を輝かせながら、通り過ぎていく巨大なモニュメントを
見送っています。
「だって、今時のクジラと言えば、近海もののマグロなんかよりも
はるかに高級品で高価ですもの。
クジラのお刺身なんて宴席でも、きわめての貴重な部類に入ります。
クジラを食べさせてくれるお客さんには、
清子も本気で、誠心誠意の大サービスをしちゃうもの」
「おいおい危ない発言だぜ。まったく、ただ事とは思えない。
なんだい、いったいどんなサービスをするんだい。
湯西川芸者の出血大サービスと言うのは」
「あら、出血するほどの大サービスなんかしていませんよ、私は。うふふ。
どうしたの、私が何をしているか、本当は気になるんでしょう。
今風のコンパニオンさんじゃあるまいし、芸者は、
おっぱいなんか出しません。
湯西川の芸者は、芸を売っても、一切身体は売りません。
どうぞ、その点については安心をして頂戴な。
でもさ・・・・いったい何を勝手に考えているのさ。このどスケベ」
「その話に、火を付けたのは君だろう。
まあいいさ。退院祝いにそのあたりで美味しいクジラ料理でも
ご馳走しよう。
ただし、病み上がりにつき、過剰なサービスだけはいらないぜ。
たった今、退院してきたばかりなのにまた病院へ、
逆戻りだけはしたくない。
サービスをしてくれるのなら、なるべくソフトに、
かつ、お手柔らかにお願いします」
「了解をいたしました。うわ~、でも、大感激です。
是非とも、心いくまでのクジラのフルコースなどでお願いをいたします。
一度でいいから、満足するまで食べてみたかったのよ。
本日は、またとない良い日です・・・・
お天気はすこぶるいいし、
なんといっても、最高のランチ日和になりそうですもの」
俊彦が思わず苦笑をしています。
それには一切構わず、当の清子はもうすっかりと有頂天の様子です。
無警戒と言うのか清子は時々、少女のときのような素直なままの無邪気さを
まったく無防備の状態で、露わにすることがあります。
切れ長の黒い瞳が愛らしく笑うと、小学校3年の時に転校をしてきた、
あの日のままのあの清子に逆戻りをしてしまいます。
(キンモクセイの花を見上げていた時の、あの日の横顔そのままだ・・・・)
俊彦もまた、思わず遠い記憶を掘り起こしています。
「ねぇ、どこにするの。その美味しいランチ」
「あっ」。現実に、あわてて俊彦が引き戻されます。
可憐な少女から、すでに妖艶な芸者の顔に戻っている清子が、怪訝な顔で
俊彦を見つめています。
「もう少し行くと右手に、クジラ料理を伝える会という、
のぼりがたぶん立っている。
日本におけるクジラ食文化の伝統を伝えて、広めていこうと、
国内のクジラ料理を扱う飲食店たちが、加盟をして作られた団体だ。
そのお店ひとつが、この先に有る。
オバケ(尾びれ)や、サエズリ(舌)など
体のあらゆる部分を使った、数多くのクジラ料理が食べられる店だ。
俺が、クジラの町・和田にやってきたのも、
こうした伝統的なクジラ料理に、関心と興味をもってのことさ。
これが、3時間以上もかけてはるばると銚子から和田町まで
やってきた理由だ。
2つ目の疑問は、これで解決しただろう」
「うん。ついでにラッキーなことに、私の空腹まで解消しそうだもの。
俊彦以上に、和田町が好きになってしまいそうだわ」
本日の清子は、すこぶるに上機嫌です。
作品名:(続)湯西川にて 6~10 作家名:落合順平