凍てつく虚空
これは猪井田さんが電話で確認したことです。今から何時間も前に偶然携帯電話がつながったそうです。そのとき白岡さんの持っている携帯電話から着信があり、確認が取れました。
村人に救助を要請するわけでもなく、事情を話す訳でもなく、ただつ数十時間前まで村に逗留していただけでした。なぜでしょうか。半死半生な思いをしてまで救助を求めに行った彼は、どうしてこのことを話さなかったのでしょうか」
「忘れてたんじゃないの?あなたも言ったように半死半生な思いで精神が高ぶっていて、本来の目的をつい忘却してしまった、そんなことじゃなくて?」
「田子さん、あなたのような人間がそんなことを言われるのですか。確かに白岡さんが半死半生の思いをして村にたどり着いたかもしれません。その時にはもしかしたら自分の目的を一時的に忘れていたかもしれません。ですが、気分が落ち着いたら
いくらなんでも思い出すでしょう。『自分は何しにここに来たのか?』と。そうでなくても地元の村の人は『どうしたんだ?』『なんでこんなところにいるんだ?』と一言聞くでしょう。なにのもかかわらず、彼は何一つ答えませんでした。
なぜでしょう?」
「私には想像できないわね」
「そうですか。僕にはできます。『もともと彼は山荘で皆さんが幽閉されていることを伝える気は無かった』、そう考えると納得がいきます」
「はぁ! なんでさ!」
不二見さんだった。おそらく不二見さんが叫ばなかったは私が叫んでいただろう。そのくらい衝撃的な言葉だった。
あの白岡さんが、どうして、そう思えてしょうがなかった。
「それは白岡さんが紛れもない『協力者』だったからですよ。おそらく白岡さんは今回の一連の騒動を予め知っていた。そう、真犯人の口から伝えられていたに違いありません」
「今回の連続殺人を・・・?」
「ううん・・・、難しいですがそれは多分ないでしょう。おそらく真犯人から『知り合いの山荘が雪山にある。そこでサプライズパーティをするから私たちだけにしてほしい。大丈夫、変なことはしない。
白岡さんは助けを呼ぶふりをして麓の村まで移動してください。3日もあれば私たちで勝手に下山できます。もちろん助けを呼ぶ必要は無いです』なんて言葉をかけたのかもしれません。
その言葉を間に受けた白岡さんは、その言葉通り、バスを使って麓の村まで降りた白岡さん。
しかし村人には言いつけ通り、何も伝えなかった。真犯人の言葉通りそのまま麓の村で時間を潰した。まさか、その山荘で凄惨な殺人事件が起こっているなど露知らずに。そして犯人は白岡さんの口から真実が漏れることを懸念して、口封じを行った」
「要は、殺したってこと?」
「そうなります。彼はここから何キロも離れた村で殺されました。死因は毒物による中毒死だと聞いています。毒物死ならこの山荘にいても実行できます」
「ほう、どうやって」
「彼が普段口にいしているものに毒を仕掛ければいいんです。毎日少しずつ口にしているものの中に1つだけ毒物を混ぜておけば、いつかはそれを口にして息絶える。そのとき仕掛けた真犯人は全く別の場所にいる、よって疑われることはない。
そんな算段です。どうです。これなら無理ではないでしょう?」
「そんなもの彼にあったかしら?」
「あると思いますよ」
「どうしてそう言えるの?」
「地方の小さな一劇団とは言え、その運営を任されたマネージャーは、それはもう多大な精神的ストレスが大きかったと思います。そんな人物が共通して持っているものといえば『胃薬』があります」
私は小さな口の中で、あっ、と叫んだ。
見たことがある。大きな公演の前や、問題が起こったときなんか、第一線で白岡さんはその解決に尽力していた。そしてそのときには必ずと言って良いほど『小瓶から胃薬』を出して飲んでいたのを覚えている。
そう、そして山荘に着く直前でも同様に胃薬を飲んでいた。
「その胃薬に1つだけ毒物を含ませていたら、その毒物を知らずに飲んだとしたら。白岡さんは訳も分からず死に至る、と言う訳ですね」
「それって証明できるの?」
「愚問を。白岡さんは現地の医師の手によって『毒物死』と診断を受けています。当然、近くの病院で検死が、死因の特定が行われます。本来体内で生成されない物質が発見されれば、それが死因と断定されますよ」
田子さんと鷹見くんはその言葉でしばしにらみ合った。
「じゃあ良いわ。百歩譲って白岡さんが皆をわざと置き去りにした、としましょ。でもそれだけじゃあ今回の事件を起こせたかしら?」
「無理でしょうね」
「でしょう」
「『それだけ』しか協力しなかったら、という意味です。僕は思いますね。山荘から皆さんを置き去りにするなら同時に、『皆さんをこの山荘に連れてくる』のも協力していたのではないでしょうか。ふむ、続きを聞かせろと言わん表情ですね。
いくら仕事の同僚に『私たちをここに置き去りにして麓の村で待っていてくれ』と言われても、普通の人間は首を縦に振らないでしょう。『そんな危ないことはできない』と拒絶するに決まってます。
恐らくですが、『この山荘に道に迷ったふりをして着いて欲しい』とお願いしたのではないでしょうか。
最初、今回の真犯人に『この山荘に道に迷ったふりをして着いて欲しい。その山荘は私の家の所有物であり、水や食料はある。そこでサプライズをしたい。だから白岡さんは山荘についたらなにか理由をつけて山荘を離れて欲しい。
大丈夫、ここに地図がある。この地図を頼りにすれば麓の村に着ける。麓の村についたら今回のことは言わずにそこで待っていて欲しい』と言ったんでしょう。白岡さん本人も最初は訝しんだかもしれませんが、最初から本人の所有物であり、
山荘の場所も分かっている。こまめに連絡を取りもし何かあればまた戻ってくれば良い、ということでその場でオーケーを出したんでしょう。
では白岡さんは迷いながら、いえ正確には迷うふりをしながら、少しずつこの山荘に近づいてきました。
みなさんが乗っていたバスを運転していたのは誰ですか。おそらくマネージャーの白岡さんだと思います。
当然バスの進行方向の主導権はハンドルを持っている白岡さんになります。吹雪で道に迷ってさまよっている、と思いきや白岡さんの計画通りにこの山荘に向かっていたんです。」
「・・・そ、そんな。じゃあ私たちは白岡さんにだまされてここに来たってこと?」
「言葉は悪いですが、そうなりますね。ただその白岡さん自身も真犯人にだまされていた事には変わりありません」
田子さんはゆっくりと紫煙をふかしたあと、携帯灰皿にしまった。
「でも、白岡さんはなんで私のいう事を聞いたのかしらね。今あなたは『職場の同僚』って言葉で片付けたけど、職場の同僚だからって言って何でもかんでも言うこと聞いてくれるとは限らないでしょ」
「その通りなんですね。白岡さんが『いくらなんでもそんな危険なことに力を貸せない』と言ってしまえばそれで終わり。真犯人の企みは露と消えます。しかし実際にはそうはならなかった。なぜでしょうか。理由は単純明快です。
あなたと白岡さんはただ単に『同僚の職場』という関係ではなかった、そう言えますね」
声が出なかった。