ビッグミリオン
首をこきこき鳴らすと、息子の姿を見た喜びからか自然に彼の口元に笑みが浮かんだ。無精ひげさえ逆に似合うその整った顔は、この時はとても健康とは呼べない色をしていた。だが、息子を想う強い気持ちが彼を強くつき動かしていたのだろう。
警備員の服を奪い、それに着替えた春樹が守衛室を後にした三分後……。
大佐を含め四人の人影が、音もなくさっきまで春樹がいた守衛室に侵入した。大柄な男たちの顔には、森林迷彩のペイントがされたままだ。その濃い緑色塗った顔には、ギラギラとした眼が二つずつ光っている。
「大佐! ブラボーチームも配置につきました。あとはビショップからの合図を待つだけです」
イヤホンに手を当てながら、部下が大佐に報告する。ビショップとはブライアンのことであろう。
「いいか。この建物を制圧したら、全ての研究員をひとつの部屋に集めろ。ビショップからの指示は『研究員は殺すな』とのことだ。だが、あまり時間がない。抵抗した者は片っ端から拘束しろ!」
「イエス、サー!」
男たちは自動小銃の安全装置を一斉に外すと、慣れた様子で各部屋の制圧を開始した。
四月十日 零時過ぎ
「聞こえるか? 紫苑、あずさ」
日付が変わってとうとうチャレンジ最終日がやってきた。だが、いま俺たちにはやるべき事がある。
三十分ほど経ったころ、俺は隠し持っていた小型無線機を取り出した。あらかじめ決めておいたチャンネルに合わせ、発信する。
「謙介さん? ええ、聞こえるわよ。何か……この部屋って刑務所みたい。窓に鉄格子とか普通じゃないわよね」
「ここと同じようだな。分かった、よく聞いてくれ。その鉄格子のはまった窓から何が見える?」
「ちょっと待ってね。――えーと、直接は見えないけれど東側に海があると思う。潮の香りと、波の音が聞こえるなあ」
と言うことは、俺の部屋と同じ間取りに違いない。窓は、海岸を東に見て一列に並んでいるのだろう。
「なるほど。じゃあ、ちょっとそのまま待機してくれ。――おい、紫苑! 応答しろ」
それから何度も呼びかけたが、紫苑の声はこそりとも聞こえてこない。
「なああずさ、どうもこの研究所は様子がおかしい。俺たちを案内した研究員たちの体格を見ただろ? 身体を鍛えた研究員も確かにいるだろうが、ほぼ全員が白衣で隠せない程の胸板を持っているのは不自然だ。しかも、俺を案内したヤツの首筋には銃創の治った跡が見えた」
「あたしも何かヘンだと思う。謙介さんの予感は信じるわ。あたしどうすればいい?」
「とにかくここから出る方法を考えるよ。もう少しそのまま待っていてくれ。検査で呼び出された時がチャンスだ。あと……あずさ、こんな時に言う事じゃないのは分かっているけど、おまえにどうしても伝えたいことがある。これは個人的なことだ。もし無事にここを出られたら聞いて欲しい」
「うん、分かった。楽しみにしてる。じゃあ、あたしは紫苑からの連絡を待つわ」
「ああ、頼む。誰か来たみたいから一旦切るぞ」
部屋の鍵がガチャガチャという音とともに回され、さっき俺を案内した男が不自然な笑顔を浮かべながら入ってきた。
「あの、夜中に申し訳ありませんが、これから血液検査とチップの取り外しを行います」
丁寧だが、有無を言わせぬ口調だ。袖から窮屈そうに飛び出している腕には筋肉が盛り上がり、トライバルタトゥーの一部がちらりと顔を覗かせていた。
「分かりました。ところで、一緒に来た篠崎紫苑という男とは連絡がとれますか? 緊急の話があるんで」
男と並んで歩きながら、油断の無い目をした男に問いかけた。
「篠崎さん? あ、ああ、彼の順番はまだまだ後です。今部屋の前を通ったら、くつろいでテレビを見ていましたよ」
嘘だ! この男、いやこの施設は何かを隠している。俺はこの時、疑惑が確信に変わるのを感じた。