凍てつく虚空
非日常と言う興奮、自分が主人公という陶酔、自分の万能性を体感できた愉悦。それら全てを感じた。
鷹梨には悪い。あの時あったのは、正義感ではない。知的好奇心でもない、ましてや鷹梨愛を助けてあげたいという一心でもない。
「非日常を体験したい」と言う我侭な欲望そのものだった。
何万冊のミステリを読んでも、いくら絶世の名作を読んでも、
到底到達できない、自己満足の世界。
あれをもう一度、もう一度だけ体験したい、そうも思ったことがないかと聞かれれば、うんと言えば嘘になる。
叶わないと分かっている。
しかし渇望せずには居られない。
痺れる欲情をもう一度だけ。
そんな思いを抱きながら、過ごしていた。
そんな絶対叶わぬと思っていた願いが、叶おうとしている。
山奥の山荘。
雪深く住人は逃げ出すことができない。
次々と起こる殺人事件
疑心暗鬼の渦に取り込まれるメンバー
遅れて現れる探偵役
舞台は整った。
役者は揃った。
準備はできた。
あぁ。
この世に神様がいるなら祈らずには居られないな。
ありがとう神様。
今一度、僕に快楽の海で泳がせてくれて。
ついでに鷹梨、ありがとう。
もう一度断っておくが、僕がこれをやるのは正義感でも知的好奇心でも困っている人を助けたいと言う類の想いからではない。
「個人的愉悦」
ただそれだけなのだ。
それで良いなら、探偵役を引き受けよう。
さぁ。
ショウタイムの幕開けさ
* * *
まず最初に感じた疑問から解消していこう。
鷹梨の話を聞いて幾つかの疑問を感じたが、まずは最後の事件の浦澤さんと言う方の部屋からだ。
僕は寝ている劇団の皆さんに気を遣いながら、優しくドアの扉を開ける。
天井の梁に傷が残る、浦澤瞳の部屋だ。
もしもの時のために用意している白い手袋、世間では「白手(はくて)」と呼ばれている物をしっかりと装着する。
何が気になったのか。まずは『準備したもの』だ。
浦澤瞳は一連の事件が起こったあと、「犯人が分かった。10分準備の時間をくれ」と言ったそうだ。
これを聞いたとき疑問が湧いた。
―――何を準備したのか?
犯人を指し示す証拠なのか、あるいは論理的な説明をするためのメモなのか、
浦澤さんという人がどういう人で、なにを用意したのかは分からない。
しかし何かしら用意はしたはず。それはどこにあるのか。
それが見つかれば、今回の事件の解決の手がかりになる。浦澤が何を見つけ何を感じ、そして何を閃いたのか。
まずはそこから探すことにしよう。
失礼だとは重々承知だが、部屋の中を少々荒らさせてもらった。
ナイトテーブルの下、絨毯の隙間、クローゼットの中、更には個人のバッグの中、ついには女性が使っていたトイレと、
ありとあらゆる場所まで目を通した。
「・・・何も無いな」
思わず呟いた。
故人が使っていたと思われる椅子に腰掛ける。
おかしい。
何故何も見つからない。
まだ探していな場所がある?
いやそんなことはない。探せる場所は大体探した。
ならどこかに隠した?
そんな馬鹿な。なぜ隠す?
誰に見つかることを恐れた? 犯人か?
でもキッチンを出た人間は誰もいないと言っていた。襲う人間など居なかったはず。
それにこの部屋は遺体を運んだ以外、何も触っていないと言っていた。仮に犯人に襲われたとしても、準備していた何かはそのまま部屋に残るはずだ。
隠すにしても隠す時間など少しもないはずだ。
なのに、何も無い。
おかしい。
浦澤は何を残したのか。
「あるいは、残していないのか・・・」
ふと何気無しに溢れた独り言だったが、それが少し気になった。
何も残していない、なら。
なら10分間は何をしていたのだろうか。
・・・・・・うん、分からない。
情報量が少なすぎる。こういった場合、思考はまたたく間に拡散する。
こんな場合は違う箇所に目を向けるべきだ。うんそうしよう。
次に気になった点。それは『鍵』だ。
腰をかけていた椅子を離れ、ドアの鍵に触れた。
最初の事件の鶴井舞の部屋は、鍵が壊れていた。思いっきりひしゃげていた。
明らかに外部から大きな力をかけられて曲がった、と言うのが分かる。そこに不自然な点はない。
しかし、浦澤瞳の部屋のドアの鍵は全く無傷だった。
しげしげと眺めてみるが、特に不自然な傷は無い。
何故だ。何故この部屋の鍵は何も無かったのか?
聞いた話では、鶴井も浦澤も部屋の中で事切れていたとのことだ。
それが銃で頭を撃ち抜いていたか、首を吊っていたかの違いだ。
一連の流れから見て、同一犯の仕業に違いない。
そして鶴井は鶴井の部屋、浦澤は浦澤の部屋で被害に遭ったことは明らか。
では何故鶴井の部屋だけ鍵が掛かっていて、浦澤の部屋だけ鍵が掛かっていなかったのか。
これは明らかに不自然な点だ。
鶴井の部屋を外から鍵を掛けることができるなら、同様に浦澤の部屋も鍵を掛けるべきだった。
しかし実際にはそうはしなかった。
どう言う訳か、鶴井の部屋は内側から鍵を掛けた。それも二重で。なのに同じ条件なはずなのに浦澤の場合は2つある鍵の両方とも掛けなかった。
鍵を掛けなかったには、それなりの理由があるはずだ。
じゃあそれは何か?
部屋の場所か? 鶴井の部屋と浦澤の部屋の場所が違うせいか?
時間か? 最初の事件が行われた時間とついさっき行われた事件で時間が違うせいか?
それとも何か?
他に要因があるのか?
そもそも、鶴井舞の部屋はどうやって鍵を掛けたのか?
それが分かれば、何故鶴井の部屋に鍵をかけて浦澤の部屋に鍵をかけなかったのかが分かる。
浦澤の部屋を出ると、右前の部屋が鶴井の部屋だ。
ゆっくりと開けると、浦澤の部屋とまた大きく趣が変わる。
部屋の作りは一緒だが、部屋の真ん中に大きな黒いシミがまず目を引く。はやり何回この部屋に来てもこれは治らないだろう。
そう、鶴井舞の鮮血だ。鶴井舞がこの部屋の真ん中で、頭の真ん中を銃で撃ち抜かれて事切れていた。その部屋だ。
当然、返り血が所狭しと巻き散らかしてあるのは分かる。
この部屋で一番気がかりなのは、ただひとつ。「どうやってこの部屋を密室にしたか」だ。
どこから一劇団員が拳銃を調達してきたか、は良い。
どうして顳かみでなく額を打ち抜いたのかも、それは良い。
そんなもの鶴井が自殺したなら、精神的に高揚しまた参っていたのだろう、の一言で終わってしまうだろう。
それでも「犯人はどうやてこの部屋から逃げ出したのか」の一点については、説明できない。
鷹梨の説明では、鍵と閂の二重の施錠がなされていたとのことだ。
鍵はキッチンに保管されている。
閂はどうやったって部屋の中からしか動かせない。
そんな中からどうやって二重の密室を作り上げることが出来たのだろうか。
それが一番の関心どころだ。
この山荘で起きた事件の状況は一通り把握した。
密室殺人に毒殺に、不可能アリバイ殺人か。これまた盛りだくさんに詰め込んでくれた。
正直言おう。
自分はこのたび重なる状況を説明できる知識知恵は持ち合わせていない。
全く持ってお手上げだ。
今現在はね。ただ思う。
なんとなく解けそうな気はする。