(続)湯西川にて 1~5
(続)湯西川にて (4)清子のライバルはクジラ漁師の娘?
「ねぇ・・・・
房総半島の最南端に建っているという、野島崎の灯台は
どっちの方角?」
俊彦に背を向けた清子が、窓にもたれかかるようにして
南を見つめています。
西側を向いている俊彦の病室から見下ろせる、午後の3時を過ぎた館山湾は、
逆光の下で海面のすべてが、いつの間にか銀色の照り返しはじめました。
黒いシルエットに変わった大きな船舶が長い航跡を引きながら、外洋に向け、
ひたすら、清子の目の前を通り過ぎていきます。
コンコンという、軽いノックの音が病室に響きます。
(誰かしら・・・・)振り返った清子の目に、
清楚な雰囲気を見事に漂よわせた笑顔の女性が、なれた様子で
ドアを開けるのが見えました。
返事も待たずにいつもとなじようにして、ごく自然に病室のドアを開けたのは、20歳を過ぎたばかりと思える、色白で細身の美人です。
(あら。早々とライバルの登場だわ・・・・
嫌味のない清楚な感じのお嬢さんだけど、俊彦の趣味とは少し
隔たりがあるみたい。
とすると、この子が岡本さんがベタ惚れだという、
例の女の子かしら・・・)
「東京湾を南下して、浦賀水道を過ぎ、
館山湾があるこのあたりになると、もう相模灘の一部です。
国の登録有形文化財にも登録されている、野島崎の白亜の灯台までは、
ここからなら、丘陵地帯を直線で南に下って10キロ余りです。
ただし、ここの半島は西へ大きく張り出していますので、
海岸線沿いを回り込んで行くと、走行距離は3倍近くにもなるようです。
野島崎灯台は、八角形をした大型の灯台で、
「日本の灯台50選」にも選ばれている、とても美しい灯台です。
灯台の周辺は、南房総国定公園にも指定をされていますので、
雄大な太平洋の景観が、一望のもとに大パノラマなどで楽しめます。
明日の退院のおりには、俊彦さんとドライブなどをされたらいかがですか。
景色の良いことだけは、折り紙つきです。
はじめまして。
和田町でクジラ漁師をしている柿崎の長女で、さちと申します」
(やっぱりねぇ・・・命びろいをいたしました。私も、うふふ)
と清子が、自分の肩から力をぬいています。
別の魅力を持った女性のタイプとは言え、仮りにでも俊彦を奪い合うことに
でもなれば、強敵になりそうな気配に、まずは清子も安堵の胸を
なでおろしています。
「間違えたらごめんなさい。
私のお友達の岡本さんが、実はゾッコンに惚れていると白状をしてくれた、
渦中の、和田町の漁師の一人娘さんでしょうか?
だいたいの事情などは、岡本さんから伺っておりましたが、
それにしても、私の予想をはるかに上回る、とびっきりの別嬪さんです。
岡本さんが、夢中になるのもうなずけます。
こちらこそ、ご挨拶が遅れました。
はじめまして。湯西川で芸者をしている、清子と申します」
「やっぱり!。
凛とした浴衣のお背中姿から、一目でそれとわかりました。
岡本がしつこく何度も無理なお願いのために、湯西川へ出かけたと
聞いております。
ずいぶんとご迷惑も、おかけをしたと思いますが、
遠いところまで、わざわざお越しいただき、ありがとうございます。
またこの先も、なにぶんにも事情が込み入っていて、
なにかとお手数をおかけすると思いますが、
どうぞ、よろしくお願いします」
「いえいえ、私が勝手に俊彦に会いたくて、やって来ただけの話です。
でも、嫉妬を感じるくらい、女が見ても本当にお美しい・・・・
あなたと、ここにいる俊彦を奪い合わなくて助かりました。
とてもじゃないけど、月とすっぽんの勝負です。
どうあがいても、かないっこありませんもの・・・うふふ」
いえ、そんな・・・と、さちが頬を赤く染めています。
清子の涼しい瞳が、もう一度、さちの全身を上から下まで舐め回します。
(非の打ちどころの無い美人という言葉をよく聞くけれど
それは、こういう女性のことを指す言葉だわ。
ふくよかな胸といい、良くくびれた腰回りと言い、文句のつけようのない
立ち姿だ。これじゃあ、あの岡本さんが、惚れ抜いてふぬけになるのも
無理は無いわね・・・・)
などと清子が、勝手に一人で納得をしています。
「父から退院用の衣類などを預かってまいりました。
退院したばかりでは支障が有るでしょうから、
落ち着いて2~3日ほどしてからお礼の宴の席なども、
是非とも設けたいと申しておりました。
もちろん、そちらの清子さんも、ご一緒に、是非どうぞと
申し添えております。
それでは、お邪魔でしょうから、私は早々にこれで失礼をいたします。
清子さん。
またその折りに、お会いいたしましょう。
では、失礼をいたします、ごきげんよう俊彦さん。清子さん」
くるりと背を向けたさちが、清楚な香りを残したまま、
カチャリと軽いドアの音を響かせて、病室から立ち去って行きます。
(何をしても絵になる子だわね、
目からうろこが落ちるほどの良い女だ。
ああいう、ひとランク上のエレガントな女性と、間違ってもライバル関係にならなくて、
本当に助かったわ・・・・・あなたも、わたしも、ね。うっふっふ)
(5)へ、つづく
作品名:(続)湯西川にて 1~5 作家名:落合順平