before Today.
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「姉ちゃん! ……姉ちゃん!」
姉が倒れたのは、寝込んでから六年も経ってのことだった。耳から抜けていきそうな医師の説明を必死で聞き取る。まとめると、姉は現代医療では不治の病であるということ。そして気になったのは「老衰と同じ症状」であるということ。姉はまだ二十四歳だ。老衰なんて馬鹿な話があるわけない。医者の話では、姉の命はもう日単位で数えられるほどらしい。どれもこれも、信じられないことだらけだった。
僕は姉にどう説明したものかと悩みながら、姉がいる部屋に向かった。まさか、本当のことを話す気になんてならない。
ストレッチャーに乗った姉は、もう目を覚ましていた。
「姉ちゃん、調子良くないみたいだからさ、しばらく入院し……」
無表情の彼女が言い放ったのは、信じたくない言葉たちだった。
「あの、どちら様ですか?」
焦点の合ってきた目で真剣に尋ねられた。
僕は彼女に背中を向け、背後にいた白衣の女性の肩を掴んだ。
「どういうことなんですか! これは! ……僕は、忘れられた……?」
瞬きを忘れ、乾ききった眼球が再び潤う。女医も面食らったようで、目をパチクリさせている。黒髪をハーフアップにしている、姉くらいの若い女性だ。
眼鏡の奥の瞳が僕を通り越して姉の方を向く。
「落ち着いてください。えっと……石田さん、ですよね。多分、倒れたときに脳が酸欠になったことによる記憶喪失だと」
慌てているでもなく、ただ淡々と言われた。
「家族とかは覚えているケースが多いのですが……。それに、この症状は一時的なもののことも多いですし」
ああ、そういうことか。
「僕は、家族じゃないから……」
女医を掴んでいた手を離す。背後の姉はどんな表情をしているのだろうか、どこか恐ろしくて振り返ることはできなかった。
女医は僕か、姉に向かって微笑んだ。
「大丈夫ですよ、家族でなくても大切な人ならば覚えていると思います。きっと、一時的なものですよ」
彼女は、僕が姉の恋人か何かだと思ったのだろう。
「きっととか、思いますとか、そんな曖昧な言葉を使わないでください!」
曖昧な言葉は相手をこれでもかと痛めつける。僕はそれを知っている。
「放っておいてください」
うつむく。忘れられることがここまで悲しいだなんて思ったこともなかった。一時的だろうが死ぬまでだろうが、忘れられたら一緒だ。女医はお辞儀をして部屋から出ていった。
「ごめん、姉ちゃん。俺帰るから」
沈黙に支配された部屋から逃げ出す。あの医者のいう「一時」がいつまでを指すのか。分かりはしないけど、誰がいてもいなくても一人歩きする「時」に縋りたかった。
作品名:before Today. 作家名:さと