D.o.A. ep.44~57
耳障りな潮騒が途絶え、現実に響く音だけがライルの鼓膜を打つ。
なんだったのだろう、さっきの幻覚のようなものは。
運動以上に疲弊していて、冷や汗までかいている。
傷を負った腕が利き腕ではなかったのが救いだった。
しかし、決して浅くないその傷の痛覚は、先ほどの幻覚とあいまって彼の集中力を乱す。
「俺に…何を見せた?」
傷口を握りしめるように押さえつけて、レオンハートに苛立ちを向ける。
「なにが目的で、あんな…ッ!」
思い出すだけで怖気がする。モノクロの茨の世界と、赤い破壊の跡、それを数え切れないほど行き来した。
断片的に認識してこれだ。現実と混濁しなければ、発狂していたかもしれない。
『…貴様の過去を認識させただけのこと。何を見たのかなど与り知らぬ。だが…』
「…過去…?」
レオンハートは一度だけ、ライルではなく、その周囲の荒野を見遣って言葉を切る。
荒い息を整える間もなく、再び戦いが始まる。
序盤より明らかに動きが鈍っていた。
時を経るごとに、彼の体には傷が増えていった。それでも、致命傷だけはかわし続ける。
レオンハートは、まだ、彼を本気で仕留めるつもりになっていない。
小鳥をいたぶるようにじっくりと、彼の苦悩を引き出していく。
『呼吸をするように何かを滅ぼす存在など、糾弾されて然るべきだ。そう、思わんか』
「それが…俺だと?」
レオンハートは、ライルに潜むアライヴの存在を、ライル自身が隠し持つ本性と誤認している。
実際にはアライヴはライルとは違うものだし、最近まで名前すら知らなかった。
表に出てきさえしなければ、ライルはただの人間に過ぎない。
アライヴが出てきたときに振るうであろう異能を、レオンハートは畏怖しているのだろう。
この地上で最強の存在だろうと、あの賢者はライルに断言した。
運命共同体ならば、アイツの力は俺のものにしていいはずだと、ライルは賢者に告げた。
もしもアライヴが、都合よく敵を屠ってくれるだけのものでないのなら。
目に映るものをただ壊すためだけの力だとしたら。
それは実際の彼を知らないがゆえに出た、浅薄な結論だったのか。
『ただこの世界から、何かを奪い続けるだけなら…消え去ってしまった方がいい。貴様も、…私も』
「…お前、も…?」
『私と貴様は、同じにおいがする』
魔術と相容れ得ぬもの。
この世界で生きる者ならば、あまねく誰もが備える機能と縁のない生き物。
そんなものがいるのなら、それはきっと。
『―――異界のにおいが消えぬものは、望もうと望まざると、この世界にとって禍いしか齎すことはない』
遮蔽物のないこの頂きで、風が吹きぬける。
砂埃を舞い上げて、見知らぬ海の向こうへ運ぶ。
その風がどこまで吹いても届かない世界から、レオンハートは訪れたという。
そして、ライルもこの世界の同胞ではないと。
「…俺とそいつは、違う人間だ」
『否、同じだ。別個の存在ではない。貴様はこの先、何をしようというのだ?
その呪われた身でゆく旅路は、なにひとつ報われはしない。ただ、嘆きを増やすだけのこと』
「なんで、そんなことがわかる?お前が、俺のなにを理解してるっていうんだ?」
茨と赤の光景がちらつく。アライヴが一体なんなのか、そんなことはライルのほうが知りたい。
多くのものを巻き込み、多くのものが奪われていった。そうして、張本人がのうのうと逃げおおせた。
なにひとつ知らない。大昔の英雄だといわれても、ピンと来るはずもない。
けれどその力があれば、この地上の誰にも負けはしないとあの賢者は言った。
ライルに差した、一筋の希望の光だった。
「俺は、なにも、知らない…のに」
―――死ねば苦しみから解放される…それもひとつの、与えられた権利ではないのかい。
―――ダメよ、そんなの…、そんなのに頼るなんて、そんな…。
不意に、二人分の言葉がよみがえる。
意味に思いをはせる前に、またもレオンハートが地を蹴った。
もはや心は乱され、完全に反応が遅れた。
「…ッあ、」
『無知のまま流され続けざるを得なかった貴様の境遇を、私は憐れむ。最期に善意を見せたくなるほどにな。
来世があるならば、…まっとうの人間になれ』
あの夜のように、ライルの体を押さえつけ、怖れを含んだ琥珀の双眸が目と鼻の先に迫った。
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作品名:D.o.A. ep.44~57 作家名:har