凍てつく虚空
何となく元女ヤンキ―、レディースを思わせる態度だった。
口数は少なく、どこか乱暴な口調にぶっきらぼうな態度、そして鑢で研いだのかと思うくらい鋭い。
確かにこれなら大手劇団で門前払いを受けても解る気もする。
しかし演技については確固たる信念と熱いものを持っていることも解った。
何より、人数が少なかったということもあり入団を許可した。
一瞬のギャンブルだった。
入団した当初、貴中は確かに浮いていた。
今でこそ、メンバーとは普通に仲良くなり世間話もするようになったり、鶴井と言うパートナーも存在するが、決して最初からこうだったわけでもない。
所謂、「一匹狼」であった。
メンバー間の輪の中に入ろうとしなかった。あえて入ろうとしなかった感もある。
以前そのことについて聞いたら「無駄な慣れ合いは身を滅ぼしますよ?」だと。
まったく高校を卒業したての人間が言う台詞かと呆れたものだった。
それで何をするかと思えば、人の見てないところで自主練習に精を出していた。
独り携帯電話をいじっていたりなどしていれば、「メンバーに溶け込む努力をしろ」とも言えただろうに、こうも自己研磨な姿を見せられるとそれすら言えなかった。
お昼休み、全体練習終了後など、誰もが身体をリラックスさせる時間に、貴中は黙々と淡々と独り練習をこなしていた。
お陰で入団して日も浅かったが、今では大役を張ることもできるほど「実力派」という言葉がぴったりだった
今では良い買い物をしたと思っている。
* * *
一階に下りてきた。
さっきまでは明かりのついていなかった階段わきの通路、その先から話声が聞こえた。
がっしりとした年代を感じるドアを開けると、狭い部屋だった。
「おぉ、こりゃすごい」
思わず声が漏れた。
狭い部屋かと思ったが、そうではない。むしろ小学校の教室くらいありそうな部屋だ。この部屋中に溢れ返っている本、本、本。
壁一面が本棚で覆われ、そこには蟻の通る隙間もないほど書籍でいっぱいだ。
そのおかげで部屋が狭く感じられたのであろう。
「猪井田さんも書斎を見に来たんですか。」
鶴井だった。
滑らかで自然な笑みを浮かべながら団長を向かいいれる。
その部屋には新馬のほかに真壁、知尻、浦澤、不二見、田子、霧、そして鶴井がいた。
各々自分の興味のありそうなタイトルの本を引っ張り出しては元に戻していた。
鶴井舞
ギリギリ未成年の彼女は、貴中怜と非常に仲が良かった。
その長く透き通るような長髪を靡かせ、高原の空気のような爽やかな空気を漂わせていた。
お淑やかで物静か、古来から伝わる人形の様な整った顔立ちが特徴で、彼女目当てで公演にきてくれるお客さんもいるくらいだった。
貴中が「動」なら鶴井は「静」といった感じだ。
実際はどうかはわからないが、お嬢様と言う言葉がぴったりだった。
しかし、演劇ではその容貌が必ずしも役に立ってるとは言い難い。
その透き通った空気感は、裏を返せば存在感が希薄であるという事だ。
我こそは、と言う積極性と言うか前進志向が見られないのが彼女の特徴だった。
自分から個性や役を主張しないので、自然と主役からは外れていた。
彼女自身、それで構わないと思っているらしく抗議してくることもなかった。
それが心配だった。
言われたことは言われたとおりに淡々と行う。
静かに胎動する湖の水面に見えて、底には熱いものがある、そう信じていた。
しかし鶴井にあるのは、奥底の冷え切っていて過冷却を起こしている液体の様だった。
ほんの何かのきっかけで、一瞬にして凝固してしまうのでは思えるくらい、冷たい冷たい蒸留水。
そんなイメージを思い浮かべていた。
ま、現在はそんな彼女ならではの静かな持ち味が出ているので、無理に変えようとは思わなかった。
「怜に聞いてね。皆ここにいるって言うから」
「怜ちゃんも来りゃ良いのに。いろんな本があって面白いぜ。」
浦澤だ。臙脂色した表紙の本のページを捲りながら頷く。
「あぁ、そうだね、部屋にいたよ」
ここで本当の事は言わない。
貴中怜が部屋で、もうすでに次の舞台を視野に入れて個人練習を積んでいることをだ。
いつもそうだ。
あの娘は、いつも人から隠れたがる。
自分の弱さはもちろん、努力している姿すら人の眼から隠したがる。
それを知っている。
だから誰も聞いてこなければ、言ってあげる必要はない。
それが貴中に対する優しさであり、メンバーに対する厳しさでもある。
私自身はそう考えていた。
「それにしても凄い本の数ですね。ここの持ち主はよっぽど読書家だったんですね」
霧はその低い身長をめい一杯伸ばしながら、本棚最上部に手を伸ばす。
「あぁ、小説家らしいよ、ここの持ち主」
「ご存じなんですか。この山荘の所有者を」
「さっき白岡さんから電話がきてね、そこで聞いたんだ。ここって『黒川影夫』って作家さんの別荘か何かだったらし。。
と言ってもミステリ作家だから、読んでる人も少ないんじゃない。それに万人受けするタイプの小説じゃないわ。所謂玄人好みの作風だね」
「その黒川某って人に怒られるんじゃないのうちら。ほら、小説家にとって仕事場であるはずの書斎に勝手に入るのは、流石にまずいんじゃ」
「心配する必要無いわ。持ち主の黒川さん、確か5年ほど前に亡くなられてる。今ここは空家同然みたいよ」
「な、亡くなられたんですか。どうしてまた」
「さぁ。私もそこまでは知らないわ。ただ年も年だったって噂だし老衰じゃないかしらね」
部屋の入口の反対側に置かれているヨーロッパスタイルのテーブル。
恐らく黒川影夫の執筆机だろう。長年の相棒を失ったテーブルはすっかり日光で色褪せていて、時間の流れを感じさせる。
そのテーブルの右隅に置かれた簡易式のブックスタンド。
そのスタンドに立っているのは六冊のハードカバーブック。
見覚えがある。
黒川影夫の作品たちであり、その愛すべき子供たちだ。
その長い作家人生の中で、たったの6冊しか世に羽ばたくことのなかった彼の化身。
いやしかし逆にいえば、その分一冊に濃縮に濃縮を重ねた世界が、そこには詰まっているのだろう。
私が学生時代に読み漁ったあの記憶を遡るように、読者全員が読んだその時間の思い出の様に。
* * *
感傷に浸っている時だった。
「そうだ。思い出しましたよ猪井田さん」
新馬だった。
「黒川影夫さんの死の真相について当時、実は様々な推測が飛び交っていたんです。」
「推測?」
私は訝しんだ。黒川影夫の死がは自然死ではないのだろうか。
時分自身、そういった話は聞いたことが無かったため興味がわいた。
「推測って何。黒川さんの死に何かあったって言うの?」
「それは解りません。ただその死について不可解なことがあったことは事実らしいんです」
「へぇ。例えば?」
新馬の話に浦澤も乗っかってきた。
「死因自体ははっきりしているそうです。その持ち主の黒川さんは持病に心臓に病を抱えていたそうです。それも生まれつき。元々身体が丈夫な方ではなかったそうです。その発作が直接の原因だと言われています。まずその点なんです。