凍てつく虚空
「まさかこの吹雪の中、白岡さんに一人で運転して助けを呼んで来い、ってそう言う意味じゃないわよね」
「まさかのそういう意味」
「・・・・・・あんた正気? 白岡さん一人で行かせて、私たちはこの山荘で待機してろっての? 冗談にしては性質が悪いわね」
「そうかな、私としては結構良い案だとは思うんだけど。白岡さんって『トワイライト』のドライバー兼マネージャーさんでしょ。
私たちは舞台女優でありプロ、舞台の上では自分の役割に責任を持ってる。失敗したらそれは全部失敗した自分に返ってくる。それがプロでしょ。
ならそれを支えるドライバーも同じじゃないの。己の過失で道に迷ったなら、同様に自分で責任をとる、それが筋ってもんじゃないの?」
「浦澤さん、それはそうかもしれませんけど」
新馬理緒は浦澤と不二見の間を取り持つように割って入る。
猪井田はその様子を腕を組みながら、じっと見守っていた。
たしかにそうなのだ。
我々はアマチュアではない。もう学生ではないのだ。
実力主義であり、結果第一の世界である。
成功すればそれ相応の見返りがある半面、失敗すればやはり相応のしっぺ返しを受ける。
浦澤はそのことを言っているのだろう。
だから浦澤の言い分は間違ってはいない。
しかし怖いのはそれを平気で口にできることだ。
今言ったことはあくまで理想であり、『そうあるべき姿』である。
けれども実際にそんなストイックな精神を常に持ち合わせ、その通りに行動できる人間が果たして何十人何百人と存在できるだろうか。
時に自分に甘え、時に妥協し、そして時に仲間の失敗もカバーし慰めることも必要とされる時もある。
この劇団の団長を務める私でさえ、その姿を追求することが難しい。
それを浦澤瞳は淡々とやってのけるのだ。
日常は至って賑やかでムードメーカー。後輩の面倒も見るし、先輩であろうとも自分の意見は押し通し屈することはない。
それだけ見れば頼もしい存在なのだが、この性質が『浦澤瞳』という人物を一層一目置かれた存在に置く原因なのだ。
そしてそれを当然のように仲間に求める。
それが彼女の強さであり、同時に怖さでもある。
一方の不二見未里はと言うとこの真逆な性格といても良いだろう。
口数こそそれほど多くはなく、はたから見るとよく言えばクール、悪く言えば無愛想な印象を受けるこの人物。
一匹狼よろしく劇団の練習時間でも休憩時間でも、またプライベートでも特定の誰かと一緒になっているという姿を目撃しない。
浦澤とは仲良く付き合ってはいるようだったが、それ以外の劇団員との絡みは殆ど無かった。
暇さえあれば台本を熟読し、誰からも見えない場所で独り稽古に励む。
でも先輩の言うことには歯向かうと言うことは思いのほか少なかった。彼女なりの礼儀なのか、あるいは古臭い体育会系の風習なのか私や真壁などの指示は比較的素直に聞く人間だった。
また仲間の失敗などに敏感で、憎まれ口を叩きながらもフォローする姿も見れた。
メンバー同士がこじれあった時も、誰よりも騒ぎを鎮めようとするのは彼女だった。
そう、この『浦澤瞳』と『不二見未里』は年齢も近く仲が良い二人組みなのだが、二人の性格は正に真逆と言っても良いものだった。
それでもここまで意見が対立することは、少なくとも私は見たことがなかった。
「・・・・・・いや、浦澤君の言う通りだよ」
まさかの賛同者が白岡だった。
白岡は眼をつむったままゆっくりと立ち上がる。
「今回の迷子の件は僕の責任だ。皆に責任はない。それにこの山荘にいるほうが安全だと、僕はそう思うんだ」
「この山荘のほうが? 何でまた」
真壁だった。
「もしこのまま僕たち劇団メンバーが東京に帰らなかったら、恐らく練習場やアパートの管理人さんなんかが気がつくはずだ。
そうなると誰かしらが不審に思って僕達がそれまで何処にいたか調べるだろう。恐らく一日と掛からずに信州に地方公演に来ていることに気づく。
そうすれば此処一帯の救助隊、最悪県警が動き出すはずだ、遅かれ早かれ救助はこの山荘にやってくる。そう言う寸法さ」
「だったら、白岡さんもここに残れば良いじゃないですか。」
「そうはいかない。その手段をとるとなると最低でも三日はかかる。次の公演の準備も考えると一日でも早く帰れる方が良い。
僕が麓の村まで行って直接救助隊を要請する。そうすれば明日の朝にも君たちは帰る事が出来る。
一日でも早く帰れる方法があるのならば、僕はその方法を取らせてもらうよ。たとえそれが危険で無意味であったとしてもね」
誰も何も言えなかった。
あの浦澤も、まさか本当にと言った顔で白岡を見つめている。
白岡はと言うと、簡単にバックの中身を整理し肩に担ぐ。
「地図によればここから麓の村までほんの数km、道に迷わなければ30分もかからないよ。まぁ雪があるから倍掛かるとしても一時間くらいかかるかも。
大丈夫。最悪僕が失敗しても三日以内には救助は来る。携帯食料も持ってるし死ぬことはないよ」
精一杯の笑顔だった気がした。
そのまま私の方を向くと
「じゃあ猪井田君、あとのメンバーのことは頼んだよ」
その言葉だけ残して山荘のドアを開けたのだった。私も「は、はい・・・」としか言うことはできなかった。
白岡光一は出て行った。
一瞬、外の雪風が入ってきたものの、すぐにそれもやんだ。
しばしの間、ロビィには気まずい空気が流れたのは言うまでもないだろう。
図らずも我々劇団の団員が、決死の覚悟で外部で助けを求めに行ったのだから。
白岡の言葉が単なる気休めの言葉であるということは誰もが分かっていたことだった。
三日以内に助けが来る?
どうしてそう断言できる。
白岡の勝手な判断だろう。
我々を安心させるために言った嘘かも知れない。
アパートや練習場の管理人?
そう都合よく気づいてくれるものだろうか?
仮に気づいてくれたとしても、そこから信州地方公演で帰り道に迷子と言うキーワードに辿りついてくれるだろうか。
まずどれを持ってしても確定的なポイントがない。
それでも・・・
「みんな、落ち込んでいる暇はないわ。助けを呼びに動いてくれている白岡さんを信じましょう。私たちは私たちでやることがあるわ。
白岡さんが無事麓の村まで降りて行って救助隊が到着するまで一日、ううん、二日掛かるわ。こうなった以上この山荘で二日間生活しなくちゃいけないわね。」
「ここで、生活ですか?」
「そう。この山荘の持ち主には悪いけど、こうなった以上ここに滞在するしかないわね。それに関しては後で私と白岡さんで解決するとして当面の目標は食料と水ね。
特に飲料水が必要不可欠ね。最悪外の雪解け水を使うって手もあるけど、できれば蒸留水のような清潔な水が必要ね。体調の悪い鷹梨もいることだし。」
「そう言えば姫世、そこの部屋キッチンだったよ。もしかしたら非常食とか置いてあるかもよ。」
切り出したのは知尻マリアだった。
後輩なのに猪井田姫世の事を『姫世』と呼び捨てにできる数少ない人間のうちの一人だ。
彼女は正に劇団の中間管理職と言ったポジションにいた。