凍てつく虚空
窓に反射した自分の姿を写し見る。
若干頬がこけたかもしれない。目の下の隈も少し目立つ。
―――どうしたら良いの
そう、そんな時だった。
ドアを叩く音が聞こえた。
はっと身を翻した。
「愛、ちょっと良い?」
理緒だった。
理緒がドアから顔だけ出した。
「・・・・・・大丈夫? 顔、結構やつれてるけど」
「あ、うん。なんでもない。疲れが出ただけ」
「・・・そっか、なら良いんだけど。あのさ、皆下のキッチンに集まってるから愛も行かない?」
私は生返事を返して部屋を出た。
* * *
理緒に連れられて、キッチンに到着すると、そこは陰鬱とした空気だった。いや陰鬱ではない。揮発したガソリンが充満した空間内で火打石を打ちつけようとするその寸前のような空気だ。
見ると、不二見さんと猪井田さんが正面に対峙していた。
真壁が不二見と猪井田に割ってはいる。
元々、猪井田さんは今回のリーダーだし、不二見は血の気が多い。
こう言った非日常の緊迫した状況に追いやられれば、まず衝突する2人だった。
ここになだめ役として、真壁さんがいたから良かったものの、ほかのメンバーはパニックになって右往左往しているだけだ。
まだ1人だから良い。
これにもう1人、騒ぐの大好きで揉め事に便乗する人が約1人。本来なら1人の三つ巴になっていて真壁さんでも押さえ切れなかったはずだ。
私はちらりと後方に目を配る。
驚くくらい静かに椅子に座っている人間が1人。
浦澤瞳だった。
脚を組んで、得意げに3人のいざこざを遠巻きに愉しんでいるようにしか見えなかった。
「ん?」
うっかり眼が合ってしまった。
すぐに眼を背けたが、一方の浦澤はと言うと、何を言う訳でもなくその眼を瞑って微笑を浮かべた。
「私、解っちゃったもんね〜〜。」
一瞬にして一同の視線を浦澤は集めた。
ゆっくりと腰を起こしながら、席を立つ。
さっきまで言い争っていた不二見と猪井田は呆気に取られたように、浦澤を見つめる。
「今回の謎、どうして、またどのようにして2人はあんなことされたのか、そしてその理由はなんなのか。全て解っちゃった。」
得意げに鼻を鳴らす。
それに見とれたのか、不二見と猪井田はさっきまで組み合っていた腕を離した。
「解ったって、それ本当?」
真壁が聞いた。
それに応えるかのように、大げさに両腕を広げてみせる。
「解ったも解った。それも全部ね。さっきピンときたんだ。これしか無いってね。」
「じゃあ、今ここで解答とやらを聞かせてもらおうじゃないの?」
これは不二見だ。
「あぁ、ちょっと待って。幾らなんでも思いついたその場で答え合わせは無理だよ。ちょっと整理する時間くれないかな?
15分・・・、いや10分で良いよ。それまでに自分の考えをちゃんと頭の文章化するからさ。だからそれまで部屋に戻って良いかな?」
誰に許しを請うわけでもなく浦澤は聞いた。
皆、顔を合わせたが、最終的には猪井田が解ったと返答を出した。
「うん、ありがとう猪井田さん。じゃあ、皆はそれまでここで待っててね。誰も移動しちゃダメだよ。へんにうろちょろして証拠を隠滅されても困るし。
この時間に動いた人は、その時点で自分が犯人ですって言ってるようなもんだから!?
じゃあ、、また10分後に。バイ!」
そう言うと笑顔のまま、キッチンを出て行った。
嵐が去ったように静けさを増したキッチン。
毒を抜かれたように不二見と猪井田はそばの椅子に座りなおす。
私も狐につままれた顔で、浦澤を見送った。
何処か、現実離れした感じがする。
テーブルの上に肘をもたげる。
「浦澤さん、あんな事言ってましたけど、本当に大丈夫なんですか?」
貴中だ。
不承不承と言った感じで、浦澤の出て行ったドアを眺めていた。
「さぁ。ゲームか何かと勘違いしてるんじゃないのかな。」
確かにそうだ。
私は心の中で呟いた。
さっきの浦澤の口調、あれを聞いてどうも現実離れというか、ゲームの世界にいるような雰囲気がしてならない。
猪井田さんと不二見が殴りあいになる手前まで行ったのに、浦澤は何処か一歩引いた場所から観戦しているような、そんな感じだ。
それに犯人が解った、何故2人が殺されなくてはならなかったのかも解ったとも言っていた。
しかし、その実、終始笑顔だった。
―――どうして笑顔になれるのであろうか。
それが心の奥まで引っかかった。
犯人が解ったと言うことは、鶴井と田子さんを殺した人間が私たちの中にいるという事が解ったと言うこと。
つまり今、このキッチンにいる6人、いや自分を入れて7人の中にいるという事確定したということ。
そして、それは今まで自分と仲良く接して来た大切な仲間の1人が、法によって裁かれるべき殺人鬼であるということ。
仲間内で、何らかの殺意を抱いて、その後それを実行し、あわよくば他の誰かに罪を着せようと考えた人間が、この中にいると言う事。
積年の恨みなのか
己の計画の邪魔になったからなのか
それとも、口封じのためか
理由は解らないが、その為にその手を血で染めることを厭わない人間が、ここにいると言うのに。
それでも浦澤は笑っていた。
全てを見切ったように、その口元には笑みがあった。
それと気掛かりになったこと。
何故、浦澤はその事を暗に意味し、部屋に戻って言ったのだろう。
私は犯人とそのトリックが解りましたよ、なんて言えば眼の前の犯人を挑発しているような物だ。
眼の前の7人に犯人がいると解っているのに、そんなことを言えば、どうぞ私を狙って下さいと言っている様な物だ。
しかも浦澤1人で部屋に戻れば、みすみす相手に殺人の機会を与えているようなものだ。
犯人は既に人2人を殺しているのだ。
この際、探偵を気取った仲間1人を殺す事に何のためらいも持っていないと思って良いだろう。
だとしたら、何故浦澤さんはそんな危険なことをしでかしたのか。
7人の動向を見回す。
互いが互いに眼を合わせないようにしているのが解る。
自然と息を殺している。
まるで、今更、善良な一般人を装うかのように。
ある人は椅子に座ったまま、私と同じように視線を定めないように何処かを眺めていたり、
またある人は、忙しなくキッチンの中を歩き回っていたり
ふと閃いた。
もしかしたら、浦澤さんは何かを誘っているのでは。
もしかしたら、浦澤さんはああ言っておきながら、実は犯人が解っていないのではないか。
あるいは解っていたとしても、確固たる証拠が遂に発見できなかったのでは。
そう考えた。
そこで敢えて、犯人の眼の前で挑発することによって、何らかのアクションを起こさせようとしているのではないか。
例えば、機会を伺って自分を襲いに来るところを待ち構えたり、
証拠を隠滅しに動いたところを待ったり、
そこを押さえれば、相手は言い逃れできない。
確かにそれは名案だ。
ふと、貴中が椅子から立ち上がった。
「ちょっとトイレに行ってくる。」
そのままドアの方に進みノブを掴んだ。
「待って!」