凍てつく虚空
こちらもやかましコンビに負けず劣らず元気なのだが、2人と違うのは自制心がきくことである。
場の空気を読み、オンオフを巧みに切り替えることができる人物であった。
「ったく、この2人はいつになったら落ち着いてくれんのかな」
「良いじゃない。こう言うときに必要なのは、2人のような底抜けな明るさだよ」
思わず愚痴を零した知尻をさち剃たのは、知尻の隣に座る『真壁冬香(まかべ ふゆか)』だった。
真壁と知尻は年齢こそ1つ違うものの、所謂幼馴染であり高校まで同じなっだのだ。、大学こそ別々の学校に進学したが小学校のころからの付き合いだった。
元気溌剌な知尻に対し真壁はと言うと、その周りだけ時間がゆっくり進んでいるのではないか、と思えるほどのマイペースっぷりだった。
年齢こそ28歳だと言うのに、その独特の雰囲気は幼児を思い浮かべる。
人懐っこく、疑うことを知らないようなそんな向日葵のような眩しさをもっていた。
そして最後尾の席にいたのは『鷹梨愛(たかなし あい)』と 『新馬理緒(にいま りお)』だった。
本来バスの最後尾の席は一列席であり、その分広い席でもある。
通常は年功序列のトップの人間が座ることが許される玉座ともいえるこの席に座っているのが、齢24の2人だった。
と言うのも理由がある。
この内、鷹梨愛が体調不良を訴えたということもあり、横になれる席と言うことで最後尾の席で横にっているということなのだ。
またその付き添いと言うことで、新馬が一緒に座っているということなのだ。
さてここで神の視点から詳細を加えよう。
この12人の一行は『トワイライツ』と命名された劇団員なのだ。
劇団員と言っても、全構成員で今いる12人と少数精鋭な演劇集団なのだった。
ふむ。
少々表現に誤りがあったかな。
少数精鋭なのではなく、人数の集まらなかった寄せ集め集団と言った方がしっくりくるだろう。
そもそも旗揚げして5年も経っていないという、生まれたての集団である。
その当事者がさきほど人物紹介にもあった、「猪井田姫世」と「真壁冬香」の2人であった。
2人はきたの出身だった。
この2人は同じ大学、同じ演劇サークル出身であった。
当時から息の合った2人は、大学卒業と同時に現在の劇団を立ち上げた。
両親の猛反対を押し切り、勘当同然で家を出た。
上京したてで右も左も解らない都会で、四畳半のボロアパートで共同生活。
身の回りの友人を少しずつ勧誘していき、何とか今現在の12人に増えていった。
とは言っても、旗揚げ当初の活動と言ったら難航を極めた。
元々、何処かの大手劇団に所属していたわけでもない。
スポンサーとなる企業にコネクションがあったわけでもない。
素人に毛が生えた程度の大学サークル出の人間が、おいそれと簡単に満員御礼の演劇を行えるはずがまずなかった。
元々人数が少ない劇団である。
1人の人間が1つの仕事だけしかしないのでは最早回らなかった。
1人の人間が俳優を務め、出番を終えたら照明係を行い、同時に音響も手伝わなくてはいけない。
そんなことが日常茶飯事だった。
舞台上でも1人2役は当然で、3役4役をこなすこともざらだった。
それに加え、脚本も完全オリジナルと言うのもあった。
昔からある有名な古典をドレスアップするのではなく、自分たちで一から作り始めると言った始末であった。
しかし世の中何が受けるかわからないものである。
俳優が1人3役を平気でこなし、出番を降りれば音響、照明、特殊効果を施す、斬新なシナリオも手垢のついた月並みの台詞の羅列に飽き飽きしたギャラリーには新鮮だった。
そう言った諸々の要因が作用し、前衛的と評価され、最近になって急激にその頭角を伸ばし始めた、そんな劇団であった。
お陰で年末年始も休みが取れないという、嬉しい悲鳴。
そう、そんな矢先だったのだ。
では視点を戻して、彼女たちの活躍を拝見するとしよう。
「まさかなぁ。まさかこの年で迷子になるとは」
全くその通りだった。
通信機器の発達したこのご時世に、良い大人が揃いも揃って道を失うとは情けないことこの上なかった。
「ねぇ白岡さん、このバスは何処に向ってるの?」
「僕が聞きたいくらいだよ」
「やっぱりさっきの所を左に行くべきだったんですよ。」
「さっきて言うのは?」
「いえ、もう良いです」
バス内に不穏な空気が流れ始めたころだった。
メンバーが一人、つぶやいた。
「・・・・・・あれって?」
田子だった。
そのまんまるとした眼を見開いて、結露した窓ガラスの一点を指さす。
他のメンバーも各々、その指さされた方向を凝視する。
しかしそこから見えるのは、どっぷりと黒色に漬かった暗闇のみ。そこに何も見いだせなかった。
「藍那、何も見えないけど。」
「おかしいな。さっきなんか見えたんだけど。」
「お菓子の食べすぎじゃない?」
「そんなことないもん。・・・・・ほらあそこ、やっぱり見えた。」
疑い半分で、今一度窓ガラス越しに外の風景に目をやる。
何も見えない。
やはり田子の思い過ごしだろう
そう誰もが思った時だった。
「ほんとだ。何か見えた。」
田子に乗ったのは真壁だった。
額をガラスに擦りつけるように見入った先には、唯一の光源の月明かりの具合で微かに見える程度だが、しかし『なにか』が見えた。
鬱蒼と生い茂る樹林の間隙に、僅かにのぞく不自然な影。
真壁が言うのなら、と他のメンバーも挙って眼を押し当てる。
「本当だ。なんか建物みたいなのが見える。」
今度は浦澤だった。
「建物? おかしいな、この一帯は人工林で民家はないはずだけど。」
「現在地も分からないのに?」
ドライバー白岡に鋭くツッコミを入れるのは猪井田だ。
「どうです白岡さん、ちょっとそに寄ってみませんか?」
「うん? その建物らしきものにかい?」
「えぇ。どうせ現在地が分からないのでは動きようがありませんよ。もしかしたら電話を借りることができるかも。」
ハンドルを握りながら白岡はしばし逡巡したようだった。
「それもそうだな。ここが何処か聞けるだけでも儲けもんだな。」
大きくハンドルを切り、その「建物らしきもの」に向かって舵を取る。
雪は未だにその航路の邪魔をしていた。
* * *
バスはゆっくりと減速しながら、木々の間にある広場に停車した。
ヘッドライトの照らす先には、先ほど見えたのであろう「建物らしきもの」が鎮座していた。
いや、「建物らしきもの」ではない。「建物」そのものだ。
深々と雪を被った針葉樹林に囲まれながら、その要塞は姿を現した。
「こりゃ、すごい」
最初に声を発したのは真壁冬香だった。
脊髄反射の如く思ったことを思ったまま口に出しただけだったが、しかし眼の前に佇むそれは圧巻の一言だった。
住宅街にある豪華な一軒家を思わせるその重厚な姿が印象的な山荘だった。
これぞ職人技と言わしめるほどの威圧感と存在感。
思わず見とれてしまうほどだった。
団長の私と副団長の冬香、そして知尻が膝まであろうかと思われる積雪をかき分けて玄関までやってくる。