ビッグミリオン
『ワシントン・ビッグミリオン本部』 4月9日 昼
「名前はあるの?」
エリザベートは、鬼頭代表の部屋にいた。
紫苑そっくりのクローンに向けて微笑みかける。しかしその青年の目は感情を持たず、代表の方をぼーっと見つめているだけだった。
青年の見る方向には、エリザベートお抱えのハイエナに拘束され、車椅子のまま拳銃をつきつけられている代表の姿があった。広い部屋の中には、あちこちに仕掛けられた監視カメラと警報装置があったが、今はエリザベートの工作によりひとつも機能していなかった。
「こんな事をしても何にもならんぞ。わしの血液は『人を選ぶ』からな」
「どういう事? 万能ワクチンはその名の通り万能なんでしょ?」
この時点では、まだ余裕の表情で代表の答えを待つ。
「そこのパソコンに社員のファイルが入っている。名前やら何やら細かいリストが出てくるはずだ」
エリザベートは言われるままに代表の椅子に浅く座ると、ファイルを開く。
「確かに、社員全員のデータが閲覧できるわね。この全ての人に〈STU〉って刺青が入っていると思うとゾッとするわ。で、何が問題なの?」
尻を噛まれたあの忌まわしい記憶が蘇ったのか、彼女は恨めしい顔をしながら銃の安全装置をイライラしながらいじっている。
「血液データを調べてみろ。……どうだ? B型の者は一人もいないじゃろ?」
そのまま検索してみると、確かにB型は誰もいなかった。
「まさか……同じ血液型しか輸血不可能とか言わないわよね。たとえ不可能だとしても、抽出して複製すれば問題ないはずよ」
代表はくっくっくと可笑しそうに笑った。頭から足元まで黒一色で固めたハイエナも、銃を突きつけながらも少し戸惑った顔をしている。
「抽出して複製? もし簡単にそれが可能なら、クローンなど作っておらんよ。シーズン2までは現代の技術で対応できるかもしれん。しかし、万能ワクチンはそうはいかん。『選ばれた者』だけが接種できるのじゃよ。アジアやアフリカなどはB型が多く、アメリカ、オーストラリアは極端に少ない。どういうことか分かるかな? このままシーズン3に移行したら世界中にB型しかいなくなるかもしれんな。まあ、ワクチンを接種できた場合の話じゃが」
「……そこにいるクローンから抽出してやるわ。太平洋戦争の時代と違って、今の最新技術でできないわけがない」
エリザベートの顔は少しひきつっている。もし代表の言葉が本当だとしたら、B型ではない自分は今度こそ本当に噛みつかれて死んでしまうかもしれない。
「まあ、やるだけやってみるがいい。わしの父が仕掛けた『鍵』が外れるならばな」
銃口を突き付けられているにもかかわらず、顔色ひとつ変えずに続ける。
「わしは太平洋戦争の無念を忘れてはいない。父の意志は世代を超えて受け継がれていくのじゃ。A型のキリストや、アインシュタイン、エジソンには申し訳ないが、もし彼らが生きていてもこのワクチンを接種できるチャンスはないじゃろう。ただ、これだけは教えといてやろう。枕元輸血で強引に違う血液型に輸血しても、“ごく稀に命が助かる者”がいる。これは1945年に誤って感染してしまった陸軍少佐の例がある。そして彼は今でもまだ生きておる」
「731部隊では、シーズン3の感染実験を既に行っていたのね?」
「らしいな。首に噛みつかれた死体や、腕の肉を食いちぎられた死体を処理していたブロックがあると聞いておる。どっちにしても、その施設は破壊されて今は跡形もないがな」
エリザベートは自分の首筋をそっと撫でた。一刻も早く研究所に『コイツら』を持ち込まなければ!
「そのまま2人とも縛り上げて! 運び終わったら、このフロアは跡形も無く爆破するのよ」
「はい、C-4爆薬はたっぷりあります。偽装のために、実験に使った遺体をここに2体置いときますか?」
彼女は少し考えてからゆっくりと立ち上がった。
「いらないわ。どうせ、もうすぐシーズン2が始まる。空気感染が始まれば、じきに警察機能もマヒするわ。今は、とにかく急いで研究所に運ぶのよ」
「承知しました」
彼女は自分を見つめる鬼頭代表の眼が気に入らなかった。まるで無駄なあがきをしている自分をあざ笑っているような眼だ。
「もし、血液が大量に必要になったら、そのじじいのを全部抜いてしまうのよ。そこの若い子がひとりいれば十分だわ」
舌打ちしてから強い眼で代表を睨み返すと、銃に安全装置をかけハイエナに命令した。
だが、代表の薄ら笑いは、きつく縛られながらも消えることは無かった。