即興小説集
(1時間/お題:すごいドロドロ/女タラシ攻め←受け)
「なんかさぁ、サラサラじゃね?」
「は?」
カレーのルーをすくいあげながら、目の前にいるそいつがそう呟いた。
何のことを指しているのかは分かっているが、一応「何が?」と問い返す。
「カレーだよカレー!もはやこれスープじゃん」
「そこまでサラサラしてねーよ」
そう言ってみるものの、指摘されると何となく気になってくる。
改めて一口頬張り、じっくり味わってみる。うーん、やっぱり言うほどサラサラはしていないと思う。
しかし作った俺自身、カレーはドロドロよりもどちらかと言えばサラサラとした口触りが好きなので、そう思われても仕方ないのかもしれない。
「つーか文句があるなら他所で晩飯食えよ。なんで俺のとこ来たんだよ」
「いやだって……お前の手料理が食いたくなったからさ」
夕飯を作る少し前、アポも取らずにこいつが乗り込んできて「夕飯食わせて」となんとも身勝手な要求をしたのが事の発端。
材料も揃っていなかったので急遽作ったのがこのカレーだ。
こいつのためにわざわざ買出しに行くのは面倒臭かった。
「作ってもらえるだけ有難いと思え」
「はーい」
その言葉を区切りにして訪れる沈黙。カチャカチャとスプーンと皿が触れ合う音のみが響く、二人きりの静かな部屋。
俺はこの沈黙が好きだ。距離こそ離れていても、温もりを肌で感じられる気がする。
しかしこの居心地の良い空間は、そいつの言葉で見事に引き裂かれてしまった。
「そういえばさぁ、俺新しい彼女が出来たんだよね」
「はぁ!?」
もぐもぐとカレーを咀嚼しながら軽い口調でそう報告をされて、俺はスプーンを持つ手が止まった。
止まるどころか危うく落とすところだった。指先にぎゅっと力を込める。
「お前、何股してるんだよ……」
「んー、今はまだ3人だけだよ」
「これ以上まだ増やす気か」
はぁ、と自然とため息が漏れた。
こいつが女好きのクズ男だとは重々承知しているが、いい加減その女たらしを改めて欲しい。報告される度に頭を抱えたくなる。
「その彼女がさ、俺とすっげー趣味合うんだよね」
「あっそ」
また惚気話か。心底どうでもいいどころか、正直なところ聞きたくない。
会ったこともない相手が心底憎くて妬ましい。ああ、また嫉妬する相手が増えてしまった。
「俺、カレーはドロドロの方が好きなんだけど、その彼女も俺と同じくドロドロ派なんだって!俺の周りにドロドロ派全然いねーから嬉しくってさー」
「何それ、嫌味か?」
「あっ、違う違う。そうじゃなくて」
クソッ、何だこいつ。なんで勝手に飯食いにきたあげくに人の作ったもんに文句ばっかり言ってんだよ。あてつけかよ。
流石に頭にきたので「じゃあ食わないでさっさと帰れよ」と不機嫌を隠しもせずに言うと、「だから違うってば」と慌てた様子で弁解してくる。
「俺、お前の作るカレー……っつーか、料理好きだよ。だから今日だって食いにきたんじゃん」
「じゃあさっきの話はなんだよ」
「あれはそのー、そういう意味じゃなくて……」
「うー……」と困り果てたように唸り声を上げるそいつを、頬杖をつきながら睨め付ける。
俺の鋭い視線から目を逸らしつつ、「ごめん……」と小さく漏らすそいつの姿が情けなくて、だんだんと笑いがこみ上げてきた。怒りは自然と薄まっていく。
「まぁ、お前にデリカシーを求めるほうが間違ってるよな。常識があったら浮気なんてしねーし」
「う、浮気したってばれなきゃセーフだし……」
「アウトだよ」
はぁー、と何度目かのため息が口から漏れる。もうほとほと呆れるばかりだ。
常識が欠如しているこいつにも、こんな奴のそんな部分を好いている自分にも。
惚れた弱みというやつか。我ながら馬鹿らしい。
「でもさー、ホントに俺、お前の手料理大好きだよ。ふとした時に無性に食いたくなるんだよね」
空になった皿にスプーンを置き、「ごちそうさま」と手を合わせてからそいつはそう口を開いた。
「で、遊びに行くと今日みたいに飯作ってくれるしさ。なんか嫁みたいだな、お前!」
「……っ!」
こっちの気も知らずにケラケラと笑うそいつに対し、不覚にも胸が高鳴ってしまった。
冗談で言ったのは分かっているが、それでも口元が緩んでしまう。
その反面、実際は恋人にすらなれないという苦しい現実が胸の奥から湧き出てくるが、これはいつものことなので無理矢理押し戻す。今は喜びを噛み締めよう。
「じゃあ俺そろそろ帰るわ」
「ホントに食うだけ食って帰るんだな……」
「飯食いに来ただけだから、あんまり荷物持ってこなかったんだよ」
「はいはい」
さっさと玄関に足を運ぶそいつの後ろにくっついて歩く。
本当はもう少し一緒にいたかったが、また近々会えるだろう。
こいつは飽きもせずしょっちゅう家に遊びにくる。そのことに不満はないけれど。
「んじゃ、またな!カレー美味かったぜ!」
「ん、じゃーな」
バイバイと軽く手を振ってから玄関の戸が閉められた。
バタンと閉まる音を最後に、一気に静かになった空間に寂しさを覚える。
突然きたかと思えばすぐに去っていくなんて、まるで嵐みたいな奴だ。
そう思いながら、食べ終わった食器を片付けようとリビングへと戻る。
「次はドロドロのカレーに挑戦してみようかなぁ……」
カレーの匂いに包まれた部屋の中で、ぽつりとぽつりと独り言を漏らす。
テーブルに置かれた2人分の食器に自然と顔が綻んだ。