凍てつく虚空
ではその友人の頭の中にある「現実」は、比較の対象となっている「現実」そのものは、果たして本当に現実なのだろうか。
そう考えたことがある。
友人は『暗闇の洋館の中で知り合いが一人また一人と消えていく状況』を体験したことがあるのか。甚だ疑問だった。
でなくてはあの作品を、リアル・リアルでないと評価することはできない。自分が過去に同じような体験を、死の淵に立たされた体験をしない限り、現実的なのか、正確なのか評価できないはずだ。
それにも関わらず彼は、二言目には「リアルだ」と口走る。正直毒づいた。
この世界はそんな「想像的な現実」で溢れている。
我々が持っているのは、「本当の現実」ではなく「想像的現実」、もっと簡単に言えば頭の中で「おそらく現実はこうであろう」と想像している現実に過ぎない。
そして我々はその、おそらく現実はこうであろうと想像している現実と、視覚、あるいは聴覚など外部から得た事実真実を比べて「リアルだ」「非現実的だ」と比べているに過ぎない。
オレンジ味なくせに無果汁の炭酸飲料、
輪郭骨格すら似てないのに、そっくりと評される似顔絵
全てそうだ。
我々人間は現実なんか見ていない。見ているのは頭の中の、恐らくこうであろうと想像している現実に過ぎない。
自分が死と隣り合わせで、そして身近な人間が次々と姿を消していく。犯人はその身近な人間しかありえない。次は誰が狙われるか。次はもしかしたら自分が狙われるかもしれない。
そんな恐怖と対峙しなくてはいけない。
そう、目の前の鷹梨やその他のメンバーの皆さんのように、極限の恐怖を体験した者にのみ、「リアルだ」と言う表現を用いる資格があると思っている。
鷹梨が本から顔を上げる。
ぼんやり考え事をしていた自分と視線が交わる。
彼女のその澄んだ瞳が見えた。
「なぁ・・・」
思わず話しかけた。
特に話すことも聞くこともなかった。でもつい声をかけた。
このまま黙っていれば、そのまま彼女の瞳に吸い込まれそうだったから。
「ん、なに?」
「・・・あぁ、えっと、なんで演劇なんて始めたんだ」
興味のない話だった。口から出た取り敢えずの場つなぎの話だった。
「演劇を始めた理由?」
「そう、なんでまた演劇の、それまた星の数ある劇団の中のこの劇団を選んだのかなって」
目の前の鷹梨は困ったように逡巡した。別にここでドラマチックな回答は期待していなかった。
「なんて言うか、『共感』しかたらかな・・・」
「共感・・・」
「そう共感、かな。なんて言うか他に良い言葉が思いつかないから、とりあえず共感ってことにしておいて」
「共感ね。これまたどういうことだ」
「私がね最初にこの劇団の公演を見たのが、中学校を卒業したときかな、あれ、もしかしたらついこの間かもしれない。いつ見たかは良く覚えていない。でも見たときの感覚は覚えている。すっごい自分と近い物語だった」
「鷹梨とものすごく近い話?」
「だって自分が異世界にタイムスリップできるんだよ」
「た、タイムスリップ?」
「うん、ここの劇団の公園って普通のところとはちょっと違うんだよ。私が最初に見たのは『ロミオとジュリエットと私』って言う題名だった」
「『私』が余計なんでは?」
「そう思った。でも違うの。ここの劇団の売りがそこだったの。ただ単に大昔の古典をただ垂れ流すんじゃない。それじゃ芸がないし、大手の劇団に負けてしまう。じゃあどうするか。
昔からある古典に現代風のアレンジを加えてみようってのがこの劇団の売りなんだ。そしてこの『ロミオとジュリエットと私』はそれまでのロミオとジュリエットの恋愛物語に現代からタイムスリップした女子高生とで三角関係を作るの。
互いに戦争関係の王子と妃に割って入ったのが当時とは全く異なった世界観や価値観を持った女子高生。ロミオは最初戸惑いながらもそのp女子高生に惹かれていき、最後にはドロドロの三角関係が出来上がる。そんな物語」
「そりゃまた斬新だね」
「でしょ。でも私が一番共感したのはそんな斬新な場所じゃない。もっと夢の見れる場所、私が小さい時に夢を見たおとぎ話に私自身が参加できているような錯覚に陥るところ、そこにとっても惹かれたの。
当時、私は社会が詰まんなかった。ただ毎日のように同じバスに乗って、同じ学校の同じ教室の同じ席に座って、そして同じ授業を聞く。そんなたいくつな日常に飽き飽きしてた」
「授業の内容は毎回同じではないはずでは?」
「話の内容の分からない人間にとっては、所詮同じことよ」
「納得」
「話を戻すね。誰だってそんな願望を持ってるもんじゃない。変身願望って言うの? 平凡な日常を過ごしている人間ほど、全く違った世界に憧れるって言うじゃない。私もそうだったな。
毎日毎日同じことの繰り返しの生活に、突然全く違った世界が転がってくる。それが夢や幻だと分かっていても願わずにはいられない。それらが絶対に来ないと分かっているはずなのに、でも熱病のように欲するの。
そんな時に女友達から誘われたの、知り合いの劇団を見に行かないかって」
「ふうん、それがこの『トワイライト』って訳か」
「そう。当時は特に演劇とかに大して興味がなかった。でも仲の良い友人が知り合いのつてでタダでチケットもらったから行こうって。それで時間つぶしに見に行った。
あの時は楽しかったな。だって初めて見るストーリーだったもん。だってほら、演劇って、シェイクスピアの『リア王』とか『ベニスの商人』だったりもう手垢のついた話ばっかりでしょう。でもここは違った。
確かにメインとなるストーリーは古典の香りがするけどでもいたるところに現代版の折着なるプロットが入ってくる。話し言葉も昔の言葉じゃなくって、今風の馴染みやすい言葉でさ。最初、睡魔が襲ってきたけど、開始10分で虜になってたよ。
私が現実世界で決して体験できなかったそんな夢現の世界を、眼の前数mで実演してくれるんだもん。私の代わりに非日常を演じてくれてるて思ったの。その時私思った。わたしはここに属するべきだって。
ここの所属していれば、もっと幻想的な世界の主役になれるって、今まで渇望して渇望してでもなれなかった世界の主人公になれるって。例えそれが劇団のお金儲けのために行われた公演であったとしても、なんでも良かった。
本のいっときでも現実では味わえないファンタジーの世界に浸れる時間を与えてくれる、そんな居場所を探してた。
だから親や学校の先生なんかどうでもよかった。私は私が行きたい場所に行きたかった。そ、だからここに居るの。鷹見くんはそう言う気持ちになったことないの?」
「・・・・・・さぁ、わかんないね」
その返答に彼女はそっかと返した。
彼女自身、自分の返答にあまり不満はなかったように思えた。
それから鷹梨は夢中で当時見た演劇の話を繰り広げた。
だって目の前の鷹梨の目がまるで清流の泉のように絶え間なく輝きを放っているからだ。
時には身振り手振りでその時の情景を表現してくるし、またときには相槌を強要してくる。
その時には適当に相槌をうつ。
「おかげで、最近は少しはなの知られた劇団になってきたんだよ」
「ふぅん・・・」