凍てつく虚空
そしてかの文豪も自分を最も理解してくれる担当者の境遇も理解していた。自分の作風を理解してくれながらも、上からの圧力で身を粉にして働いている相方を思い、同時にその身を捧げた。それが結果として自らの寿命も縮めることとなった。
そんなことだと思います。
そして黒川影夫さんは非業の死を迎えた。直接的な死因は発表されていませんが、持病の心臓病だと考えて良いでしょう。日本が誇る文豪、そして世界が認める文豪がなくなったのです、誰かがその責任を取らざるを得ません」
「それが白岡さんだったってわけ?」
「憶測ですけどね。事故死や寿命による衰弱ならまだしも、心臓病による、それも謎の死。各方面からは「無理な執筆催促が原因ではないか」と揶揄されることもあったでしょう。
こうなってくると出版社としても何かしらの責任をつけなくてはいけません。そこで当時担当者だった白岡さんに白羽の矢が立った」
「ひどい!」
つい思わず声を上げてしまった。しかしそれが私の正直な感想だった。それに追随するかのように知尻さんも続いてくれた。
「自分たちで作品を量産しろと追い立てていたくせに、その作家が亡くなったら担当者に罪を着せて責任を擦り付けるなんて、どうも私は許しがたいね」
しかしその言葉に彼は眉毛を下げ嘆息した。
「まぁ、落ち着いてください。あくまでも僕の推測です。これが絶対的な真実だとは思わないでください。
それに必ずしも出版社が悪者と言うわけでもないんですよ。出版社だって、慈善事業じゃない。会社の生計を立てる義務がある。そして何百人いる従業員を養う義務がある、そしてそれは従業員分の家庭を守る責任があります。
つまり社長を筆頭に出版社の人間にも、この不景気の中でなんとか売上を伸ばさなくてはいけないんです。出版社もバカではないでしょう、黒川氏のことも重々承知の上で、しかしそう言った指示を出していたんだと思いますよ。
そしていざ黒川さんが亡くなれば、今度はその上、例えば政府や国民から責任追及の声が上がります、『黒川影夫を追い込んだ』、『世界的な財産を失った』なんてね。そんな声が上がった以上、誰かしらを『責任を取る』と言う形で処分しないと、
他が納得しません。その時泣く泣く対象になったのが、白岡氏本人だった。でも出版社としてもなんの落ち度もない彼を処分するのは忍びない。そこで彼を解雇する、と言った形をとって次の就職先を都合してあげた」
「なるほど、それがうちだったってわけだ」
「そういう事になりますね。たぶん出版社の上部の人間は黒川さんと田子さんの関係性も知っていた。そしてその孫娘が小さな劇団で役者をやっている、そこまで知っていたんでしょう。そこで以前仕事をしたこともある名目上、
その劇団にマネージャーという形で新しい職場を斡旋したんだと思います。おそらく猪井田さんには、田子さんと黒川さんの関係は伏せて話を通したんでしょう。
また、それだけではなくて彼女の祖父を失わせた償いとしても、出版社は劇団トワイライトの広告を優先的に行った。格安の広告料で劇団トワイライトの名を広めた。だから最近になって、こう言ってはなんですが、弱小劇団が有名になったんだと思います。
さぁどうでしょうか。ここまでは推測、証拠のない御伽噺ですが、でもどうして筋が通っていると思いませんか?」
「推測だけだったら、なんとでもできるわね」
あくまでも冷ややかな口調で田子さんは返す。
「そうですね、あくまでも推測ですね。でも筋道自体は矛盾がないので、とりあえずこのまま話を続けさせてもらいます。
白岡さんは黒川さんの遺族に、田子さんに負い目があった。だからこう言ったことにノーとは言えなかった。つい軽はずみに仕事を引き受けてしまった」
田子さんは何も喋らない。
ただ手を優しく鷹見くんに差し伸べる。「続けろ」と言うサインだ。
「さぁ、ここまでは白岡光一と言う協力者の話でした。ですがこれだけでも今回の事件を完成させることができません。では質問です。不二見さん?」
「わ、私?」
「なに簡単な質問です。田子さんが事件を完成させるのはあと何が必要でしょう」
「んと、急にそんなこと言われても・・・・・・。凶器の準備とか」
「違います。もっと他の、この山荘に着いてからの必要な準備です」
「・・・・・・まさか、他の『協力者』って言いたいのかい」
答えたのは不二見ではなく、その背後に立っていた真壁だった。
「ご名答。田子さんには他の協力者が必要です。それは『山荘内の協力者』です。つまり劇団メンバーですね。
先程も言ったようにこの事件は協力者なしでは実現できません。では誰が協力者だったのでしょうか?」
一瞬冷たい空気が流れた。
この山荘内に協力者がいる・・・。
それは殺人の片棒を担いだ人間がいるということ。
この中に、今まで仲間だと思っていたメンバーに、殺人者が。
真壁冬香、
知尻マリア、
不二見未里、
霧綾美、
新馬理緒、
貴中怜、
彼女たちの顔を思わず見回す、皆私と同様の仕草をする。
この中に、
この中に、動揺した表情を見せながら、私たちに牙をむく殺人鬼が・・・
そう思った時だった。
「断っておきますが、皆さんの中に殺人に手を貸した人間はいません。全てはこの田子藍那さんによる事件なんです」
私はあっけにとられる。
だって今、協力者がいるって・・・
「鷹梨さん?」
「へ?」
「マジックや手品で、最も『騙しやすい』のはだれだかご存知ですか?」
「マジック? 手品?」
急に何を言い出すのだろう。そう思った。だって、今回の事件とマジックと何の関係があるのか全くわからなかった。しかし聞かれた以上答えなくてはいけない
「ええっと・・・、マジックを全く知らない素人、とか・・・?」
「残念ながら違います。マジックでは『自分は仕掛け人だ、騙している側だ』と思っている人間ほど、騙しやすいんです。彼らこそ、最も油断している人間だからです。
ふむ、説明がまどろっこしいですか。では本題に入ります。
まず確認しましょう。最初の事件は、密室での鶴井舞さんの殺害でした。錠前と閂の二段構えの部屋の中には、額を拳銃で撃ち抜かれた鶴井さんが倒れていた。
また浦澤さんは、一人二階の部屋に戻っていたら最期、誰も二階に登っていないのに、首吊り死体として発見された。猪井田さんは、部屋で胸のあたりを刺されて謎の言葉を残して亡くなった。
ここで注目するべきなのは、鶴井さんと浦澤さんです。
僕がこの話を聞いたとき、信じられませんでした。この極寒地方での超密閉された部屋の中での密室殺人と、互が互いの証人である完全アリバイ殺人。これを打ち崩すのは非常にこんなんであることを。
僕は自称ミステリマニアと嘯いていますが、その2つをクリアできる方法はついに看破できませんでした。いえ、過去にはエドガー・アラン・ポウの『モルグ街の殺人』と言う創始作から始まり何千何万と言う探偵小説推理小説が世の放たれれきました。
もしそれらの全てを網羅すれば事件は解決できたかもしれません。しかし僕も一応の学生という身分を持っている以上、それらの作品全てに目を通すと言うことは叶いません。