凍てつく虚空
「でも、私が犯人じゃないって証拠はあるの。私自身が信用できないのに」
「お前、スペイン語できる? あるいはロシア語か中国語」
急な質問だった。その質問の意味が分からない。とりあえず、いいえと答えた。
「じゃあ英語は?」
「んっと、あんまり。中学校の時授業あんまり聞いてなかったから」
「じゃあ拳銃は買えない。確かに最近は拳銃が昔に比べて比較的入手しやすくなった。でもあくまで比較的だ。困難なことには変わりない。それに、それを扱っているのは大抵、スペイン語圏やロシア語圏か中国語圏だ。
拳銃を手に入れるためにはそれらの言葉に精通してないと買うのは厳しい。まぁ英語でも扱ってないことはないけど、中学校レベルの英語で苦労している人間は無理だな。
それにトリカブトだってそうだ。確かにトリカブトの値から附子と言う毒物は取れる。ただしその方法は非常に難しい。ただ根っこを取って刻んで煮込めば良いってもんじゃない。
それに数が必要だ、たかが一鉢二鉢トリカブト買えばできるってもんじゃない。個体差こそあるが、それこそ百近く買わないと必要量は集めることが困難だ。
ふん、安心しろ。お前は犯人じゃない。それは俺が証明する」
気がつけば涙が出てきた。
深い深い霧が一瞬で晴れたようだった。
私が信用できなかった私自身を、鷹見くんは信用してくれた。
胸を張って『お前は犯人じゃない』と断言してくれた。
本当に、本当に助かった、そう思った。
10年以上前に助けられて、そして今現在も助けられた。
嬉しかった。私は本当に嬉しかった。
彼はそんな私に戸惑ったようだった。
ふと彼の足が止まる。視線が鷹梨の後ろのドアに移る。
「現場検証?」
たまたま通りかかったと言わんばかりの表情で現れたのは、新馬理緒だった。
彼女の小柄な顔がドアから出ている。
* * *
「ええと、あなたは確か・・・」
「あ〜ぁ、愛ちゃん泣かしちゃった」
鷹見くんは言い逃れできない罪人のように眉をへの字に曲げた。
「嘘嘘、冗談冗談。私の名前は新馬理緒っていうんだ」
「そうそう新馬さん、えっとなにかこの部屋に御用ですか?」
「ううん。用ってほどのものじゃないよ。ただ何をしてるのかな、て思っただけ」
「・・・そうですか」
鷹見はそれ以上彼女の言葉に対して言及しなかった。
おそらくは見張り役かなにかだろう。鷹見君はそう思いながら再び部屋の中を回り始めた。
ただただ部屋を回り続けているだけだった。
それに対してつまらないのか、彼女は問を投げかけた。
「何処まで解けたんですか?」
「ん、はい?」
「事件の謎ですよ」
新馬の顔には少しばかり妖艶な表情が伺えた。
しかし鷹見青年の表情は暗い。
「何度も申し上げますが、自分は全知全能な存在ではありません。あくまで事件現場がどうなっているのか、自分が泊まる山荘で起こった事件のあらましを知るためにここにいるんであって、事件の真相を看破してやろうとは・・・」
「じゃあなに、まだ何の解決案も推理も無いの?」
「えぇ、何も」
「う〜〜〜ん。そうか・・・・・・・。分かった、じゃあこうしよう。私の推理を聞いて貰えない?」
「はい?新馬さんの推理ですか?」
「そうそう。流石に登場して数時間の名探偵に全てを望むのは無理だから、私の推理を聞いてよ。そしてその推理がどうなのか、なにか穴がないのか、意見を聞かせてほしいな」
「・・・・・・ううんと、あの、ですね」
「まあ名探偵、ってのは冗談だけど、でも少なくとも君は、鷹見くんはこういった類の話に全く興味関心が無いって訳じゃないんでしょ。ミステリに精通してるんでしょ」
「別に精通というわけでは」
「十分さ。ぜひ聴いてよ私の推理を。そして聞かせてよ君の話を」
新馬の眼はケンタウルス星の様に輝いていた。鷹見もため息一つ残して
「分かりました。話を聞くだけならそれは構いません」
「ふむ。そうこなくっちゃ。まず最初の事件ね。鶴井舞ちゃんの最初の事件。この部屋で起こった密室事件について。この事件の謎はやっぱり何といっても『密室』が一番のネックだよね。これはどう」
「えぇ。それに関しては異論はありません」
「じゃあ問題はこの1つ。『どうやって鍵と閂の2つの鍵を外部から施錠したのか』、これに限る。これはどう?」
「同意見です」
「私は考えた。部屋の中にあるものでこの部屋に鍵をかけたんだ」
「それは分かります。しかしそんなものこの部屋になかった、そうでしょ」
「いいや。それが違う。思いっきり怪しすぎて逆にみんな気がつかないものがあの時部屋にあった」
「それは?」
「『拳銃』さ。事件当日、この部屋には鶴井舞の額を撃ち抜いた拳銃が確かに一台落ちていた。犯人はこれを使ってこの部屋の閂を閉めたんだ。どうするか。それは簡単だ。鷹見くんはわかるよね」
その言葉で鷹見くんは顎に手を当てて、あぁ、と頷いてみせた。しかし鷹梨はさっぱり要領を得ないといった表情だ。
「拳銃は鉄で出来ている。鉄は強磁性体です」
「キョウジセイタイ?」
「簡単に言うと、磁石にくっ付く珍しい物質ってことです」
「?、え、だって金属って皆磁石にくっつくんじゃないの?」
「それは誤解だね。磁石にくっ付く物質はこの世でおよそ4種類しかない。『コバルト』、『ニッケル』、18℃以下の『ガドリニウム』、そして『鉄』の4つだけです。今回拳銃に使用された物質は鉄、つまり磁石にくっ付く物質です。
磁力は木材などの部室の中を平気で突き抜けます。つまり木の壁があろうとなかろうと、磁石の磁力の影響を受けます。
今回で言えば、犯人は強力な磁石を持っていた。そして鶴井さんの部屋の中で凶行をすませると、凶器として使用した拳銃を持って一度部屋の外に移動する。そして部屋の中のドアの近くに拳銃を置く。ドアを閉める。
この時、ドアは鍵も閂もかかっていない状態。そこで強力な磁石、おそらくネオジウム磁石か何かでしょう、それを持って木製のドアの外から部屋の中の拳銃を操る。ここで標的は勿論『閂』。
磁石によって操られる拳銃は、閂を押し出して、犯人は部屋の外にいながら部屋の中の閂をかけることができる、そういうことでしょ新馬さん」
「そういう事。磁石を壁から離せば拳銃は支えを失い、部屋の中のドアの近くに落ちる。その後どうするか、実はそのままで良い。あとは部屋を皆が訪れて無理やりドアを破って突入してくれれば準備完了。
勢いよく弾き飛ばされるドアによって、その近くに落ちていた拳銃はさらに弾き飛ばされ、ドアから遠くで発見される。これなら誰も拳銃が密室作りに使用されたとは思わない」
「なるほど。閂を閉じる方法は分かりました。では鍵はどうなるんですか」
「どうもしないさ」
「ふん?」
「この部屋は当時、閂は掛かっていても、鍵は掛かっていなかったのさ」
「それでは聞いた話と違いますね。僕が聞いた話では、鍵と閂の両方が掛かっていたと」
「そうそこさ!」
新馬は人差し指を鷹見に突き立てる