凍てつく虚空
ケイちゃんが?
財布を?
盗んだ?
嘘?
なんで?
ケイちゃんに視線を送る。
けいちゃんは俯いたまま。表情は伺えない。しかし、よく見れば小刻みに震えている。
泣いてるの?
怖がってるの?
それとも・・・
「内木、お前・・・」
「先生。あくまで内木さんにも財布をとることが可能だった、と言うだけにすぎません。やっぱり鷹梨さんが盗ったのかもしれません」
「ちょっと、私は・・・」
「でも、もしかしたら内木さんが盗ったのかもしれません」
「鷹見」
「でもですね先生、僕は鷹梨さんが犯人の可能性はとても低いと思うんですよ。もし鷹梨さんが犯行を行うなら、黒板消し係の仕事が終わったあと、つまり皆がいなくなったあと。
そんな時に財布が無くなれば、真っ先に疑われるのが自分です。これは誰でも分かることです。そんな状況で果たして犯行に及ぶでしょうか。
全く及ばないと言い切ることはできません。『まっさきに疑われるような状況で犯行は行わないだろう』と言う心理的盲点をついた、そう考えることもできます」
「心理的盲点?」
「はい、要は人間の思い込みです。自分が真っ先に疑われるような状況で犯行に及ぶバカはいない、と思わせておいてやっぱり犯行を行う、という事です。
ただこれは非常にリスクが高いです、危険性が高いという事ですね。
だとしたらむしろ、今回の事件は罪を着せるために行われた事件、そう考えることが普通です。つまり、鷹梨愛という人物に罪を着せるためにほかの人物が犯行を行った、という事です」
耳を疑った。
罪を着せるため?
誰が?
内木さんが?
ケイちゃんが?
なんで?
どうして?
「もし財布を盗ることが目的なら、犯行はいつでも良いんです。明日でも明後日でも、今日の朝でも、昼休みでもいいんです。でも実際は違った。
5時間目の休み時間、と言う非常に限定された時間、それも鷹梨愛という人物に高確率で疑いの目をかけることができる時間帯を、わざと狙ってやったと言えます。
6時間目の授業が始まる前にあった財布が、終わったあとには無くなっていた。その時教室に最後まで残っていたのは鷹梨愛だけ。そんな状況を作り出すことができれば彼女に無実の罪を着せることができます。
ちなみに、内木さんが小林さんに声をかけたのが4時間目の休み時間でも3時間目の休み時間でもなく、5時間目の休み時間だったのは、犯行時間を限定させたかったから。
もし4時間目の休み時間に財布の所在を確認してその後なくなったとしても、財布はもしかしたら4時間目の休み時間に誰かに取られたのかもしれない、だとしたら鷹梨が犯人かどうかは分からなくなる、
そんな風に鷹梨愛への疑惑が薄れてしまう。
逆を返せば、5時間目の休み時間に財布の所在を確認したと言うのは、財布をとることが目的ではなく、むしろ鷹梨愛を陥れたいと言う願望からです」
何の淀みもなく、それこそ立て板に水だった。
でもそれが逆に怖かった。
「・・・内木、お前、本当に・・・」
「犯行が行われたのは6時間目の始める前、一時間ほど前です。そしてその後は音楽の時間がありました。もし財布を盗ったとしても隠す時間はないはずです。もし持ち物検査をするなら、鷹梨さんだけでなく内木さんも一緒に・・・」
鷹見くんがそこまで言った時だった、
ケイちゃんはゆっくり立ち上がった。未だに俯いたままだったが、そでも表情は伺えた。
それは悲しみでも、困惑でもない。
憤怒だ。
ケイちゃんは自分のカバンから財布を取り出す。
ピンク色をして、キャラクターのキーホルダーが取り付けてあった
「私の・・・」
小林さんだった。
呟くような声だった。
教室内は異様な静けさだった。
ケイちゃんが小林さんの財布を持っている。という事は・・・
「あんたが悪いのよ・・・」
ケイちゃんの声だった。
こちらも蚊の鳴くようなか細い声だった。
「あんたが悪いのよ、涼太君を盗ったんだから・・・」
そう言い残すと、ケイちゃんはカバンを担いですごい勢いで教室のドアを開け、そして出て行った。
誰もそれを止めることができなかった。
私も、ケイちゃん、と呟く事しかできなかった。
その後調べていろいろなことが分かった。
当時、ケイちゃんは神保涼太と付き合っていた。
いや、付き合っていたと言うのも正確じゃない。
声をかけられたと言うのだった。駅前で。生徒手帳を落としたと言って。
そして、その生徒手帳は左胸のポケットに入っていたという。
そう、私と出会った時と全く同じ状況で声をかけられたのだったと言う。
しかしそうとは知らないケイちゃんは、あの時お昼休みにしていた話を聞いて「鷹梨愛が神保涼太を誑かした」と思ったようだ。
そう思い込んだケイちゃんが私に仕返しをしようと思った。
神保涼太を盗られたんだから、こっちもなにか盗ってし返してやろう、そう思ったそうだ。
そして今回の事件を起こした。
さらにもっと詳しく調べると、神保涼太という人物は同様の手口であと7人と付き合っていた。
通りすがりの女の子で、みんな年下。こういった手口に耐性がなく簡単に引っかかるからだそうだ。
私と同様に、生徒手帳を落とした、一緒に探してくれないか、と泣きそうな顔で持ちかける。
そして探しながら話をして親しくなる。近くの有名私立高校の生徒だ、父親が弁護士だ、と然りげ無く自分のステータスで引きつけておいて、でも部活はレギュラーじゃない、成績もあんまり良くないと、
ちょっとした弱みも見せて親近感をわかせる。
そして最後には実は自分のポケットに入っていた、と少し間抜けな高校生を演じる。
あとはお詫びになにかご馳走する、とか行って連絡を取ればいっちょあがり。
そう言った手口で女の子を取っ替えひっかえしていた男だったようだ。
ケイちゃんが転校したのは、それからすぐのことだった。
それ以来ケイちゃんとは遭っていない。ユキちゃん、モエちゃんともこの事件以来疎遠になってしまった。
中学校に入学する頃には、鷹見くんも県外に転校していった。なんでも父親の仕事のせいだとか。
それでも私はあの時のことを鮮明に思い出すことができる。
あの時、間違いなく、私は窮地に追いやられていた。
絶体絶命だった。
そして彼は、鷹見秋志郎くんはそれを救ってくれた。
まるで白馬の騎士だった。
それこそ絵に書いたような、今となっては黴の生えたシチュエーションだった。
結局お礼を言えなかった。
最後まで「ありがとう」と伝えることができなかった。
それでも私にはとても印象的だった。
あぁ、それは今から10年以上も前。
すっかり鷹見くんに逢うこともないだろう、そう思っていた。
でも目の前に彼は現れてくれた。
本物の彼だ。
夢のようだ
奇跡のようだ
今なら言える、「ありがとう」と。
「鷹見くん」
「はい? なんですか」
「えっと・・・、今まで言えなくて、本当に今更なんだけど、あの時は本当にありがとう、ね」
「はい?」
鷹見くんは狐につままれたような表情だった。
周りを囲んでいたみんなも一緒だった。
急に何を言い出すんだこの娘は、そんな表情だ。