黒髪
明の月収が150万円あるのは明の努力によるからだが、生活は30万円ほどあればできる。明の会社の従業員の月収はそれ程なのだ。以前は食糧費にも困った生活であったから、明はそれ程の贅沢は好まなかった。だから50万円ほどの自由に出来る金は、そのほとんどはギャンブルか飲み代や女遊びに使っていた。ゆりの様な大学に行きたくてもいけない子の存在を忘れていた。たしかに、援助交際は道徳に反した行為かもしれない。しかし、昭和34年までは売春は公認されていた。もちろん女性の人権にかかわる事ではあるから、肯定は出来ないが、生きるか死ぬか、自分の目的のためならば、援助交際も良いのではないかと明は考えていた。
ゆりはもしかすると国会議員になるつもりなのかもしれない。法を創るのは彼らである。ゆりの様な大学に行き学びたい者が、金の心配をしなくて済む社会が出来ないものだろうかと、明は今になって思いついた。自分は今まで自分のことだけを考えていた。
「契約履行よ」
ゆりの言葉が蘇えった。正直な言葉である。自分の行為を恥じない言葉でもある。多分、多くの人たちはゆりの行為を批判するはずだ。ゆりが貧しく、苦しんでいればそれは許されるかもしれない。ゆりがもしも大学在学中に国会議員に当選すれば、マスコミはたちまちそのことを報道するだろう。
明の予想は的中した。ゆりは県会議員に立候補した。ゆりの公約は県内に住む者の大学進学にかかる授業料の半額免除で有る。無償の育英資金もあるがそれは審査が厳しく人数も限られている。高校の授業料が無償化されたのだから、せめて大学に行きたい者は誰もが進学できる制度をゆりは創りたかった。
ゆりが当選することはできないと初めから解りきっていた。ゆりの訴えた事は無駄ではなかった。ゆりに共感した方から寄付が寄せられた。明もその1人であった。カサブランカ基金はわずかな人数であったが活動を始めた。
ゆりはもうすぐに卒業であった。NPOを立ち上げカサブランカ基金の活動に専念した。明はゆりの変身に驚くことは無かった。明とゆりの援助交際は月に3回会話だけで済ませていた。明がゆりの本当の名前を知ったのは、ゆりが県会議員に立候補した時であった。明は住所を移してでもゆりに1票入れたかったが、時間的にそれは無理だと解った。3265票。人口からして、有権者数からして、投票率からしてわずかであったが、いつかはこの数は確実に増えて行くとゆりは信じた。明もその一人であった。