凍てつく虚空
「・・・・・・えっと、ありがとうって、何の話ですかね。僕、何かしましたか?」
当の鷹見くんはかなり困惑している様子だった。
「そうだよ愛、急にどうしたの」
鷹見くんは覚えていない、か・・・。
でもそれはそうだ。
だって12年も前の話だ。しかも私が小学校の時に助けてもらった鷹梨愛と気がついている様子はない。
そんな今日初めてあった女性にいきなり「ありがとう」なんて言われてもそれは困惑するのは当然だ。
「なに鷹梨、彼のこと知ってるの?」
「うん? 愛? 鷹梨?」
「鷹見くん覚えてないかな、同じ小学校だったんだけど」
「鷹梨・・・愛・・・・・・あぁ、そう言えば小学校の時のあの・・・」
「財布の盗難事件で、助けてもらったの。覚えてないかな」
鷹見くんは顎に手を添えて、目をまん丸に見開いた。
「そうだそうだ、思い出した。夏休み前の時、確か誰かの財布が無くなって・・・・・・。はいはい覚えてる。あぁ、そうか、あの時の鷹梨は君か!」
その瞬間、頭の中の血管という血管に大量の血液が循環した。
一瞬頭が熱なった。
覚えていてくれた。
それだけで少し目頭が熱くなった。
「あの時私は、鷹見くんに本当に助けられて、でもお礼が言えずじまいで、今更なんだけど、本当にありがとう」
「12年も前の話ですよ」
おどけた表情で肩をすぼめてみせた
「なになに、2人は知り合いなの?」
真壁さんが入ってきた。
「話を聞くと小学校の知り合いだとか」
「はい。同じ小学校の同級生でした」
「ただ、一緒のクラスになったのは6年生の時だけ。しかも中学校は自分の引越しで別々の学校になりましたので、一年しか一緒ではありませんでしたけど」
「で、なに。鷹見くんはその時愛ちゃんを助けたの? 盗難事件って何?」
「私が6年生の時、クラスで財布の盗難事件があったんです。その時、私が教室を最後に出たので私が疑われたんです。先生はてっきり私が犯人だと思って詰め寄ってきたんですが、
鷹見くんは私が犯人じゃないって証明してくれたんです。おかげで私は助かった」
メンバー全員がおおう!、と小さな歓声に包まれた。
私はつい熱っぽく語ってしまったが、ふと鷹見くんを盗み見ると、不思議と嬉しそうでも照れている様子もなかった。
何となく冷めているというか、あるいはバツの悪そうな、そんな表情だった。
「じゃあ、君は名探偵なんだね」
猪井田さんの言葉に、しかし鷹見くんは頭を振った。
「さっき言ったように、僕の本職は学生です。決して探偵ではありません。ただミステリをよく読む普通の大学生です。12年前の事件はよく覚えていますが、鷹梨が言うほど大それたものじゃありませんよ。
僕は対した働きなんかしてません」
その言葉に、またまた、謙遜して、と言葉がかけられたが当の本人は一向に嬉しそうではなかった。
「鷹見くん、君を探偵と見込んで話があるんだ」
「ううん・・・、何度も言いますが僕は探偵ではありません。それでちなみにお聞きしますが話とはなんですか」
「事件を・・・・・・、この山荘で起きている殺人事件を解決して欲しいんだ」
* * *
「ふうむ、殺人事件ですか」
「そう、この山荘で」
「殺人事件ですか・・・」
「信じてないね」
「そうですね。いきなり、殺人事件が起こったからそれを解決してくれ、と言われてもこっちもどう反応して良いやら」
「困惑するよね。でも本当なんだ、この山荘で連続殺人が起こっている。今この瞬間もそれが継続中なんだ。今この瞬間誰かの死体が転がってきてもなんの不思議もない、そんな事態なんだよ」
猪井田さんのその言葉に、当の鷹見くんも言葉が出てこない。
それはそうだ、いきなり吹雪の山荘に命からがらたどり着いたら、今度は連続殺人事件が起こっている、しかもそれを解決してくれと言う。
場違いと言ったら場違い、滑稽といえば滑稽な申し出であった。
しかし猪井田さんの眼は真剣そのものだった。鷹見くんはその眼を見て、すこし逡巡したようだった。
「分かりました。とりあえず話は聞かせてもらいましょう。解決するしない、は別としてどんな状況か、そして皆さんがなぜここにいるか、そういったことを聞かせてもらってから結論を出してよろしいですか」
「良いよ。分かった・・・」
そこから猪井田さんはここのたどり着くことになった経緯、そして鶴井舞・田子藍那・浦澤瞳と3人の仲間が何者かによって殺害されたことを正直に話した。勿論、その時の状況も事細かに知らせた。
遺体は玄関のすぐ外のプレハブ小屋に安置してあることも、そして我々の簡単な自己紹介も
途中途中鷹見くんの質問もいくつか挟んだが、よどみなく説明が終わった。
「・・・どう?」
「さぁ。いきなり、どう?、と言われても。先程も申し上げたとおり、僕は探偵ではないので。ただ確認したいことがあるんですが」
「なに? 私たちで答えられることならなんでも聞いて」
「2つあるんですが。まず1つ目は、現場を見せていただきたいと言うことです。あ、探偵ではないんですが一応それらしいことはしておこうかなと」
「それは良いよ。あと1つは?」
「これは質問なんですが、皆さんお腹を壊されたとか、体調不良の方はいらっしゃいますか?」
* * *
鶴井舞の部屋のドアを開けた。
いつぶりだろうか。この部屋のドアを開けるのは。
ひしゃげた閂の残骸を見ながら、ドアがゆっくりと開く。
「・・・うっ!」
私は咄嗟に目を被った。
目の前の絨毯には、どす黒い染みができていた。
そう、鶴井舞が横たわっていた場所に。
否応なしに、数日前の記憶が泡立つ。
ドアを全員で押し破り、直面した死の現場。頭から大量の血を流し横たわっていた舞ちゃんの姿を。
見たくなかった。
もう、思い出したくなかった。
しかし鷹見は物怖じせずそのまま進んでいく。
部屋の中央にある染みに顔を近づける。
その手にはいつの間にか薄手の手袋がはめられていた。
血塗られた絨毯を触ったりつまんだり、そして匂いを嗅いだりしていた。
そうかと思うと突然立ち上がり、部屋の中をうろうろと歩き回る。止まっては動き出し、動き出してはまた止まる。
そして3回に1回はぶつぶつと何か聞こえない小さな声で呟く。
そんなはたから見ると奇怪に見える行動を目で追った。
「えっと、なにしてるの?」
「あらましを教えてください」
突然の言葉に私は驚いた。
「あらましですよ、あらまし。最初の事件の」
「あぁ、はい。事件が起こったのは私達がこの山荘にたどり着いた日の夜です。被害者になったのは私たちの劇団の鶴井舞ちゃんです。
長旅の疲れが出てみんなが早めに部屋に戻りました。そしたら急にこの二階から銃声が聞こえたんです」
「鷹梨さんはそのとき何処にいたんですか?」
「一階のロビーです」
「他に一緒だった人は?」
「ええっと、猪井田さんと知尻さんです」
「結構、続けて」
「あまりにも大きな音だったので私たちは二階に上がってきました。すると同じように銃声に驚いたメンバーのみんなが部屋から出てきました。