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かざぐるま
かざぐるま
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ビッグミリオン

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脱出


『パナマ共和国・コイバ島』 四月九日 


 俺たちはメキシコの山中でヘリから降ろされ、船でサンチアゴの南西、チリキ湾にあるコイバ島に上陸した。水平線に沈みつつある迫力のある太陽が、俺たちを優しく照らして浜辺に長い影を作っている。空には日本の海岸では見たことのない鳥が舞い、爽やかな潮の香りが鼻腔をくすぐった。
「あそこに、この島の説明が書いてあるわよ」
 ショートパンツから長い脚を覗かせたあずさが、看板に駆け寄って行く。 
 それによるとこの島は、海面上昇により一万数千年前にパナマ本土から切り離された島だった。広大なサンゴ礁に囲まれ、世界遺産にも登録されているらしい。
 四月はパナマの気候で最も気温が高くなる月で、日中は三十五℃を余裕で超える。元は流刑地であり、パナマ人から畏怖の目で見られていた歴史もあるようだった。
「それにしてもあっちーな! これで四月かよ。で、研究所はどこなんだ?」
 まだ余熱の残る夕暮れの砂浜に七人分の足跡を残しながら、北側の原生林に向かってゆっくりと歩いて行く。砂に足をとられるせいか睡眠不足かは分からないが、皆の歩みは遅い。
「GPSによると……。あと一キロ程歩けば、建物が見えてくるはずだ。そこは、この島の北東に位置している。まあ、表向きは自然環境保護施設だけどね」
 紫苑の質問にシャツの袖で汗を拭いながらリーマンが答える。一同は上着を脱ぎ、ズボンを膝まで捲り上げていた。俺とあずさは並んで最後尾を歩き、沈んでいく太陽にお互い息を飲んでいた。
「ねえ、ここって旅行で来れたら最高の場所よね。透き通った海とサンゴ礁、そしてロマンティックなサンセット。謙介さん、いつか二人っきりで来ちゃおうか」
 夕日を浴びて頬を赤く染めたあずさの横顔は、冗談を言っているのか本気なのか判断がつかなかった。ただ、前髪をさらさらと潮風に揺らしながら歩くその姿は、俺に一生忘れられない程のインパクトを与え続けた。
「やーだね、彼氏とくれば?」
 俺はさりげなく軽口を叩いたが、この時実は心臓がひっくり返りそうなほどに緊張していた。いつか聞こうと思っていても、何故か凄く怖くてこの答えを聞くのを先延ばしにしていた。
 さくっ、さくっ
 砂を踏む足音だけが聞こえる。
「彼氏なんて……いないもん」
 目線を砂浜に落とし俯いたその表情に、わずかな悲しみが浮かんだような気がした。過去に何か辛いことでもあったのだろうか。ここは必要以上に明るく振舞って、いつもの元気が戻るのを待つしかない。 
「おっしゃあああ! のった! 美味い魚をたらふく食べようぜ。今度はカッコいい水着を着てくるからさ。でも――その前に俺たちにはやる事がたくさんあるな」
「ふふ、ありがと。そうね、まず謙介さんにワクチンを打たないと安心して眠れないわ。私だけ……生き残っ」
 言葉の最後の方は波の音にかき消されてよく聞こえない。でも、あずさが心から心配してくれている事がその横顔から伝わってきて、俺はただただ感動していた。
 
 数分後――太陽は沈み、まるで紙芝居のように今度は星空がこの島を支配している。少し迷いつつも、ついに一行は森の中にそびえ立つ建物に到着した。俺たちの靴にはまんべんなく砂が入り、皆の顔もそろって砂だらけだ。やっと辿り着いた白亜の建物は、樹木の間にひっそりと隠れるようにその姿を見せていた。
「本当に、ここかしら?」
 リンダは首を傾げている。
 潮風で錆びついた大きなドアをリーマンが代表して開けると、中は空調が効いていて意外と快適だった。無機質なリノリウムの廊下の突き当たりに応接室がある。カメラで監視していたのだろうか、そこには俺たちが来るのを前もって予測したように、研究所の所長と名乗る男が待っていた。見た目は優しそうな初老の男性で、フライドチキンの有名チェーン店の人形そっくりだ。俺たちに椅子を勧めると、ゆっくりと口を開く。
「お待ちしておりました。事情は伺っております。研究所の設備と、一流のスタッフを揃えるのに大分時間がかかってしまい申し訳ありません。この計画には、何しろ最高の研究者を揃えなければなりませんでしたので。そうそう、エドワード博士は一時間後に到着する予定です。『変異型クロイツフェルト・ヤコブ病』の権威が来て下さると聞いて、スタッフ一同もたいへん感激しております」
「こちらこそ無理を言って申し訳ありませんでした。単刀直入にお聞きしますが、完成まで大体の目安としてどれくらいの日数がかかりますか?」
 皆の意見を代表してリーマンが質問する。この質問の答えを待つ間、誰も身じろぎひとつしなかった。
「……それは、まだ何とも申し上げられません。まずはあなたたちの脳内のプリオンの状態を詳しく調べてみなければ。例えば、もしこの中の誰かが発症したとします。症状が出ている段階で、アミロイドβを除去しても神経細胞の死滅は止められません。その場合、その患者は厳重に隔離させていただきます」
 腕を組んで椅子に背中をつけると、難しい顔をしながら答えた。
 この男はさりげなく言ったが、要は“発症している人間はもう助からない”ってことだ。
「つまり、発症する可能性があるのは私たちだけということですね? ここのスタッフには感染者はいないと。分かりました。では先に検査をして下さい」
「あともう一つ。これはいい知らせです。シーズン2用のワクチンの培養は成功しましたので、あなた方のチップはもう必要ありません。というか、この場所が特定される恐れがあるので、これからすぐに取り外させていただきたい」
「え? 君たちはCDCの関係者だろ? どうやって手に入れたんだ」
 俺はふと疑問に思い、リーマンの前に出て訪ねた。
「あるルートからサンプルの提供がありました。これ以上は申し上げられません」
 口止めでもされているのか、所長は素早く目をそらした。
「では、各自与えられた部屋に入っておくつろぎ下さい。時間があまり無いので、これからすぐに処置に入ります。ところで『救世主』はどなたですか?」
「救世主?」
 片方の眉をあげながらリーマンが聞きなおす。
「失礼。万能ワクチンを持っている人間を、ここではそう呼んでいます」
 品定めをするような眼で俺たち全員をゆっくりと見廻した。
「んー、俺のことかな? はじめまして。鬼頭、いや、篠崎紫苑です」
 紫苑が手を上げると、所長の目の色が変わった。
「いやいやいや、やっぱりあなたでしたか。あなたのお父上とそっくりだ。あなたには特別室が用意されています」
「ちょ、ちょっと待って下さい! 俺の父親は離婚してから行方不明なんですよ? なんであなたが知っているんですか?」
 心底驚いた様子で叫んだ。その瞳には憎しみと、甘酸っぱいような懐かしさが同居しているように見える。
「CDCの力で突き止めました。アマゾンにご旅行された時の、疾病の記録が残っていましたので。メキシコシティで暮らしていたあなたのお父上は、私たちの呼び掛けにより進んでこの研究に力を貸したいとおっしゃっています。後ほどあなたと面会できるように手配致します」
作品名:ビッグミリオン 作家名:かざぐるま