凍てつく虚空
| 二 | | | | | |
澤 | 見 | 子 | 尻 | | 壁 | |
| | | | 段 | | |
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一応の荷物は部屋に片付けた。
自分の私服や日用品だけだから、量自体はそれほど多いわけではない。
しわにならないように、全部ハンガーに掛けるのは少々骨であったが、それもすぐに終わった。
部屋の中に視線を一周させる。
ことごとくではあるが、随分手の込んだ造りであった。
ただ単に木をつなぎ合わせただけではない。寒冷地仕様よろしく隙間というものを完全に排除し、窓ガラスも二重に嵌められている。
天井だって高い。一部屋一部屋に小洒落たシャンデリアもあるし、ベットやナイトテーブル、衣装用の箪笥もあった。
ここでテレビの一つでもあれば言うこともないのだが、それは贅沢というものだろう。
こんな吹雪の中、凍死しないだけありがたいと言うものだ。
trrrr
携帯電話だ。
自前のポーチの奥底で彷徨っていたため取り出すのに苦労した。
ディスプレイを見ると白岡マネージャーだった。
* * *
「もしもし」
「あぁもしもし白岡だ、猪井田君かい」
「どうです、村に到着できましたか」
「何とかね。ついさっき県警に救助隊に連絡を取った」
「じゃあもうすぐこっちに助けが来るんですね」
「いや、それがそうもいかなくなったんだ」
電話越しに白岡の声が曇った。
「問題でも?」
「天候がね・・・。どうやら気象台もこの地方はこれから大寒波がやってくると言ってるらしいんだ。事実この雪だと救助ヘリが飛ばせないらしくて」
窓を見る。
音こそ聞こえないが、ガラスを引っ切り無しに叩く雪が見える。
バスの助手席で見ていたフロントガラス以上だ。
「それにそちらの山荘を知ってる人が少なくてね、場所を説明するのに苦労したよ。そのせいで道を詳しく知ってる人もいなくて、また車でそっちに行くのは危険だとも」
「それで。肝心の救助はいつごろに?」
「さぁ。取り敢えずこの吹雪が収まってからって言ってたし。2日3日掛かると思う。詳しいことは何とも・・・」
私は少なからず落胆していた。
それは救助が来るのに3日かかると言われたことではない。
自分が「がっかりした」という事実にである。
何処かですぐにでも救助が来ると楽観的に期待していた自分に気付いたのだ。
まぁ良い。こればっかりはどうしようもない。
「解りました。でもこっちには非常食も多少あって3日くらいなら持ちこたえれます。もちろん、この山荘の持ちモノですけど。ですので白岡さんはこの山荘の所有者を探してもらって良いですか」
「あぁ、それならさっき聞いたんだ」
「誰です」
「何でも小説家さんらしいんだ。確か名前は・・・・・・『黒川影夫』だったかな。そんな感じの人だった」
「くろかわ・・・、かげ・・お?」
聞いた覚えがあった。
酷く暗い名前だなと、そう思ったことがある。
あれはいつ、誰に聞いたのだったか・・・。
「あぁ。だから心配しなくていいと思うよ。そこの所有者の黒川影夫って人、数年前に死んでるらしいんだ」
そうだ!
思い出した。
黒川影夫、その名前を。
大学の講座の友人に誘われてその人の小説を読んだことがある。
確かミステリ小説だった。
重厚な作品ながら、リズミカルかつスピーディな作品だった。
それ以来ミステリ小説というものに惹かれて、急いで書店に足を運んで続編を読んだっけ。
そこで作品数が酷く少ないってことを知った。
いくら探しても『黒川影夫』の作品は6作品しかないことも知っし、『黒川影夫』がミステリ小説界巨匠中の巨匠であることもしった。
その作品は世界からも一目置かれていて、ノーベル文学賞の候補に幾度も上がったほどだと。
そしてその文学界の巨匠は、数年前、おそらく5年ほど前でだろうか、息を引き取ったと言う話もだ。
齢70歳近いと言う話だし、老衰かもしれない。
とにかくその当時はテレビでもセンセーショナルに報道されたという。
久しぶりに面白い本に出会ったのに、その作者がこの世を去ってしまいこれ以上作品が読めないと思うと、自然と本から離れて言った。
そんな今までの記憶が蘇ってきた。
その後白岡さんと事務仕事の話を少しして電話を切り、携帯電話をベットの上に放り投げた。
* * *
何とも嫌なことになってしまった。
あのまま私たち全員がバスに乗っていれば、今頃はバスの中で仮眠が取れたろうに、それに東京まで一直線だったろうに。
しかし結果論であるとも知っている。
世の中、所詮そんなものだ。
ん、ちがうのかな。
そう言ったマイナスイメージだけが記憶に定着しやすいだけの事なのかも。
プラスイメージの記憶はただ単に忘れているだけ、だから世の中こんなものだと錯覚してしまうだけなんだ。
それにしても
鏡の前に移動する。
そこにはいつもとは違う自分の姿が。
少々気疲れした私の姿が。
これも違うのか。
この少々気疲れした姿が、いつもの私の姿なのか。
他のメンバーは何をしているんだろう。
廊下に出てみるが誰もいないようだ。
端の部屋はドアが少し開いていて、明かりが漏れている。
あの部屋は確か貴中だ。
「怜?」
ひょいと首だけ出して、中の様子をうかがってみる。
中にはヘッドホンを被ったまま、舞台稽古用の台本を片手に、鏡を前に立ち回りの練習をしていた。
そのヘッドホンのせいか、私が覗いていることに気づいていないようだ。
「怜?」
もう一度読んでみる。
すると気付いたのかヘッドホンを外す。
「あぁ、猪井田先輩。どうかしましたか?」
控え目な声だった。
「他のみんな何処行ったか解る?」
「たぶん、下ですよ」
「下? 下の何処」
「書斎って聞きました。」
「書斎なんてあったっけ」
「ロビィの奥の部屋ですよ。確か」
ロビィの奥、階段のすぐ脇にあった廊下の先だ。
キッチンは見たが、その他の部屋はまだ見てなかった。
その先に書斎があったのか。
「・・・怜は行かないの?」
「自主練習の時間ですから。」
「そっか。解ったありがとう」
貴中怜の部屋を後にした。
階段に差し掛かった時、一階から複数の声が聞こえる。貴中の言う通りなのだろう。
ゆっくり一段一段確認するように降りていく。
彼女の事を考えた。
『自主練習の時間』か・・・
弱冠18歳の少女が、さも当然と口にできる言葉かね。
貴中怜
年齢18歳。四国出身。
どちらかと言えば小柄な彼女だが、しかし我の強さは天下一品だろう。
入団したのは去年の春だ。地元の高校を卒業した後、すぐさま東京へ。大学に進学するためではなく劇団に入団するため。
とにかく劇団に入りたく、手当たりしだいの入団試験を受けたが、ことごとく不合格。
そしてついに我が『トワイライツ』の入団試験に臨んだ。
「ことごとく不合格」の理由が何となく解った気もした。
怖い