凍てつく虚空
感性や本能を、理性がちゃんと制御できる人間だ。
どんな場面でも取り乱さず、第三者視点から客観的に物事を把握できる。
何処までも硬く、何処までも強くそして何処までも柔軟な人間だ。
『猛き月』
そんな言葉が一瞬頭に浮かんだ。
本来は優しく可憐な女性的な月、
そして強く雄々しい猛き性質、
正しく浦澤瞳を映し出している、そう感じた。
「どうだ2人とも、ここらで一杯飲んでみるか?」
怜と共に私も訳のわからない顔をしていると、
「お酒だよお酒、アルコール。」
浦澤瞳は、お猪口を口元で傾けるジェスチャを見せた。
そう言ってキッチンから琥珀色の液体が入ったボトルとグラス3つを持ってきた。
「暖房を入れるのも良いけどな、いつまでここに閉じ込められるか解らないだろ、燃料は節約しなくちゃ。その代わり暖をとるにはこれでしょ。」
慣れた手つきで、グラスに大きな氷を1つと琥珀色の液体を注ぐ。
ボトルからは、きついアルコールの揮発する匂いと、同時に微かなフルーティな香り。
ウィスキーやスコッチと言ったお酒であろう、浦澤瞳はそえをおいしそうに傾ける。
「あれ。怜はウィスキー嫌い?」
「いえ、嫌いとかそういう事じゃなくて。私、未成年なんですけど。」
「知ってるよ。まだ19歳だっけ。それが?」
「未成年にアルコールを勧めないでください。浦澤さん、そんなこと言うと未成年からお酒飲んでたみたいに聞こえますよ。」
「変な奴だな。そんなこと言ったら、未成年なのにお酒飲んで無いみたいに聞こえるじゃないか。」
私と怜は思わず顔を見合わせた。
取り敢えずグラスを乾杯させる。
ウィスキーを飲むのは初めてだった。
一滴口にするだけで鼻に独特の香りが抜け、喉が熱湯を流し込まれたようにSOSを発してくる。
こんなものを良く平気で飲めるなとも思ったが、確かに身体が温まるのは確かだ。
* * *
「私、舞が自殺したとは思えないんです。」
両手でグラスを持っている怜が呟いた。
俯いている彼女からはその表情はうかがえない。
「気持ちは解る。言いたいことも解る。しかし現実は現実だ。あの時、舞に息は無かったし、もしあったとしても今の私たちじゃ助けられ・・・」
「違うんです。舞は『自殺』じゃないと思うんです。」
―――自殺―――
その響きに、思わず肩がぶるりと震える。
怜は自分の言葉を確かめるようにゆっくりと続ける。
「舞は普段饒舌な方じゃないし、何かと暗く思われがちですけど、それでも間違っても自殺するような人間じゃない。」
怜の言葉に浦澤は反論する。
「『自殺じゃない』ね。じゃあ殺人?」
「さぁ。そこまでは何とも言えませんが。あるいは事故の可能性もあるんじゃないですか?」
「事故ねぇ・・・。」
浦澤はウィスキーを啜る。
「もしこれが事故なら偶然起こったってことだね。舞が拳銃を持ってたことも偶然だし、部屋に錠前鍵と閂鍵の両方を掛けたのも偶然だし、
それに部屋の中で暴発が起こったって言うのもまた偶然。偶然が三回も立て続けに起こらないよ。
かと言って、殺人事件なら少なくとも犯人が他に居る訳だ。そんな犯人は少なくとも私たちの中にはいない、いるはずがない。だとしたら殺人でもありえない。
となると残りは自殺しかない、私はそう思うよ。」
「偶然に偶然が重なる事だって稀にあります。可能性はゼロじゃありません。」
「極小の偶然が立て続けに起こる確率と、彼女がふと自殺を思い立った確立とどっちが高い? 怜は『確率』って言葉を楯にして現実を直視したくないだけだよ。
私だってね、こう見えても結構傷ついてるんだよ。大切な後輩を一人、自殺という形で失ってしまったんだから。
心から、彼女は自殺したに違いない!、って思いたい訳じゃない。でも現実は現実。受け止めなくちゃ。」
そう言うと懐から煙草を取り出す。
さして美味しそうでもなく、火を点ける。
「でも、でも少なくとも自殺な訳無いんです。これはちゃんと言いきれます。」
「う〜〜ん困ったな。じゃあさ、怜は何で自殺じゃないと言い切れるの? 証拠は?」
「証拠、証拠ですか? 証拠って言われても・・・」
「現に舞の部屋は鍵が掛かってたじゃない。キーロック式の鍵と、もう一つは閂。あれって所謂『密室』ってやつでしょ。あれは部屋の外からじゃどうやたって無理だよ。
舞自身が自分の意思で掛けたものに決まってる。だとしたら、殺人はあり得ないってさっきも言ったけど?」
「えぇそうなんです。そうなんですけど・・・」
その時だった。
ふと、私の頭にある疑問が浮かんだ。
普段は、だからと言って口にすることも少ないのだが、何故かこのときには、そのまま言葉に乗って口から発せられたのだ。
「・・・頭の傷」
「ふむ?」
「頭の傷ありましたよね、舞ちゃん。あの銃で撃たれた傷です。」
「あぁ。あったね。額の銃弾の痕。それがどうかした?」
「あれ、おかしくないですか。どうして額にあるのかって、皆さん、思いませんでしたか?」
浦澤のカップがピタリと止まる。
瞼を一二度動かすと、そのまま指を顎に当て考え込んだ。
「・・・・・・成るほど。愛の言いたいことはそう言うことか。つまり拳銃自殺を考えるのであれば、『額よりもこめかみの部分を打ち抜くはず』、そう言うことか。」
「そうか、確かに!」
「どうです浦澤さん、もしかしたら他の誰かに撃たれたのかもしれない、そんな『殺人』の可能性も考えられませんか。」
「おやおや、愛も怜を擁護して殺人事件派か?」
「そう言う訳じゃありません。あくまで気になった点を挙げてみただけです。」
「なるほどね。確かに手に銃を持って額を打ち抜くことは難しいかもしれないね。ただやりにくいからと言って皆が皆、こめかみを打ち抜くとは言い切れないだろ。
私自身自殺の過去が無いから何とも言えないけど、自殺しようとする人間は多かれ少なかれ平常な精神状態ではないってことだろ。
だとしたら、私たちが考えないようなことをしてしまう可能性もある訳だ。勿論、撃ちにくい額を撃ってしまう可能性も。」
「それも『確率』ですか?」
「・・・。じゃあ言うけど、部屋の鍵はどうだい。『密室』だった訳だろ。部屋の外から鍵と閂の両方を掛けることが出来る?」
「確かに、それはそうですけど」
「2人も舞の部屋の後片付けをしたから解るでしょ。部屋には外部と行き来することが出来る場所が二か所ある。そう、ドアと窓だ。
ドアはあの時私たちが確かめたように鍵がしっかり掛かっていた。だからこそ猪井田さんを筆頭に皆で体当たりでこじ開けるしか方法が無かった。
一方の窓はどう? クレセント型のつまみを上下に移動させるタイプの鍵が掛かってたでしょ。あの窓が当時も開いていたように見える?
私はそんなことは無いと言い切れる。何故か。あの時、外は猛吹雪だったでしょ。もし窓が微かにでも開いていたのなら、ごうごうと風の斬る音が聞こえたはずよ。」
私は圧倒された。
その浦澤さんの理詰めの口撃にたじろいだ。
しかし、反面違和感もあった。
幾らなんでもムキになりすぎだ。